大河ドラマ「八重の桜」 第9回 八月の動乱 感想
カテゴリ:八重の桜
日時:2013/03/03 21:59
京の情勢はついに兵を動員するまでに緊迫。今回は、今後二転三転する政局の第一幕、朝廷を牛耳る長州派が後退する八月十八日の政変です。長州派さらに禁門の変を経て朝敵になってしまうわけですが、そこからよくまぁ巻き返したものだと関心してしまいます。
文久3年(1863年)8月、秋月の住まいを訪ねた覚馬は、会津藩士以外も受け入れる洋学所の開設計画を打ち明けます。そこにやってきた、薩摩藩士の高崎佐太郎。
会津では、照姫のお国入りの噂で女性陣がウキウキムード。そこに響き渡る銃声音。角場で、三郎が高木盛之輔と伊藤悌次郎に鉄砲を教えていたのでした。
八重「子供に銃さ触らせではなんねえ」
君が鉄砲を触ったのも子供のころだったような……。 ちなみに、時尾の弟である高木盛之輔は会津戦争を生き抜き西南戦争でも山本浩(大蔵)隊に属して戦い、大正8年まで生きました。伊藤悌次郎は白虎隊として戦い、自刃しています。
再び京。高崎佐太郎が秋月にもたらした情報は、会津を驚愕させます。大和行幸は長州のはかりごとであり、都に火を放つ噂、そして倒幕計画まであるというもの。
いぶかしがる横山たち、決断する容保らのバランスがすばらしい。
そして8月18日。御所に集結する会津、薩摩藩。実際には淀、米沢、岡山藩らも会津・薩摩側として御所を守っていました。
そこに押し寄せてきた、久坂率いる長州の軍勢。堺町御門でにらみ合いとなる会津と長州。緊迫する両陣営……のはずなのですが、期待したほどの緊迫感がなくて拍子抜け。何がいけなかったんだろう。とにかく、「開戦か否か」的な緊張感、焦燥感が感じられませんでした。残念。
ちなみに、ノベライズでは「横殴りの雨」の中でのにらみ合いで、堺町御門にやってきて覚馬らをねぎらう容保も「全身、雨に濡れていた」という描写になっていました。
長州の撤退は、長州派公卿の失脚でもあります。我らがミラクル三条実美の他、三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、壬生基修、錦小路頼徳、沢宣嘉の7人が長州に下ります。いわゆる「七卿落ち」ってやつですね。
そして今週の泣かせどころ。というか「容保&家老ズメソメソコーナー」。
孝明天皇から、かの宸翰(天皇直筆メール)と御製(天皇の和歌)を賜ります。
和らくも武き心も相生の松の落ち葉のあらず栄えん
容保&家老ズ男泣き。宸翰の場面は事前に想像が付きましたが、それでももらい泣き。
壬生浪士組も、今回の政変の働きで「新選組」の名を拝命。この名を与えたのは武家伝奏説と容保説がありますが、ドラマでは武家伝奏説が採られていました。
場面は再び会津へ。照姫の下に、容保の写真が届きます。完全に京都守護職時代の容保でした。
さあ、ここから壮大な肩すかしスタート。まぁ、ノベライズで結末は知っていたのですが。
まずは照姫が黒河内道場見学。八重に目を留めた照姫が、黒河内に名を尋ねる一幕も。ここでは頼母の蟄居にからむ軋轢を容保に代わってまとめ上げる賢女ぶりを披露する照姫さま。
照姫「たとえ諍いがあっても、それは一時のこと。皆、会津のおなごなのですから。優しく、勇ましくありましょうぞ」
容保と同様、会津のおなごのハートを鷲づかみにする照姫様、さすが。
元治元年(1864年)3月。蟄居中の頼母を佐川が訪問。この2人、1歳違いのはずなのに親子に見えます。ここで照姫様の右筆選考の噂が浮上。
頼母「心延えがよぐ、機転が利ぎ、武道の心得もなければならぬ。お、あれはどうかの。覚馬の妹……」
ご家老の推薦ともなれば心強い。ただし、このとき頼母は容保メールをCcしてもらうことすらない蟄居中の身だったのです……。
右筆コンテストは八重が優勢との噂が流れる町内。舞い上がって川崎先生から論語を習い始めます。八重パパン、ママンもすっかりその気でソワソワ。黒河内も八重押しとのこと。
そこにやってきた盛之輔。この時点で感のいい人なら気づいたことでしょう(私は気づかなかったかもしれませんが)。お城からの使者がやってきたのは、山本家ではなく高木家であったことを。
まぁ、時尾さんが照姫の右筆だったのは史実で、ここで主人公補正はきかせようがないわけですが。
・2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
・大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
もご利用ください。
文久3年(1863年)8月、秋月の住まいを訪ねた覚馬は、会津藩士以外も受け入れる洋学所の開設計画を打ち明けます。そこにやってきた、薩摩藩士の高崎佐太郎。
会津では、照姫のお国入りの噂で女性陣がウキウキムード。そこに響き渡る銃声音。角場で、三郎が高木盛之輔と伊藤悌次郎に鉄砲を教えていたのでした。
八重「子供に銃さ触らせではなんねえ」
君が鉄砲を触ったのも子供のころだったような……。 ちなみに、時尾の弟である高木盛之輔は会津戦争を生き抜き西南戦争でも山本浩(大蔵)隊に属して戦い、大正8年まで生きました。伊藤悌次郎は白虎隊として戦い、自刃しています。
再び京。高崎佐太郎が秋月にもたらした情報は、会津を驚愕させます。大和行幸は長州のはかりごとであり、都に火を放つ噂、そして倒幕計画まであるというもの。
いぶかしがる横山たち、決断する容保らのバランスがすばらしい。
そして8月18日。御所に集結する会津、薩摩藩。実際には淀、米沢、岡山藩らも会津・薩摩側として御所を守っていました。
そこに押し寄せてきた、久坂率いる長州の軍勢。堺町御門でにらみ合いとなる会津と長州。緊迫する両陣営……のはずなのですが、期待したほどの緊迫感がなくて拍子抜け。何がいけなかったんだろう。とにかく、「開戦か否か」的な緊張感、焦燥感が感じられませんでした。残念。
ちなみに、ノベライズでは「横殴りの雨」の中でのにらみ合いで、堺町御門にやってきて覚馬らをねぎらう容保も「全身、雨に濡れていた」という描写になっていました。
長州の撤退は、長州派公卿の失脚でもあります。我らがミラクル三条実美の他、三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、壬生基修、錦小路頼徳、沢宣嘉の7人が長州に下ります。いわゆる「七卿落ち」ってやつですね。
そして今週の泣かせどころ。というか「容保&家老ズメソメソコーナー」。
孝明天皇から、かの宸翰(天皇直筆メール)と御製(天皇の和歌)を賜ります。
和らくも武き心も相生の松の落ち葉のあらず栄えん
容保&家老ズ男泣き。宸翰の場面は事前に想像が付きましたが、それでももらい泣き。
壬生浪士組も、今回の政変の働きで「新選組」の名を拝命。この名を与えたのは武家伝奏説と容保説がありますが、ドラマでは武家伝奏説が採られていました。
場面は再び会津へ。照姫の下に、容保の写真が届きます。完全に京都守護職時代の容保でした。
さあ、ここから壮大な肩すかしスタート。まぁ、ノベライズで結末は知っていたのですが。
まずは照姫が黒河内道場見学。八重に目を留めた照姫が、黒河内に名を尋ねる一幕も。ここでは頼母の蟄居にからむ軋轢を容保に代わってまとめ上げる賢女ぶりを披露する照姫さま。
照姫「たとえ諍いがあっても、それは一時のこと。皆、会津のおなごなのですから。優しく、勇ましくありましょうぞ」
容保と同様、会津のおなごのハートを鷲づかみにする照姫様、さすが。
元治元年(1864年)3月。蟄居中の頼母を佐川が訪問。この2人、1歳違いのはずなのに親子に見えます。ここで照姫様の右筆選考の噂が浮上。
頼母「心延えがよぐ、機転が利ぎ、武道の心得もなければならぬ。お、あれはどうかの。覚馬の妹……」
ご家老の推薦ともなれば心強い。ただし、このとき頼母は容保メールをCcしてもらうことすらない蟄居中の身だったのです……。
右筆コンテストは八重が優勢との噂が流れる町内。舞い上がって川崎先生から論語を習い始めます。八重パパン、ママンもすっかりその気でソワソワ。黒河内も八重押しとのこと。
そこにやってきた盛之輔。この時点で感のいい人なら気づいたことでしょう(私は気づかなかったかもしれませんが)。お城からの使者がやってきたのは、山本家ではなく高木家であったことを。
まぁ、時尾さんが照姫の右筆だったのは史実で、ここで主人公補正はきかせようがないわけですが。
・2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
・大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
もご利用ください。