大河ドラマ「平清盛」 第19回 鳥羽院の遺言
カテゴリ:平清盛
日時:2012/05/13 22:40
保元の乱&崇徳院の怨霊化に向けて着々と事態が進む今日この頃。乱をめぐる人々の歴史上の動きには忠実なものの、清盛の言動には違和感あり。これまでにも見られた、「清盛の言動だけちぐはぐ」(質問の答えになっていない自分語りや脈絡のない変心など)が今回も発生していたように感じました。
清盛はダークホース雅仁の即位の裏を信西に問いただします。しかしまぁ、元は信西の言とはいえ言いたい放題。
清盛「雅仁様は王家に渦巻く積年の鬱屈より流れ出た膿! 全ての歪みを抱え込んだ毒の巣!」
というか、よく覚えていたなぁ、清盛。第9回の時のセリフだから、16年前のこと。そんな昔に一度聞いただけの悪罵を一言違わずそらんじるとは、凄い記憶力です。誰です? この清盛をアホボンなどと呼んでいるのは。
それはともかく、雅仁の擁立でノリノリの信西に、突然激高する清盛。
清盛「上皇様はどうなる!」
ん? 前回、救いを求める上皇を拒否ってませんでしたっけ? 突然上皇派っすか? 我らがホモ悪左府頼長さんは、順調に失脚中。にもかかわらず、
頼長「ゆうべ夢を見たぞ。再び内覧の宣旨が下る夢じゃ。きっと正夢であろう」
とオウムに語る(笑)頼長さん。前回、信西の策略にあっさり引っかかったり、この人の表面的な道理しか見えない性格は痛々しくもあります。
東国では、義賢(義朝の弟)の大蔵館を甥の義平(義朝の子)が襲撃。大蔵合戦までやるとはなぁ。
こうして友切が義朝の手に渡るわけですが、これに鬼武者が反発。
鬼武者「欲のために身内を殺すもいとわぬ者になるなるばかりではござりませぬか」
そういう鬼武者くんも、長じて身内と争いまくるという皮肉。源氏の共食いは業が深い。
為義さんと喧嘩した義朝は常盤の下へ。3つの今若(阿野全成)と生まれたばかりの乙若(義円)が登場。義経の誕生まで後4年……。
久寿2年(1155年)10月。後白河帝が正式に即位します。そこに侍るは成親&信頼。
公家「帝が一目見てお気に入られたそうな」
(この)信頼も!? 後白河帝、マニアック過ぎないか? というか、この粉を付けすぎた大福みたいな物体は何だ。
宴の場に送られてきた、崇徳院の歌。
あさぼらけ
長き夜を越え
にほひたて
くもゐに見ゆる
敷島の君
縦読みすると「あなにくし」。「咎なくて死す」など、縦読み(というか横読み)は伝統ですね。
崇徳院の恨みの深さに取り乱し、後白河帝の即位取り消しやら退位やらを口走る鳥羽院ですが、それまでキレまくっていた後白河帝は冷静に。
後白河「法皇よ。ここは、私の世じゃ」
前回で、完全にスイッチ入っちゃいましたね。
一方、崇徳院との関係を悔いまくる鳥羽院は、自ら筆写した法華七譬の「長者窮子」を清盛に託します。崇徳院に長者窮子を渡し、鳥羽院が詫びを入れていると語る清盛ですが、とことんスネてしまった崇徳院は長者窮子を切り裂き和解を拒絶。ここで素直になっては立派な怨霊になれません。ここは徹底的にスネていただきましょう。
保元元年(1156年)6月、鳥羽院の病が悪化。信西の進言により、武士に誓詞を出させることになるのですが清盛はそれを拒否。それを受けて、池禅尼は忠正に「いざというときには、そなたが守っておくれ。……亡き殿のお志を」と要請します。保元の乱における忠正敵対のフラグでしょうが、「忠盛の志を忠正が守る」ってどういう意味? この流れで、池禅尼が清盛ではなく忠正に忠盛の志を託す真意がイマイチ不明です。
ここから、清盛の心境の変化が追えなくなっていきます。崇徳の要請を拒否っておきながら、今回唐突に上皇、上皇と言い続ける清盛も既に変ですが。
誓文を書こうとしない清盛に、信西は旗幟を明らかにすることを迫ります。
信西「そなたにとって、最も守るべきものはなにか。守りたいものは何か」
ノベライズでは、ここで
7月2日、鳥羽院危篤。そのとき、崇徳院は雨の中で「説是我子」と書かれた紙を見つけます。久寿2年10月以降、保元元年6月以前に崇徳院が切り裂いた紙がまだ残っていた? おいおい、上皇の住まいは掃除もまともにされていないのですか? それじゃ怨霊化しますわな。紙が透けるほど濡れているのに、にじまない墨もすばらしい。
こうして、史実通り鳥羽院の臨終直前に見舞いに訪れる崇徳院ですが、藤原惟方に阻まれます。『古事談』ベースですかね。惟方は「夜の関白」顕隆の孫で、鳥羽院の側近。ちなみに、「夜の関白」といってもアダルトな意味ではありません。
ここで、清盛登場。崇徳院に宋剣を突きつけ(何という不敬)、崇徳院の前に立ちはだかります。
清盛「私には私の守るべきものがござります」
だから、なぜ鳥羽院と崇徳院の和解まで阻む? もちろん、両者和解のために崇徳院を通してしまったら崇徳院が立派な怨霊になれなくて困るのですが。この場面に清盛を無理にからめたために、彼の言動がおかしくなっているようです。彼が出てこなければ、史実通り惟方に邪魔されて(単に「鳥羽院の遺体を見せなかっただけ」っぽいですが)終了だったのに。清盛が歴史イベントに無理やり絡まされる江化しているようで気の毒です。
・大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
・大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第19回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。
清盛はダークホース雅仁の即位の裏を信西に問いただします。しかしまぁ、元は信西の言とはいえ言いたい放題。
清盛「雅仁様は王家に渦巻く積年の鬱屈より流れ出た膿! 全ての歪みを抱え込んだ毒の巣!」
というか、よく覚えていたなぁ、清盛。第9回の時のセリフだから、16年前のこと。そんな昔に一度聞いただけの悪罵を一言違わずそらんじるとは、凄い記憶力です。誰です? この清盛をアホボンなどと呼んでいるのは。
それはともかく、雅仁の擁立でノリノリの信西に、突然激高する清盛。
清盛「上皇様はどうなる!」
ん? 前回、救いを求める上皇を拒否ってませんでしたっけ? 突然上皇派っすか? 我らがホモ悪左府頼長さんは、順調に失脚中。にもかかわらず、
頼長「ゆうべ夢を見たぞ。再び内覧の宣旨が下る夢じゃ。きっと正夢であろう」
とオウムに語る(笑)頼長さん。前回、信西の策略にあっさり引っかかったり、この人の表面的な道理しか見えない性格は痛々しくもあります。
東国では、義賢(義朝の弟)の大蔵館を甥の義平(義朝の子)が襲撃。大蔵合戦までやるとはなぁ。
こうして友切が義朝の手に渡るわけですが、これに鬼武者が反発。
鬼武者「欲のために身内を殺すもいとわぬ者になるなるばかりではござりませぬか」
そういう鬼武者くんも、長じて身内と争いまくるという皮肉。源氏の共食いは業が深い。
為義さんと喧嘩した義朝は常盤の下へ。3つの今若(阿野全成)と生まれたばかりの乙若(義円)が登場。義経の誕生まで後4年……。
久寿2年(1155年)10月。後白河帝が正式に即位します。そこに侍るは成親&信頼。
公家「帝が一目見てお気に入られたそうな」
(この)信頼も!? 後白河帝、マニアック過ぎないか? というか、この粉を付けすぎた大福みたいな物体は何だ。
宴の場に送られてきた、崇徳院の歌。
あさぼらけ
長き夜を越え
にほひたて
くもゐに見ゆる
敷島の君
縦読みすると「あなにくし」。「咎なくて死す」など、縦読み(というか横読み)は伝統ですね。
崇徳院の恨みの深さに取り乱し、後白河帝の即位取り消しやら退位やらを口走る鳥羽院ですが、それまでキレまくっていた後白河帝は冷静に。
後白河「法皇よ。ここは、私の世じゃ」
前回で、完全にスイッチ入っちゃいましたね。
一方、崇徳院との関係を悔いまくる鳥羽院は、自ら筆写した法華七譬の「長者窮子」を清盛に託します。崇徳院に長者窮子を渡し、鳥羽院が詫びを入れていると語る清盛ですが、とことんスネてしまった崇徳院は長者窮子を切り裂き和解を拒絶。ここで素直になっては立派な怨霊になれません。ここは徹底的にスネていただきましょう。
保元元年(1156年)6月、鳥羽院の病が悪化。信西の進言により、武士に誓詞を出させることになるのですが清盛はそれを拒否。それを受けて、池禅尼は忠正に「いざというときには、そなたが守っておくれ。……亡き殿のお志を」と要請します。保元の乱における忠正敵対のフラグでしょうが、「忠盛の志を忠正が守る」ってどういう意味? この流れで、池禅尼が清盛ではなく忠正に忠盛の志を託す真意がイマイチ不明です。
ここから、清盛の心境の変化が追えなくなっていきます。崇徳の要請を拒否っておきながら、今回唐突に上皇、上皇と言い続ける清盛も既に変ですが。
誓文を書こうとしない清盛に、信西は旗幟を明らかにすることを迫ります。
信西「そなたにとって、最も守るべきものはなにか。守りたいものは何か」
ノベライズでは、ここで
清盛はまだ、鳥羽院と崇徳院に和解してほしいという最後の望みを捨ててはいない。だが、この夜の信西は、清盛の最後の望みを打ち砕こうとしていたとあります。が、鳥羽院&美福門院への忠勤を誓う誓詞と鳥羽院と崇徳院の和解は矛盾しないはず。
7月2日、鳥羽院危篤。そのとき、崇徳院は雨の中で「説是我子」と書かれた紙を見つけます。久寿2年10月以降、保元元年6月以前に崇徳院が切り裂いた紙がまだ残っていた? おいおい、上皇の住まいは掃除もまともにされていないのですか? それじゃ怨霊化しますわな。紙が透けるほど濡れているのに、にじまない墨もすばらしい。
こうして、史実通り鳥羽院の臨終直前に見舞いに訪れる崇徳院ですが、藤原惟方に阻まれます。『古事談』ベースですかね。惟方は「夜の関白」顕隆の孫で、鳥羽院の側近。ちなみに、「夜の関白」といってもアダルトな意味ではありません。
ここで、清盛登場。崇徳院に宋剣を突きつけ(何という不敬)、崇徳院の前に立ちはだかります。
清盛「私には私の守るべきものがござります」
だから、なぜ鳥羽院と崇徳院の和解まで阻む? もちろん、両者和解のために崇徳院を通してしまったら崇徳院が立派な怨霊になれなくて困るのですが。この場面に清盛を無理にからめたために、彼の言動がおかしくなっているようです。彼が出てこなければ、史実通り惟方に邪魔されて(単に「鳥羽院の遺体を見せなかっただけ」っぽいですが)終了だったのに。清盛が歴史イベントに無理やり絡まされる江化しているようで気の毒です。
・大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
・大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第19回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。