大河ドラマ「八重の桜」 第17回 長崎からの贈り物 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/04/28 21:39

ノベライズでは「暗雲迫る」というタイトルだった第17回。孝明天皇の崩御で都の風向きが変わったところではなく、八重がスペンサー銃をゲットしたところにフォーカスしたタイトルになりました。

長崎出張となった覚馬修理。まずは精得館(後の長崎大医学部)のボードウィンによる眼科検診。ここであらためて失明宣告。大河内教授都の目医者の見立ては正しかった!

しょんぼり覚馬の下へ、実にタイミングよく帝崩御のお知らせ到着。こうしてはいられないと、早速向かったのはグラバー邸。長崎といえば、グラバー邸観光は外せません。そこで武器商人グラバーと同席しているのは長州の伊藤俊輔(博文)&薩摩の村田新八。ノベライズにもちゃんと出てくる2人ですが、オープニングのクレジットもなく、劇中も後ろ姿のみ。前回に引き続き、「龍馬メソッド」再びです。 次に、カール・レーマンの下へ。売れ残りのゲベール銃をセールスされてイラ立つ覚馬。元込め式のライフル「チュントナーデル銃」(ドライゼ銃)を一目で気に入り、1000挺の大人買いを要求します。が、レーマンに拒否られて逆上。

失明に焦る覚馬を立ち直らせたのは、修理の言葉。

修理「目だけしか、ないのですか? 私は五体すべてをかけて殿にお仕えしている」

若いのになかなかいいことを言う、と思ったのですが修理と覚馬の年齢差は6歳。梶原平馬より年上です。

慶応3年(1867年)春、容保に帰国が許されます。照姫まで駆り出して、容保の一時帰国に和む会津陣営の描写。ここは今回の見所につながるところです。

山本家では、三郎が様式調練修行生に選ばれて江戸に上ることに。喜びながら寂しげな表情を浮かべる八重はうまかった。さらに、「小田山からはお城がよく見える」という三郎のセリフを伏線にする脚本もうまい。

そうこうしているうちに、覚馬たちの長崎出張も終わり。この出張中になぜか総髪にした覚馬さんです。レーマンとの友情も芽生え、スペンサー銃をプレゼントされます。

5月。久々の倒幕陣営シーン。吉之助の下へ、「板垣死すとも自由は死せず」(けど死ななかった)で有名な乾(板垣)退助が訪問。単刀直入に書けば、「薩長同盟に土佐も入れてね」というお話。ノベライズでも1ページと1行という短いシーンですが、ドラマではさらにセリフが削られていました。

6月、容保の養子である余九麿が元服し、兄の慶喜から「喜」の偏諱を受けて「喜徳」と名乗ることに。この人は、さらに守山藩主 松平頼之の養子になっちゃいますが。

容保「これで、それがしの名代として京都の守護を預けられまする」
慶喜「そのことじゃが、国許に戻るのは、しばらく待ってくれぬか」

出た! 俺たちの慶喜さんの得意技、朝令暮改、ちゃぶ台返し。小泉慶喜さん、楽しすぎる。

容保の一時帰国差し止めを聞いた覚馬も、会津への一時帰国は断念。代わりに長崎土産を送ります。こうして、八重の手にスペンサー銃が到着。

権八「よほど慌てて書いたのか、覚馬の字、ずいぶん乱れてる」

これで、視力の低下が進んでいること、家族には目のことは伝えていないことが分かりますね。

三郎の言葉が気になっていた尚之助。小田山が鶴ヶ城の弱点であることに気づきます。そして、会津が攻撃された場合を想定し、防衛の要衝と目したのが

白河の関

まぁ妥当な判断ですね。というか、陸奥に通じる東山道の要衝だから関所がもうけられたわけで、あらためて検討するまでもなく最重要防衛拠点です。

会津戦争時にここを守ったのが、西郷頼母。「守備側が圧倒的に有利」なのは軍事上の常識ですが、ここを「圧倒的少数の新政府軍」に落とされちゃいます。頼母、使えねぇ……。