大河ドラマ「八重の桜」 第10回 池田屋事件 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/03/10 21:53
今回は、「象山の奇策」あらため「池田屋事件」。会津と長州にとってのターニングポイントとはいえ、タイトル変更には賛否両論ありました。私も当初は手垢の付いた有名な事件を使ったテコ入れ的施策? という印象を持っていましたが、見終わってみるとこの回は象山よりも池田屋事件の方が印象的かつ影響大であり、妥当な変更だったと感じました。

まぁ、ターニングポイントという点では、前回の「八月十八日の政変」で既に反長州という意味でのルビコンは渡っちゃった感はありますが。

物語は元治元年(1864年)4月、白馬の王子様 佐久間象山が覚馬の洋学所見学から。象山の国許蟄居から10年、唐突な復活です。

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大河ドラマ「八重の桜」 第9回 八月の動乱 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/03/03 21:59
京の情勢はついに兵を動員するまでに緊迫。今回は、今後二転三転する政局の第一幕、朝廷を牛耳る長州派が後退する八月十八日の政変です。長州派さらに禁門の変を経て朝敵になってしまうわけですが、そこからよくまぁ巻き返したものだと関心してしまいます。

文久3年(1863年)8月、秋月の住まいを訪ねた覚馬は、会津藩士以外も受け入れる洋学所の開設計画を打ち明けます。そこにやってきた、薩摩藩士の高崎佐太郎。

会津では、照姫のお国入りの噂で女性陣がウキウキムード。そこに響き渡る銃声音。角場で、三郎が高木盛之輔と伊藤悌次郎に鉄砲を教えていたのでした。

八重「子供に銃さ触らせではなんねえ」

君が鉄砲を触ったのも子供のころだったような……。

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大河ドラマ「八重の桜」 第8回 ままならぬ思い 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/02/24 21:57
文久3年(1863年)3月、家茂が上洛して孝明帝に拝謁し、攘夷を約束させられます。229年ぶり、家光以来の将軍上洛であり、これだけでもかなり異例な出来事。

一方、会津藩は人手不足解消策として壬生浪士組を使うことに。今回は取りあえず、近藤、土方、斎藤の顔見せって感じですね。時尾の失恋話と斎藤一の初登場……一応合わせてきたのかな?

で、場面は会津へ。斎藤一の未来の妻、時尾は大蔵の祝言情報に動揺。そしてついに秘めていた思いを八重に打ち明けます。まー、視聴者はみんな分かってた訳ですが。

時尾「仕方のねえ事って、いっぺえあんな

今回のテーマのようでもあり、普通に人生そのものでもあるようなセリフです。

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『八重の桜』に登場しそうな銃まとめ(火縄銃からスペンサー銃まで)

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/02/20 22:07
『八重の桜』で描かれている時代は銃器が急速に進化した時期でもあります。劇中でも、覚馬が持ち帰った「ゲベール銃」、八重が使用した「スペンサー銃」が既に登場していますが、当時の日本にはそれ以外にもさまざまな銃が入ってきていました。その結果、第1回で新式銃として覚馬が会津に持ち帰ったゲベール銃は、戊辰戦争時には時代遅れの旧型になっていました。

というわけで、当時の銃の一部をまとめてみました。なお、『八重の桜』には絡まなそうな「シャスポー銃」「マルティニ・ヘンリー銃」「ヘンリー銃」「ドライゼ銃」などは除外しました。また、今回は戊辰戦争までを前提とし、『八重の桜』後半の西南戦争や日清・日露戦争はとりあえず考慮しません(村田銃がどーとか、物語には関係なさそうだし……)。

昔ながらの火縄銃からスペンサー銃まで、主なものは以下の通り。「使用者」は、戊辰戦争時の状態をザックリと表現したものです。

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大河ドラマ「八重の桜」 第7回 将軍の首 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/02/17 22:58
文久2年(1862年)秋、京都は天誅が熱い! ということで、アバンでは

閏8月20日、越後浪士 本間精一郎
同22日、九条家家臣 宇郷玄蕃頭
同29日、目明かし文吉
9月23日、京都町奉行所 4名
の暗殺シーンを駆け足で紹介。京のトレンドもこれでバッチリ押さえられます。

この殺伐とした京へ上がる前に、覚馬八重、三郎、川崎先生の一行と修理&雪夫妻が湯本村(東山温泉)へ温泉旅行。覚馬一行はなぜうらが入っていないのかなど、謎なメンバー構成です。

道中、神社の鳥居で運試し。

三郎「京でお勤めがでぎるように」
八重「兄様が、京で手柄を立でるように」

という2人は見事成功。続いて雪が挑戦。雪が何を願ったかは明示されませんでしたが、恐らく「修理の無事」ではないでしょうか。そして、雪は失敗……。修理の運命を象徴する切ない場面です。けど、いつもながら斎藤工って演技がイマイチ……。修理の切腹シーンは泣かせどころになるはずですが、彼ではどうも期待できません。彼に国広富之のレベルは期待できないし、今回の大河には『愛しき日々』という涙腺破壊機能もないし……。

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大河ドラマ「八重の桜」 第6回 会津の決意 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/02/10 22:13
今回は、水戸藩を助けたら感謝されるどころか目を付けられたでござるの巻。こうして、慶喜春嶽の黒コンビによって会津が政局の渦中にぶち込まれます。

一方で、会津の人々のキャラ立てや超えられない男尊女卑の壁といった要素が盛り込まれ、八重(今回は満15~16歳)の心境も複雑に。「鉄砲が撃てれば幸せ」ではなくなる程度には大人になったということでしょう。

話は万延元年(1860年)4月、「容保家茂に呼び出しを食らうの巻」から。家茂に水戸を庇った理由を問いただされ、理路整然と意見を述べて納得させる容保。これで水戸討伐が沙汰やみとなり、安堵する慶喜と春嶽。

慶喜「会津の容保か……存外、腹の据わった男のようだ」

春嶽「思わぬところから助け船がでたわ」

喜ぶ謹慎中コンビですが、この一件で容保に目を付けて自分たちの都合によって面倒ごとに巻き込むあたり、黒い。黒すぎ。

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大河ドラマ「八重の桜」 第5回 松陰の遺言 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/02/03 21:29
今回は、松陰刑死と桜田門外の変という幕末大イベント開催。覚馬、尚之助と松陰、勝海舟の個人的なつながりを通して会津にいる八重にも影響を与えるなど、なかなか巧みな構成です。イベントもポイントを押さえてます。

話は安政6年(1859年)7月、横浜を訪れた尚之助と勝麟太郎のシーンから。横浜が開港したのは、日米修好通商条約後の6月5日なので、まさに

勝「異国人は利に賢い。開港して1月やそこらで、もうこの繁盛ぶりだ」

という状況です。ここで、開国早々おそロシヤ人らが普通に歩いている時代になったこと、攘夷浪士による異国人襲撃が横行していることを尚之助の目を通して描いています。川崎先生をうまく活用してますね。

で、中央政局とは縁遠い会津の山本家にも、事件発生。

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大河ドラマ「八重の桜」 第4回 妖霊星 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/01/27 21:37
今回は覚馬を中心とした会津の話だった前回と一転、一橋派と紀州派の対立を中心とした国政面が動き出し、幕末的な緊張感が高まる様子が描かれます。『篤姫』と同様、好意的な描かれ方をしている井伊直弼ですが、八重覚馬と知り合いで彼らにだけ心情を漏らす、といった気持ちの悪い展開もなくて安心できます。八重も明治以降は大物と本当に知り合うので、会うのも不自然ではないのですが。

まぁ、若干、悪夢を思い出させるようなところもありましたが。

物語は安政5年(1858年)2月、番頭の頼母(家老になるのは1860年)が覚馬の兵制改革を容保に進言するところから。そして大砲奉行の林が容保の裁可を伝えるため、山本家を訪問。

八重は何と、廊下に正座して座敷の会話を盗み聞き!

や、やめてくれ……。あの不快な姫を思い出すじゃないか……。

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大河ドラマ「八重の桜」 第3回 蹴散らして前へ 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/01/20 21:35
ノベライズを読んで予想していたことではありますが、今回は中央政局が動かなかったことで話としては非常に地味な回になってしまいました。とはいえ、全体の構成の中では割と重要かも。これまで突っ走ってきた覚馬の挫折を通して会津藩の将来を暗示してたり。

覚馬の屈託に活を入れるのが八重ってところが「いかにもドラマ」ではありますが。

さて、今回は安政4年(1857年)春から。覚馬は日進館で講義のリハーサル。1人でトークしている姿は実に不審。本役になった与七郎たちが疑問に思うのももっともです。覚馬の活躍も楽しみですが、この与七郎も見せ場が多いはずなので楽しみにしたいところ。会津戦争時の鶴ヶ城入城なんか、どんな風に演出するでしょう。まぁ、去年も西行の娘キックを「酷い!」と非難する人が続出したので、大蔵の鶴ヶ城入城も「んなわけあるか!」と怒り出す人がいそうですね。明治期は、この大蔵や八重を会津の名誉回復、再生の象徴として描いていくのかな。

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大河ドラマ「八重の桜」 第2回 やむにやまれぬ心 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/01/13 21:16
父にとめられても独学をやめない八重。漢字も書いていますが、女性は「かな」しか習わないため、八重は鉄砲の本のほとんどが読めないまま。意味もわからず書き写している状態です。同年でもさらりと「蓋」が読めてしまう与七郎(後の大蔵)を通して、当時の男女が受ける学問の差が表現されています。これは、幼女八重が独学で学ぶことがいかに困難であったか、ということでもあります。

嘉永7年(1854年)3月。日米和親条約締結。ペリーが頭を下げたということで、来客万雷の象山塾。ここで豚をスケッチしていて逃がしてしまった七五三太君(後のニイジマジョー)と、豚を捕獲した西郷モニカが登場。思ったよりも西郷役がはまっていたので一安心です。

覚馬もまた、黒船にやむにやまれぬ心を突き動かされっぱなし。尚之助も巻き込まれますが、藩と家族に累を及ぼさないための脱藩がネックに。

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