大河ドラマ「八重の桜」 第15回 薩長の密約 感想
カテゴリ:八重の桜
日時:2013/04/14 21:15
1865年7月20日、ニイジマジョーがボストンに到着。
船員(アメリカ人?)の「君の新天地だ」は、前回ラストの秋月の「蝦夷地がわしの新天地だ」と対応している気がします。
余談ながら、オダギリジョーが日本を離れるときの衣装が、新島襄がそのときに着ていた衣装を再現していたことを後で知りました。新島襄の写真とオダギリジョー出国時の場面を見比べてみると、その再現度に感心させられます。
そして場面は日本の御所。朝議に出てこない二条斉敬にイラつく慶喜、辞任をもって脅迫し、ようやく第二次長州征伐の勅が下ります(慶応元年、1865年9月21日)。見ている私が慣れたからか、小泉孝太郎がうまくなったのか、ルックスとインチキくさいところ以外も慶喜っぽくなってきました。 翌慶応2年(1866年)元旦。山本家は庭の氏神に山本・川崎両家の家内安全、無病息災を祈願。まぁ全然叶わないわけですが。
単身赴任中の覚馬は、佐川ら別撰組と同行中に新選組と遭遇。挑発的な態度の佐川ですが、狼藉を働く幕兵の髻だけを切り落とした斉藤の腕に感心。これをきっかけに態度を改めます。「武辺者キャラ」にありがちな性格設定ですね。ちと記号的ですが佐川にはピッタリで分かりやすい。
この騒ぎの後、西郷&大久保コンビが向かった先で待っていた男。後ろ姿だけでしたが背中の家紋は間違いなく「組み合わせ桝に桔梗」。坂本家の家紋です。
坂本龍馬に見送られて薩摩コンビが会ったのは木戸貫治(桂小五郎)。ドラマでの久坂のキャラ立ちが弱くて脳内補完が必要でしたが、それでもミッチーの演技で意地を張らねばならない心境は伝わってきます。パパパパパフィーに出ていたころのミッチーから、こんな役者になるとは想像できませんでした。
ドラマでの薩長同盟のシーンはここでおしまい。ノベライズでは、木戸が薩摩コンビに頭を下げると、龍馬が襖を開けて、
龍馬「話は決まったがか?」
西郷「おかげさあで、まとまりもした」
龍馬「まっことめでたいねや」
というくだりがあるのですが、カット。このわずかな出番とセリフのためにサプライズゲストをキャスティングすると予想していたのですが、逆に龍馬の登場については「分かる人には分かる」レベルにフッたようです。個人的には、幕末史における龍馬の存在はあまり重視していないので、これでも十分あるいは一切出てこなくてもよかったくらいですが。
斉藤の腕が気に入った佐川さん、新選組への偏見をすっかり捨てて、新選組屯所で交流試合。
土方「さすがですな。別撰組はみなお強い」
という称賛にうれしそうな佐川さん。分かりやすいキャラです。
6月7日、第二次長州征伐開始。征長軍15万 vs. 長州軍1万。が、井伊の赤備え含めて各戦線で征長軍がボコられる始末。イラつく慶喜がいい感じ。
この長州の強さとして、長州が使っているミニエー銃(『八重の桜』に登場しそうな銃まとめ(火縄銃からスペンサー銃まで)参照)の性能を解説する覚馬。が、視界が欠けて弾丸を取り損ねます。別の藩士に試射を任せてごまかしますが、覚馬の異変に気づいている人もいたのでした。
夏。覚馬と修理を呼び出した田中土佐は、2人に長崎出張を命じます。修理には、長崎に出入りしている他藩の様子を探ること、覚馬には新式銃の買い付けと眼科検診。
土佐「にしゃの目は、会津になくてはならぬ。治すこともお役目と思え」
7月20日、将軍家茂死亡。後継として慶喜の名が挙がりますが、慶喜は固辞。こんなときは幕末の説得マン、春嶽の出番です。
が、容保に通じた説得術は、二心殿には通じません。宗家継承は受けるが、将軍職は辞退すると決意を語る慶喜です。ここから、慶喜大活躍の連続です。
8月8日、参内した慶喜は自ら出陣すると奏上し、孝明天皇から節刀を賜ります。さらに大坂城で旗本を集め、
慶喜「徳川宗家が出馬するからは、たとえ千騎が一騎となるとも、勝負が決するまでは一歩も引かぬ。命を惜しまぬ者は、余と共に出陣せよ!」
と、見事な演説で士気を高めます。扇動者としては上出来。
これに不信感を抱く覚馬と大蔵ですが、長州征伐の成功で自分の値をつり上げてから将軍に就任するつもりだろうと、容保以下会津の面々は慶喜の勝利に期待する雰囲気が漂います。
それから3日後の8月11日、慶喜が出陣を取り消し、休戦の協議に入ると朝廷に願い出ます。
さすが慶喜! 俺たちにできないことを平然とやってのけるッ。
そこにシビれる! あこがれるゥ!
・2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
・大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
もご利用ください。
船員(アメリカ人?)の「君の新天地だ」は、前回ラストの秋月の「蝦夷地がわしの新天地だ」と対応している気がします。
余談ながら、オダギリジョーが日本を離れるときの衣装が、新島襄がそのときに着ていた衣装を再現していたことを後で知りました。新島襄の写真とオダギリジョー出国時の場面を見比べてみると、その再現度に感心させられます。
そして場面は日本の御所。朝議に出てこない二条斉敬にイラつく慶喜、辞任をもって脅迫し、ようやく第二次長州征伐の勅が下ります(慶応元年、1865年9月21日)。見ている私が慣れたからか、小泉孝太郎がうまくなったのか、ルックスとインチキくさいところ以外も慶喜っぽくなってきました。 翌慶応2年(1866年)元旦。山本家は庭の氏神に山本・川崎両家の家内安全、無病息災を祈願。まぁ全然叶わないわけですが。
単身赴任中の覚馬は、佐川ら別撰組と同行中に新選組と遭遇。挑発的な態度の佐川ですが、狼藉を働く幕兵の髻だけを切り落とした斉藤の腕に感心。これをきっかけに態度を改めます。「武辺者キャラ」にありがちな性格設定ですね。ちと記号的ですが佐川にはピッタリで分かりやすい。
この騒ぎの後、西郷&大久保コンビが向かった先で待っていた男。後ろ姿だけでしたが背中の家紋は間違いなく「組み合わせ桝に桔梗」。坂本家の家紋です。
坂本龍馬に見送られて薩摩コンビが会ったのは木戸貫治(桂小五郎)。ドラマでの久坂のキャラ立ちが弱くて脳内補完が必要でしたが、それでもミッチーの演技で意地を張らねばならない心境は伝わってきます。パパパパパフィーに出ていたころのミッチーから、こんな役者になるとは想像できませんでした。
ドラマでの薩長同盟のシーンはここでおしまい。ノベライズでは、木戸が薩摩コンビに頭を下げると、龍馬が襖を開けて、
龍馬「話は決まったがか?」
西郷「おかげさあで、まとまりもした」
龍馬「まっことめでたいねや」
というくだりがあるのですが、カット。このわずかな出番とセリフのためにサプライズゲストをキャスティングすると予想していたのですが、逆に龍馬の登場については「分かる人には分かる」レベルにフッたようです。個人的には、幕末史における龍馬の存在はあまり重視していないので、これでも十分あるいは一切出てこなくてもよかったくらいですが。
斉藤の腕が気に入った佐川さん、新選組への偏見をすっかり捨てて、新選組屯所で交流試合。
土方「さすがですな。別撰組はみなお強い」
という称賛にうれしそうな佐川さん。分かりやすいキャラです。
6月7日、第二次長州征伐開始。征長軍15万 vs. 長州軍1万。が、井伊の赤備え含めて各戦線で征長軍がボコられる始末。イラつく慶喜がいい感じ。
この長州の強さとして、長州が使っているミニエー銃(『八重の桜』に登場しそうな銃まとめ(火縄銃からスペンサー銃まで)参照)の性能を解説する覚馬。が、視界が欠けて弾丸を取り損ねます。別の藩士に試射を任せてごまかしますが、覚馬の異変に気づいている人もいたのでした。
夏。覚馬と修理を呼び出した田中土佐は、2人に長崎出張を命じます。修理には、長崎に出入りしている他藩の様子を探ること、覚馬には新式銃の買い付けと眼科検診。
土佐「にしゃの目は、会津になくてはならぬ。治すこともお役目と思え」
7月20日、将軍
が、容保に通じた説得術は、二心殿には通じません。宗家継承は受けるが、将軍職は辞退すると決意を語る慶喜です。ここから、慶喜大活躍の連続です。
8月8日、参内した慶喜は自ら出陣すると奏上し、孝明天皇から節刀を賜ります。さらに大坂城で旗本を集め、
慶喜「徳川宗家が出馬するからは、たとえ千騎が一騎となるとも、勝負が決するまでは一歩も引かぬ。命を惜しまぬ者は、余と共に出陣せよ!」
と、見事な演説で士気を高めます。扇動者としては上出来。
これに不信感を抱く覚馬と大蔵ですが、長州征伐の成功で自分の値をつり上げてから将軍に就任するつもりだろうと、容保以下会津の面々は慶喜の勝利に期待する雰囲気が漂います。
それから3日後の8月11日、慶喜が出陣を取り消し、休戦の協議に入ると朝廷に願い出ます。
さすが慶喜! 俺たちにできないことを平然とやってのけるッ。
そこにシビれる! あこがれるゥ!
・2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
・大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
もご利用ください。