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大河ドラマ「八重の桜」 第46回 駆け落ち 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/11/17 21:55
「駆け落ち」ってのもなかなか青いタイトルですが、ノベライズはというと、「明治の青春」というおっさんにはさらにムズがゆいタイトル。内容は、まったりべったりしていて途中でウトウトしてしまいました。京都編はやっぱりキツいな。まぁ後4回、何とか完走する所存ですが。

明治20年(1887年)1月、みねが平馬を出産。平馬を抱く八重のぎこちなさにみねがアドバイスしてますが、八重はみねが生まれたときに赤子のだっこは経験済みでは? 1862年にみねが生まれたとき、八重は16、7歳なんだから面倒くらいみたでしょうに。

一方、婿を迎えるべき久栄は、徳富健次郎(蘆花)と逢い引き。男の部屋にまで上がり込むなんて、何てふしだらなんざましょ! ちなみに、健次郎は『江』で秀頼を好演してた人ですね。

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大河ドラマ「八重の桜」 第45回 不義の噂 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/11/10 22:15
今回は、有名な「八重覚馬の後妻を叩き出したでござる」の巻。1回丸々使うようなネタかよという感じですが、八重が絡むネタはもはや大してないのでどうにもなりません。

明治18年(1885年)5月。大垣屋とその養子大沢善助が覚馬を訪ね、琵琶湖疏水工事ミーティング。活気を取り戻した京都に思いをはせる覚馬に、

大垣屋「年には勝てまへんな。私もすっかり老いぼれや」

いえ、お奉行は蛤御門の変(1864年)で初登場した20年以上前から全くお変わりありませんが。

女学校ではまたもやトラブル発生。ジャパン・ミッション(日本宣教団体)が女学校廃校を決定し、アリスちゃんらの宣教師が消滅。八重はこれを機会に女学校の経営母体の転換を提案。まぁ、寄付頼りなところは相変わらずですが。

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大河ドラマ「八重の桜」 第44回 襄の遺言 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/11/03 22:21
今回は時系列入れ替えて、ニイジマジョーの生死をめぐって視聴者の気をもませる演出が特徴。月日が行ったり来たり、ちととっちらかった印象です。ノベライズは奇をてらうことなく時系列通りに話を展開しているので、演出レベルでの改変かもしれません。まぁ、ニイジマジョーは1890年まで生きるので1884年の今回で死ぬわけもなく、ジョーが倒れて死にそうになってる場面を先に出してミスリードしているあたり、小賢しさに苦笑してしまいます。以下では、ドラマの演出を無視してエピソードを時系列順に戻しています。

明治16年(1883年)12月、徴兵制度改革。私立学校から徴兵猶予の恩典がなくなり、私立学校ピーンチ。そこでニイジマジョーは津田梅子の仲介で、明治17年(1884年)2月に伊藤博文邸を訪問。徴兵猶予について直談判に及ぶも相手にされません。伊藤さん、なかなか手厳しい。

帰宅したジョーは、珍しくプンプン。この人が怒ってる場面って初めて? ちなみにノベライズではこのくだりは順番が逆で、プンプンしていたジョーが八重に諭されて「自分が政府に働きかけるべき」と思い直し、伊藤を訪ねるという展開でした。

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大河ドラマ「八重の桜」 第43回 鹿鳴館の華 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/10/27 22:23
明治15年(1882年)12月、下野した大隈重信が早稲田大の前身、東京専門学校を開校。同じくニイジマジョーも大学設立準備中。そこにやってくるデイヴィス先生。で、同じ船に乗っていたのも会津の人でしたよ、ということで、史実から捨松の帰国へとスムーズ?に展開。若干予定調和的ですが、まあうまくまとめたといえるでしょう。

という流れで、捨松と津田梅子の就活へ。が、国費留学までした帰国子女には働き口がない、と。さらに、このとき22歳の捨松は、当時の日本としては「行き遅れ」で結婚も不利という有様。捨松ピンチ。

明治16年(1883年)山川浩が捨松の就活のため山本家を訪問。同志社女学校に雇ってほしいという浩に、「面識がある」と言って快諾するジョー。登場人物が皆知り合いで話もスムーズ。妙に予定調和的でおめでたい展開です。

その後、浩に尚之助の『会津戦記』を渡す覚馬

浩「川崎殿には、何一つ恩返しできぬまま……」

恩を返すどころか、尚之助に全責任を負わせて見捨てたよね、浩……。

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大河ドラマ「八重の桜」 第42回 襄と行く会津 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/10/20 21:30
今回は、パック旅行みたいなタイトルですが、ノベライズでのタイトルは「故郷への旅」。シンプルなノベライズのタイトルの方がよかったような。

物語は、有名な「岐阜事件」から。明治14年(1881年)11月9日に自由党総理に就任した板垣退助は、明治15年(1882年)4月6日、岐阜の中教院で演説。その後玄関の階段で相原尚褧に刺されます。

板垣「わしが死んだち、自由は死なんぜよ」

とまぁ、ドラマではかの有名なセリフを土佐弁で発していましたが、実際にこのセリフを言ったのは内藤魯一で、板垣は「声も出なかった」(と、板垣自身が書き残す)とか、諸説あったりします。確かなことは、自由は死ななかったが板垣も死ななかった、ということです。

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大河ドラマ「八重の桜」 第41回 覚馬の娘 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/10/13 20:47
今回は、民権運動の高まりから国会開設という文脈の中で覚馬と槇村、覚馬とみねの決着が描かれました。部分的にいいシーンもあるものの、テーマが地味なだけに中だるみ感も強かったという印象。まぁ、この時代の一般人(若干「逸」般人)をメインにしたらこうなりますわな。

明治13年(1880年)春、戊辰戦争で軍事的な才能を開花させた板垣退助は、自由民権運動に入れ込み中。微妙に困ったおっさん的になってます。時代的には、既に『坂の上の雲』とカブりはじめ、秋山真之は松山でやんちゃしていたころ(真之が上京するのは3年後)。一方、天璋院(篤姫)はまだ存命という、微妙な時代です。

5月、地方増税という伊藤の意を受けた槇村が追徴課税を通達し、議員が激オコのころ、同志社女学校では「ワイフ仕入所」という落書きに八重、みね、初子、みや子らの女性陣も激オコぷんぷん丸。英語を使ってるあたりが同志社関係者の犯行を匂わせますが、あの連中ならカナではなくアルファベットを使いそうな気もします。

初子「結婚のケは汚れのケたい」
みね「え?」
初子「え?」

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大河ドラマ「八重の桜」 第40回 妻のはったり 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/10/06 20:39
今回もまた、ドラマとしては大して面白みのないまったりした展開。民権運動の高まりを背景に、同志社のどうでもいいグダグダエピソードが展開します。同志社がどうのということではなく、A大学だろうがB大学だろうが、自分の出身校でもない大学の校長が困ってた話に興味あります?

明治11年(1878年)7月、府県会の設置決定。というタイミングで、外務省からニイジマジョーに、同志社英学校を廃校にするというメールが届きます。外務卿の寺島宗則に直談判するジョーですが、取り付くしまもありません。さてどうなるのやらと思ったら、後に「廃校は回避された」というセリフであっさりスルー。寺島との会見シーン必要??

明治12年(1879年)3月、悠々自適の楽隠居をキメてる覚馬の下に、府県議会議員当選のお知らせ。3月30日の第一回京都府議会では、初代議長に選出されて槇村イライラ。槇村のイライラっぷりがオーバーアクト過ぎね?という以外、特に感想もない展開です。単に年表を映像化してるだけですしねぇ。

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大河ドラマ「八重の桜」 第39回 私たちの子ども 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/09/29 21:03
今回は面白くありませんでした。八重に反発する生徒。だが、八重の献身的な看病で生徒は心を開き分かり合う。あまりにも使い古された安っすい展開。

しかも、生徒の父は会津戦争時に八重に殺されていた! 自分の罪に心を痛める八重。さらに八重を憎悪する生徒。しかし、八重もまた会津戦争で肉親を奪われた犠牲者であり、会津戦争では双方が傷ついたのだ……と。これまた陳腐な話ですねぇ。特に、八重は薩摩出身者を冷遇して自宅にも招かなかったという逸話と、薩摩もんのリツを自宅で看病するドラマのギャップが気持ち悪い。話のありきたりさと八重の美化っぷりが鼻についた40分でした。

明治10年(1877年)9月、西南戦争終結。平和になったかと思ったら、女学校では徳富初子らとアリス・スタークウェザー先生がバトル。女性が寝具をどうのとか、ああ、異文化摩擦ってやつですね。自分のやり方を相手に押し付けようとする限り、絶対に解決不能な問題ですなぁ。まぁ勝手に揉めててください、って感じです。

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大河ドラマ「八重の桜」 第38回 西南戦争 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/09/22 23:08
明治10年(1877年)2月、今出川のおニュー校舎を訪れるニイジマジョー&八重覚馬西郷から譲り受けた薩摩藩邸跡地ですね。仮校舎だった旧高松保実邸跡地から、いよいよ同志社の本当の発祥の地にやってきた瞬間でした。

そこに、西郷挙兵の知らせを持って駆け込んできた徳富蘇峰。という実に作為的な流れで、たった1回だけの西南戦争編スタート。

西郷挙兵の報に衝撃を受けたのは、覚馬さん。

覚馬「九州全土が戦場になる」

お馬鹿さんの西郷軍は熊本城攻略に妙にこだわる愚行・愚策で消耗しちゃったので、主戦場はほぼ熊本だけですんじゃいましたけどね。まー結果論ですが。逆に、西郷軍の不幸は、熊本城には谷干城、樺山資紀、児玉源太郎、川上操六、奥保鞏などなど、名将が山盛りだったことでしょうか。彼らがいなければ、熊本城は西郷軍の目論見通りあっさり落ちていたのかもしれません。

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大河ドラマ「八重の桜」 第37回 過激な転校生 感想

カテゴリ:八重の桜
日付:2013/09/15 21:51
今回も、割と書くことがなくて困りました。小崎弘道や海老名弾正(喜三郎)らの登場で同志社的、日本キリスト教史的には重要な回ではありますが、私は同志社にもキリスト教にも興味ないですしねぇ。あ、海老名弾正って私の故郷前橋で前橋教会を創立した人か。ちょっと親近感。ドラマでは、「いやなら出てけよゴルァ」なウザキャラでしたが。

明治9年(1876年)1月、新婚初日。プリーズ・コール・ミー・ジョーってことで、「八重さん」「ジョー」で呼び合うことに。これとニイジマジョーのレディーファーストな行動が物議を醸したことは、あまりにも有名ですね。ま、レディーファーストってのは女性を盾にして自分の身を守るために始まった風習なわけですが。

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