大河ドラマ「軍師官兵衛」 第3回 命の使い道 感想

カテゴリ:軍師官兵衛
日時:2014/01/19 22:32

というわけで、前回の直後からスタート。急を聞きつけ浦上城に駆けつける官兵衛ですが、赤松勢は撤退済み。おたつは官兵衛の腕の中で息を引き取ります。自害したのか赤松兵の手に掛かったのか、ドラマでもノベライズでも直接的な描写がありませんが、ドラマの感じだと赤松兵に刺されたように見えました。官兵衛への想いをあきらめ、「幸せになります」と言って嫁いだ当日にこの有様は不憫でなりません。

なお、浦上清宗小寺(黒田)職隆の娘との婚礼の日に赤松に攻められ討ち死にしており、事件の大枠としては史実通りです。

そのとき、本ドラマの名物、東海からの中継が入ります。何と、竹中半兵衛が稲葉山城をわずかな手勢で乗っ取ったとのこと。まあ、あまりにも有名な話なので委細は省略。それより気になったのはその後のシーン。 場面は播磨。武兵衛とKRD24のメンバー善助が稲葉山城乗っ取りの顛末をやたらに詳しく語ります。桶狭間の戦いのときといい、妙に情報が正確です。テレビやネットが発達した現代でさえ、輸送艦と漁船の衝突の詳細すらイマイチ分からないというのに、斎藤と織田両陣営の動向に以上に詳しい。本能寺の変のときの景勝の書状なんてごらんの有様なんですが。

さて、ドラマとノベライズではエピの順番が若干入れ替えられています。そのため、ノベライズでは銘記されていた年代が、ドラマには出てこず、一体いつのエピをやっているのか曖昧にされています。

まず、竹中半兵衛による稲葉山城乗っ取りが永禄7年(1654年)1月。

御着城で小寺政職と職隆が碁を打ちながら鉄砲購入を決定したのは、ノベライズでは永禄8年(1565年)のある日。

その後、官兵衛は祖父重隆と浜辺で魚を焼きながらトークするわけですが、「ほどなく死亡」した重隆の没年月日は、永禄7年(1564年)2月6日。

ノベライズでは、御着城で左京進とケンカ沙汰→藪で太刀を振り回す→重隆とトーク(重隆死亡)→稲葉山城乗っ取り→政職と職隆が碁という流れ。

ドラマでは、御着城で左京進とケンカ沙汰→藪で太刀を振り回す→稲葉山城乗っ取り→政職と職隆が碁→重隆とトーク(重隆死亡)に変更。

重隆死亡という永禄7年確定の歴史イベントのタイミングが変わったため、永禄8年になかなか入れなかったわけです。重隆との最後の会話に意味を持たせるためには、鉄砲買い付け直前まで遅らせる必要があったのでしょう。でないと、重隆渾身のなだめ、さとし、導きの後も官兵衛は凹み続け、ぼんやりして釣った魚を逃がすことになり、重隆との会話の重要性が薄れてしまいます。

そして官兵衛が買い付けに出発。武兵衛が「金が入っている」といったときの饅頭屋の目。おまわりさん、コイツです。

案の定、饅頭屋に率いられた山賊登場。そこに偶然居合わせた荒木村重。時代劇の定番の流れです。なので省略。

村重から義輝暗殺が語れ、現在が永禄8年5月19日以降であることが確定。義輝さん、ちゃんと畳に刺しておいた太刀を使って切り結び、畳で押し込められてたなぁ。

「飯だ」ってことで、村重に饅頭を差し出す官兵衛。

村重「饅頭は大好物じゃ!」

それはよかった。饅頭好きなら、織田信長との有名なエピも心配ご無用ですね。

こうして、村重の案内で堺へ。出た、大河名物の火を噴く大道芸人。主人公が栄えた町を訪れた際に必ず登場します。つまり、火を噴く大道芸人が出てこない場合は栄えていないということです。

官兵衛の堺訪問は盛りすぎのきらいがありますが、堺は広い世界を知るための象徴ってことなんでしょう。で、

・今井宗久から「木下藤吉郎」の名を聞かされる
・ルイス・フロイスの説教を聞いてキリスト教に触れる

という後の官兵衛に大きな影響を及ぼした要素が注入される、と。

これにて主人公の成長回終了。展開が地味で序盤のワクワク感がイマイチ足りないのが気になるところ。

『播磨灘物語』ベースでやった方がよかったんじゃね?

2014年 大河ドラマ「軍師官兵衛」キャスト(配役)
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