大河ドラマ「八重の桜」 第7回 将軍の首 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/02/17 22:58

文久2年(1862年)秋、京都は天誅が熱い! ということで、アバンでは

閏8月20日、越後浪士 本間精一郎
同22日、九条家家臣 宇郷玄蕃頭
同29日、目明かし文吉
9月23日、京都町奉行所 4名
の暗殺シーンを駆け足で紹介。京のトレンドもこれでバッチリ押さえられます。

この殺伐とした京へ上がる前に、覚馬八重、三郎、川崎先生の一行と修理&雪夫妻が湯本村(東山温泉)へ温泉旅行。覚馬一行はなぜうらが入っていないのかなど、謎なメンバー構成です。

道中、神社の鳥居で運試し。

三郎「京でお勤めがでぎるように」
八重「兄様が、京で手柄を立でるように」

という2人は見事成功。続いて雪が挑戦。雪が何を願ったかは明示されませんでしたが、恐らく「修理の無事」ではないでしょうか。そして、雪は失敗……。修理の運命を象徴する切ない場面です。けど、いつもながら斎藤工って演技がイマイチ……。修理の切腹シーンは泣かせどころになるはずですが、彼ではどうも期待できません。彼に国広富之のレベルは期待できないし、今回の大河には『愛しき日々』という涙腺破壊機能もないし……。 ゴロ寝ニート秀忠に続き、なぜか挿入される覚馬&川崎先生の入浴シーン。湯上がりは山本三兄弟トーク。そして前回に引き続き、八重の負け犬っぷりが話題に。

覚馬「そんじゃ嫁ぎ遅れんぞ」
八重「さすけねえ。まだ話も来てねえし」
覚馬「1つも来ねえが」

覚馬「( ゚∀゚)アハハハハハ八八八/ヽ/ヽ/ヽ/ \/ \/ \」
三郎「( ゚∀゚)アハハハハハ八八八/ヽ/ヽ/ヽ/ \/ \/ \」

覚馬に持たせるものをそれぞれ用意するうら、父母もいいですね。が、着物や足袋は多くてもOKですが耳かき多すぎ!

そして会津藩士上洛の日。夫を見送る二葉、雪、うら。それぞれ変化があってよい演出です。同じく見送っている佐川が痛々しい。

上洛組みは江戸藩邸にいったん集結。参集した藩士を前に語る容保がいい。期待していなかったのですが、この役者は容保にハマっているなぁ。

12月24日、容保都入り。金戒光明寺に入り、さらに関白 近衛忠熙を訪問。長州派のミラクル三井に気を付けろとアドバイスされます。ノベライズではさらに、御所への参内についてもアドバイスされてますが、カットされたようです。

文久3年(1863年)正月。容保は(関白のアドバイスに従い)御所で孝明天皇に拝謁。会津中将が気に入ったのか、扇子で畳を叩いて合図を出す帝。異例のことに目を見合わせる公家たち。

御衣を賜り、さらに御簾まで上げられお言葉を下されるという破格・異例の待遇に涙目で固まる容保。彼の衝撃と感激が伝わってくるようで、よい演技でした。

孝明天皇「我が衣じゃ。直して陣羽織にでもせよ」

これをやられちゃ、即落ちもやむなしですなぁ。帝、自分のカリスマ性をよく分かっておられる。

間もなく、慶喜春嶽の腹黒コンビが上洛。BGM的にもコイツら半分悪役扱いですな。彼らに「言路洞開」の方針を開陳する容保ですが、2人には通じず。勝手にしろ的な慶喜よりも、「それはご立派な」と言いつつ小馬鹿にしたような春嶽の方がタチが悪いかも。まぁ、ここは容保の理想主義の表明と、その挫折のためのシーンですね。

そして2月23日。三条河原に等持院にある足利三代の木像の首がさらされる事件(いわゆる足利三代木像梟首事件)発生。会津藩の密偵、大庭恭平が内偵していた一味の犯行だったため、犯人はすぐに判明。が、自分がやったとゲロする大庭に一同驚愕。

尊皇攘夷派の真意を倒幕と知った容保、言路洞開が幻想であったと思い知らされます。

容保「幕府打倒を狙う輩に、融和策など通じぬわ。わしが……愚かであった

ここに会津藩の強硬姿勢が始まり、長州藩に恨まれることになる、と……。

2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
もご利用ください。