大河ドラマ「八重の桜」 第24回 二本松少年隊の悲劇 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/06/16 21:59

第18回 尚之助との旅 感想」にて、二本松少年隊の話なんかイラネー的なことを書きましたが、結構泣けた24回。八重との交流の必要性は今でも疑問ですが、二本松少年隊の話自体は必要だな、うん。

物語は慶応4年(1868年)5月、覚馬の管見口述筆記の場面から。それを妨害する看守と、それに屈しない覚馬がここのポイントです。

会津の山本家では、八重の生徒たちが集合。この中で唯一白虎隊入りが許されたのは伊東悌次郎(後、戦死)。高木盛之輔は入隊できなかったものの、護衛兵に(生き残る)。山川健次郎は何にもなれず。「学問ばっかりしてたから」というあたり、さすが後の東大総長。 無能頼母が落とされた白河小峰城では、板垣退助隊が合流。この人は軍事の天才ですからねぇ。頼母も、板垣退助に負けたのなら仕方がないなと思えるのですが、白河小峰城が落ちたのは板垣到着前だもんなー。で、板垣が奥州街道を押さえるプランを開陳。そして早速棚倉藩が敗北。

棚倉が落とされたことで、一気にビビった頼母、容保に停戦を願い出ます。さあ、この場面、頼母とそれ以外のどちらに感情移入するかでかなり印象が変わります。私はアンチ頼母なので、以下はその視点で記述。

頼母が並べ立てる事ごとにキレる土佐。

土佐「頼母殿! 泣き言にしか聞こえませぬぞ
うん。土佐の申し条、もっともである。

頼母「なれば! 鉄砲、大砲の補強を何としてもすぐに!」
それができれば苦労はしてないよね。というか、その方法を進言するのが家老の役目だよね。使えねぇな、頼母。

頼母「なれば梶原!反射炉! 反射炉今すぐ造りに行こう!」
土佐「できるならやってる! 今はその金も時もねえ!」
土佐の申し条、もっともである。鉄砲、大砲の補強策のつもりか? 間に合わないって。使えねぇな、頼母。

頼母「土佐~、だからあんとき一刻も早く都を出ていれば」
一同シーン……。

京都守護職を断れなかったのには理由があるわけで、守護職を辞めさせたければそのための手段を提案すべきだった。頼母は辞めろ断れとわめくだけでしたが。とにかくこの人、否定・反対するだけで代案というものを出さない。そりゃ誰も言うことなんか聞いてくれませんよ、こんなヤツの戯言なんて。で、今さら言っても仕方がないことを持ち出しますか。議論を非建設的な方向にするダメダメな発言ですな。頼母みたいなヤツが会社にいたらウザいなー。邪魔だなー。

内蔵助「にしゃに何が分かる。我ら都で戦った。血も流した。筆舌に尽くしがたい屈辱も共に味わった。何も知らないにしゃが出過ぎた口をきくな」
内蔵助の絞り出すようなセリフが泣かせます。そのころ頼母は何をしていたかというと、蟄居といいつつ悠々自適の毎日でしたからねぇ(少なくともドラマでは)。

で、超使えない頼母は白河総督を解任。まぁ、負けるわ文句しか言わないわでは、当然ですな。容保様のご判断は妥当です。

7月、板垣は兵を二本松に進めます。これで会津は奥州街道ののど元を押さえられた形になります。会津ピンチ。

都では春嶽岩倉、木戸相手に太政官を批判しますが、岩倉の「越前殿、全てはご叡慮や」で詰み。帝を押さえられるとどうにもなりません。

同じく都の覚馬は『管見』を完成させます。邪魔していた看守が管見の持ち出しを見て見ぬふりするところが泣かせどころです。

7月29日、二本松。といえば大壇口の戦い。銃太郎率いる二本松少年隊が実戦投入されますが、悲しいかなフルボッコ。新政府軍の指揮官の中には、日露戦争などで活躍する野津道貫もいたのですが、もちろんドラマには出てきません。

城下に撤退してきた少年隊の生き残りは、まず弥助どん率いる薩摩兵と遭遇。子供たちに「よう戦った。家に帰れ」と言って見逃す弥助どんかっこいい。けど、大山が二本松少年隊と遭遇したのかというと???

次の白井隊の話はほぼ史実です。少年隊は長州兵の一隊と遭遇。隊長の白井小四郎は少年隊を見逃しますが、成田才次郎が白井を刺します。才次郎が刀を振り回すためどうにもならず、長州兵は射殺することに……。

二本松少年隊の死を目の当たりにした八重、目つきが変わります。スナイパー覚醒か? 次回は三郎コスみたいですね。

2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
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