大河ドラマ「八重の桜」 第6回 会津の決意 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/02/10 22:13

今回は、水戸藩を助けたら感謝されるどころか目を付けられたでござるの巻。こうして、慶喜春嶽の黒コンビによって会津が政局の渦中にぶち込まれます。

一方で、会津の人々のキャラ立てや超えられない男尊女卑の壁といった要素が盛り込まれ、八重(今回は満15~16歳)の心境も複雑に。「鉄砲が撃てれば幸せ」ではなくなる程度には大人になったということでしょう。

話は万延元年(1860年)4月、「容保家茂に呼び出しを食らうの巻」から。家茂に水戸を庇った理由を問いただされ、理路整然と意見を述べて納得させる容保。これで水戸討伐が沙汰やみとなり、安堵する慶喜と春嶽。

慶喜「会津の容保か……存外、腹の据わった男のようだ」

春嶽「思わぬところから助け船がでたわ」

喜ぶ謹慎中コンビですが、この一件で容保に目を付けて自分たちの都合によって面倒ごとに巻き込むあたり、黒い。黒すぎ。 次の場面は約1年後の文久元年(1861年)初夏。黒河内道場。

山川二葉 vs. 八重、井上雪 vs. 高木時尾のカードで薙刀バトル。この時点では八重が一歩リードの形勢。二葉と梶原平馬、雪と神保修理の縁談の話から、八重に降ってわいた「いいお話」につなげているところはお見事。これで、会津藩家中の人間関係と、八重が実は裁縫も得意であったことを描いています。八重がニイジマジョーと出会ったのも裁縫中ですし、裁縫ができないわけでもやらないわけでもないんですよね、実際。

で、八重にも縁談か? と思わせての仕事依頼だったわけですが、

うら「八重さんも、じき嫁に行ぐんだし」

甘い。

佐久「縁談は、まだ1つも来ねえ。鉄砲撃づ娘を、嫁にほしがる家があんべが?」

ふう。

薙刀バトルは山川家にも波及。大蔵が帰宅すると、母の艶と梶原平馬が打ち合い。後に東大総長になる健次郎はガリ勉キャラで登場。続いて、平馬との縁談がまとまっている二葉が登場。このくだりの会話でも分かる通り、平馬と二葉はこれが初対面です。好きも嫌いもない、当時の婚姻の当たり前の姿がさりげなく描かれています。昔は、「好きでもないのに嫁ぐのですか!?」などと姫が口走る大河ドラマもありましたが。

平馬&大蔵はこの足で山本家へ。そこで、鉄砲を構える八重を目撃というかのぞき見。

平馬「鉄砲を担いだ巴御前

はい、「幕末のジャンヌ・ダルク」「ハンサムウーマン」に続く二つ名が誕生しました。

覚馬が帰宅すると、政治の話を始める平馬ですが、言葉をいったん切って八重を一別。平馬の意図を察した覚馬が八重に席を外させます。川崎先生も自ら座を外そうとすると、川崎は残れという平馬。会津藩士ではない川崎は残され自分は排除されたことに疎外感を感じる八重。まぁ、これまた当たり前のことですね。12歳の小娘に「将軍になる方法」を相談する天下人が出てくるドラマもありましたが。

この年の晩秋、敏姫が疱瘡で死亡。

敏姫「殿を……お頼み申します。支えとなってくださいませ。殿の……姉上として

最後まで感のいい娘さんでした。

文久2年(1862年)4月、無駄に保守的で田舎者の島津久光が上洛。この京の状況の目撃者として登場するのが秋月悌次郎。北村有起哉は『上意討ち 拝領妻始末』でも会津藩側用人 高橋外記をやってましたねぇ。

6月には勅使&薩摩藩兵が江戸入り。将軍上洛を要求します。このときの勅使が大原重徳。ドラマでは直接名前は出てきませんでしたが、字幕を出していると発言者として「(大原)」となっていました。

7月、勝麟太郎が軍艦操練所頭取に就任。彼と会話していた榎本釜次郎は、後の榎本武揚。五稜郭に立てこもっちゃうけど明治政府に重用される人物です。

田舎者久光の行動に、みんな大迷惑。

慶喜「薩摩は余計なことをしてくれた。わしは、将軍後見職などに、なりとうはなかった

子ども店長?

春嶽も政事総裁職にされて不満顔。その彼らが考えたのが、京の抑えとして京都守護職を置くこと。容保に押しつける気満々です。タチの悪い連中に目を付けられたものです。

会津では、うらが女児を出産。文久2年ですから、この子はみねですね。

ここで八重は父母の会話を聞いてしまいます。

佐久「これ、立ち聞きしたらなんねえ!」

うん、立ち聞きをちゃんと叱るのは大事です。

容保の京都守護職就任を単純に喜ぶ八重を一喝する権八

権八「浅はかなごどさ言うな! お国の大事に、おなごが口出すものでねえ

ここでも当時の常識が繰り返されます。これが後にニイジマジョーと八重の関係に生かされるのかな。

関係者を動揺させた京都守護職ですが、容保は就任を固辞。春嶽の波状攻撃を巧みにかわします。どうなる!? スカイライダー vs. スパイダーオルフェノク

が、スカイライダーには必殺技があった!

春嶽「会津松平家には、藩祖・保科正之公が定められた、土津公御家訓なるものがあると聞き及びまする」

スパイダーオルフェノクはクリティカルヒットを受けた。冗談はともかく、御家訓に殉じざるを得ない容保は哀れを誘います。

頼母と田中土佐が江戸に上がり、圧巻の会津藩ミーティング開始。実に見応えのあるシーンでした。ちなみに、旧神保修理は横山主税に出世してます。

そして、お約束の頼母全力の諫言。第1回で、

頼母「ご主君に過ちあっ時は、命を賭してお諫めもいだしまする

と言っていたことが、ここに掛かってくる訳です。

容保が御家訓を口にすると、全員が姿勢を正してあらためて平伏するところもよかった。第1回で容保すら脇に控えるところといい、御家訓への想いが伝わってきて泣ける。

容保「徳川御宗家と存亡を共にするのが会津の務めだ。みな、覚悟を定め、わしに力を貸してくれ」

そして家臣に向かって頭を下げる容保。これに男泣きする家臣一同(一部除く)。藩主に頭を下げられては、家臣も泣くしかありますまい。

ここで「得心がゆきませぬ!」とさらに諫言できる頼母はある意味すごい。ですが、ここまで容保の腹が決まった段階ではどうにもなりません。

文久2年閏8月1日、京都守護職拝命。


2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
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