大河ドラマ「軍師官兵衛」 第15回 播磨分裂 感想

カテゴリ:軍師官兵衛
日時:2014/04/13 21:21

天正6年(1578年)元旦、信長主催のアヅチ・ティーパーティー。茶頭は松井友閑だったのですが、オープニングには特にクレジットはありませんでした。ここにきて、ようやく本能寺後に向けて諸将のキャラ立てが始まり始まり。

秀吉の播磨平定に感心し、評価する丹羽長秀、嫌みを言う滝川一益。長秀が秀吉に好意的になったのは唐突でしたが(秀吉が羽柴姓を名乗ったときは嫌そうな顔をしていた)、このあたりで仲良くしておかないと、清洲会議で長秀が勝家ではなく秀吉につくのがもっと唐突になりますからね。

さらに、ここで秀吉が信長に毛利戦ヘルプを要請する有名な保身術を展開。これのどこが保身術なのかは、おねに語らせる形で視聴者に説明。やたらと説明くさいセリフに苦笑いしてしまいます。ただ、この毛利戦ヘルプ要請のキモは、信長が秀吉の真意まで読んでいながら、それに乗ってやるというところなのですが、江口信長はイマイチ分かってなさそう。 長浜城では、秀吉が松寿丸の具足始を開催。秀吉からの祝いの品である太刀を運ぶのは、いまだ子役の市松虎之助。市松より「1歳だけ年上」の三成は天正3年(第8回)から本役なのに。

という話をオリーブ侍らがしていると、ブラザー櫛橋が黒田家を家庭訪問。鈴と花の親権争いから、また恒例の怒鳴り合いに。怒鳴り合うのって、緊張感もなくてバカっぽいのでやめてほしいな。ここぞというときだけならともかく、このドラマは毎週怒鳴りあいなので萎えます。

鈴と花の親権がそんなにほしかったら、官兵衛と左京進が引っ張り合って決めればいいんじゃね?

上月景貞が家臣に殺されたのも、力が出家したのも、全て官兵衛が仕組んだと思い込んでいる左京進。初期は見下していたくせに、今度は過大評価しすぎ。とんだ買いかぶりです。史実はともかく、このドラマの官兵衛は、上月城攻略戦では何も出来ず宇喜多直家に手玉に取られる無能にすぎなかったわけですが。

(このドラマの)官兵衛がお馬鹿さんな証拠に、このリスク要因たる左京進をノーマーク&放置プレイにしちゃいます。パパ黒田も「左京進殿ひとりでは何もできまい」って調子です。左京進みたいな連中が妄動した場合の備えもしておいてこそ、なんですがねえ。

御着城では、官兵衛が俺たちの政職さんに左京進の件を告げ口。左京進は左京進で、官兵衛の悪口を俺たちの政職さんに吹き込んでいるわけで、俺たちの政職さんも大変です。にしても……

政職「男の悋気は見苦しいのう。左京進は器が小さい」
ここはやはり、お前が言うな! ってツッコんでほしいんだろうな。

村重は石山本願寺で顕如と和睦交渉。ここでの注目は、ご本尊。うん、ちゃんと釈迦如来の座像から阿弥陀如来の立像に変わってますね。

この交渉は最終的に決裂。村重さんはさらに追い詰められます。が、恐れていた信長からの叱責はなし。ただし秀吉の配下に回されてショック。パラメータ的には忠誠度がどんどん下がって謀反まで後一歩という感じです。

2月、播磨に戻った秀吉主催で加古川ミーティング開催。毎度のことながら、官兵衛の要請に快諾しながら欠席する別所長治。君、信長に会いに行ったとき以外、全部ドタキャンかましてるよね。さわやかな笑顔で官兵衛に確約しておきながら。官兵衛も官兵衛で、何回裏切られたら学習するのやら。

で、別所賀相とブラザー櫛橋の扇動でミーティングは大失敗。

小一郎「左京進はおぬしの縁者ではないか。なにゆえつなぎとめておくことができなかったのだ?」

いや、全くです。でも、黒田親子は「左京進には何もできねー」ってナメてかかって放置かましてんたんですよ。バカですね。加古川評定をぶちこわした左京進の方が官兵衛より頭が良く見えます。だって、官兵衛たちが苦労して時間をかけてまとめ上げた播磨を、たった1回の評定でグダグダにしたんですから。

軍師軍使官兵衛、志方城にお使い。ほぼ敵同然の城に少人数で乗り込んで交渉(まー、交渉らしい応酬は全然してなくて、単にお願いしているだけですが)する官兵衛ってシーンも飽きたな。毎回同じような展開ですし。

当然のことならがら、左京進の説得は失敗でエンド。というか、この官兵衛は説得に成功するより拒否られてる方が多いのでは? 軍使としても役に立ってない……。

結局、今回もいいところがまるでなかった官兵衛さんだったのでした。

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