大河ドラマ「平清盛」 第11回 もののけの涙

カテゴリ:平清盛
日時:2012/03/18 22:24

今回は、義清が出家した理由を崇徳帝清盛に尋ねるという状況から、前回からさほど日がたっていないころ、ということでしょう。

義清依存症の崇徳帝、頼りにしていた義清には去られ、清盛にはズケズケと黒歴史をほじくり返され、「もののけのごときお方に振り回されるのは御免こうむりたく」などと言い放たれる始末。

清盛、崇徳帝は悪くないだろ。

そんな崇徳帝に重仁親王誕生。ここから始まる王家パートは超ドロドロで、見ていてニヤニヤしてしまいます。楽しいなぁ。

重仁をゲットしてチャーンスとばかり、「血のつながりの薄き者には譲りとうない。上皇様が叔父子の朕を忌み嫌うと同じじゃ」と宣戦布告する崇徳帝。それに対し、にやっと笑う鳥羽院が怖いこと。

崇徳帝の反撃にビビった忠通に対し、重仁を逆に利用する得子がまた怖いこと。 得子の「崇徳帝が躰仁親王に譲位して上皇となり、さらに躰仁の退位後に重仁を帝にすればよい」という口車に乗ってしまうあたり、崇徳帝もヌルい。おっと、disると祟られてしまう。

こうして翌永治元年(1141年)12月7日に崇徳帝が躰仁親王に譲位します。が、譲位の儀式で読み上げられた宣命には「皇太弟」に譲るとなっていたことで崇徳帝(もう上皇とお呼びすべきかな)は驚愕。

崇徳院「弟に譲ったのでは、上皇として政ができぬ!」

ここが、前回の「躰仁親王を崇徳帝の中宮聖子の養子に」が生きてくるところ。躰仁親王は聖子の養子に過ぎず、躰仁親王と崇徳帝の関係は兄弟のまま、ということです。

かくして、治天の君は躰仁親王の父であるツルリン鳥羽法皇のままということに。さすが女狐。それはともかく、法皇の衣装が何だかバスローブみたいで、ブランデーグラスを片手に、膝の上の猫をなでさせたら様になりそうだなぁ……。

年が明けて康治元年(1142年)正月。崇徳の怨霊化フラグを立て続ける女狐が皇后に。

平氏パートは、明子の死に向けて明子の良妻賢母っぷりを猛プッシュ。

盛国の熱視線に気づき、波子との縁談をまとめるてみたり。盛国、波子に良い馬でも買ってもらうんだよ。

と思ったら、飯を手づかみで食い散らかす謎の宴会。清盛のいつものホームパーティーとしては品がなさすぎだな、と思ったら波多野義通館。なるほど、義朝関東ヒャッハーパートか。

こちらは、暴力が支配する、力が正義の世界。武士が半裸にモヒカンでも違和感ありません。義朝が完全に調子こいちゃっているのですが、関東を束ねて「キング」なんて呼ばれてたシンのようなイタさが見ていてツラい。

ちなみに、三浦義明の娘との間に生まれた義平は、かの「悪源太」。藤原頼長の愛人である義賢を討ち取った男です。

再び平氏パート。参詣の帰路、行き倒れの乞食に駆け寄る明子。これが原因で疫病に感染。薬師は「風病」(最初「くる病」に聞こえて??でしたが、字幕を出して納得)と表現していました。

この風病って何でしょう。残念ながら風病は病名ではなく疫病と同じく流行病という意味にすぎません。映像描写やドラマストーリーの記述では、乞食への接触から明子発症までの期間が不明瞭なのが残念。「参詣から帰宅した日の夜」っぽくも見えましたが、それでは潜伏期間が短すぎです。例えば、

・インフルエンザ:1日~4日(1日といっても、24時間くらい)
・天然痘:7日~17日
・麻疹:7日~14日
・マラリア:1週間~4週間(清盛の死因説あり)

天然痘は、明子にあばたも出来ていなかったし、違うでしょう。ちなみに、日本最後の天然痘患者はお笑い芸人オセロの中島知子だとか(ソースはWikipediaw)。

マラリアも、蚊が媒介なので病人に触れた程度では感染しなさそう。ま、病人の近くにいた蚊に刺された可能性はありますが。

やはりインフルエンザあたりでしょうか。当日の夜発症ってのはムリがありますが、翌日以降ならいつでもOKですし(発症がOKってのも変な表現ですが)。にしても、感染力が高すぎるような気も……。汚い清盛&郎党に囲まれて、免疫は豊富でしょうに。

まあ、疫病ならば是非もなし、かと思いきや、

盛国:「疫病を止められぬ朝廷をお恨みなさいませ

えっ。

明子の死まで朝廷のせいにするのはどうかなぁ……。