大河ドラマ「平清盛」 第47回 宿命の敗北 感想
カテゴリ:平清盛
日時:2012/12/02 21:28
今回は有名エピ満載。このあたりになると映像化の機会も多いので、従来作品とも比較できます。また、『草燃える』に次いで東国武士がゾロゾロ出てくるのも楽しいところ。ただ、キャスティングすること自体が目的になっていないか? という気がしないでもないのですが。
本編は治承4年(1180年)9月5日から。清盛が頼朝追討の総大将として、ルックスが微妙に残念な維盛を指名します。光源氏に例えられ、兼実さんにも「容顔美麗、尤も歎美するに足る」と書かれた維盛がどうしてこうなった。
これに先立つ8月23日には、有名な石橋山の戦いがありました。頼朝は三浦との合流を大庭景親、伊東祐親に阻まれて惨敗、敗走します。こうして、後に頼朝に下り義経と対立する梶原景時との出会いエピソード発生。頼朝が洞窟に隠れていたところ、景時に見つかって「頼朝ピーンチ」。が、景時が見逃してくれて九死に一生を得たという話です。『義経』では、頼朝らが隠れている洞窟にネジネジ景時が1人で入ってきて、むしろ「景時ピーンチ」。景時が頼朝らに袋にされるのではと、ハラハラしたものです。『平清盛』では入り口から中を覗いただけなので、ちゃんと「頼朝ピーンチ」に見えました。 頼朝の挙兵を知った義経は、参陣希望。秀衡に反対され、主従でウィリアム・テルごっこ。
石橋山での敗走から、房総半島に渡った頼朝は下総入り。ここでまた有名イベント発生。大群を率いて調子こいていた上総広常の遅参を叱責して主導権を握る、頼朝のかっこいいエピソードの1つですね。高杉亘が広常とはなかなかいいキャスティング。『草燃える』の小松方正も、いい感じでウザくてハマってましたが。
で、この広常。率いてきた2000騎(『吾妻鑑』では2万騎)を背景に尊大に振る舞うわけですが、頼朝はありがたがりもせず、恐れ入ったりもしません。
頼朝「遅参したうえに下馬もせぬような者は信ずるに値せぬ。もののふの道をわきまえぬ愚か者の2000騎などなんの役に立つ。はよう去ね!」
これで追い返されては立つ瀬がない広常、頼朝に平伏して参陣を許されるしかなかったというわけです。まぁ、調子こいたキャラが直ったわけでもなく、尊大な振る舞いが祟って後に頼朝に謀殺(実行犯は梶原景時)されちゃうわけですが。
着々と体制を整える頼朝陣営に対する維盛軍は、「日柄が悪い」と主張する忠清によって足止め中。最後の捨て身の諫言も含めて、日柄を気にしない平家をもっともらしく非難していましたが、この間に武田信義が挙兵するなど、忠清の主張は時間の浪費にすぎませんでした。富士川では兵糧不足に悩まされていたことから、忠清は日柄なんぞを気にする前に兵糧の手配を考えるべきだったのでは。まぁ、兵糧不足の責任が忠清だったかどうかはともかく、出陣の日柄を巡って維盛と対立したのは事実のようです。
10月7日、頼朝は鎌倉入り。政子が用意した酒宴も断り、早々に出陣。日柄なんぞを気にしている愚か者とは雲泥の差のスピード感です。
10月20日、頼朝が富士川東岸に布陣し、武田の2000騎と合流。一方、西岸に布陣した平家方は脱走と兵糧不足、士気低下で困窮。遊女を引き入れる指示を出した維盛も問題ですが、この惨状にならないように後見するのが忠清の役目では……。偉そうに諫言してましたが、コイツにも相当責任があるような。
こうして、水鳥の羽音にビビって敗走する平家のエピに。ここはもう、演出も大して代わり映えせず、特にコメントなし。
あまりのあっけなさに、記憶の中の清盛&平家とのギャップに戸惑う頼朝。
頼朝「いったい、あのお方はどのような20年を過ごしたのであろうか」
ここで義経が参陣するので、頼朝が戸惑っていたのは黄瀬川ってことですね。
戦勝に沸く源氏方に対し、平家はというと清盛の激怒劇。まずは維盛がボコられます。
こうして忠清の死を覚悟した諫言スタートなわけですが、富士川のくだりはちょっと微妙。
忠清「出陣には吉凶の日取りも選ばず」
時代的にそれが必要なのは分かるけど、忠清のせいで時間を浪費したよね。
忠清「兵の進退も心得ず」
史実の忠清は再三撤退を進言したそうですが、ドラマではそんなくだりはなかったはず。兵糧不足になっても特に進退について進言せず、自身が後見すべき総大将を非難しますか……。
忠清「陣中に遊び女を入れ」
まぁ、これはルックスが微妙な維盛の責任かも。忠清は特に代案も出さなかったけど。
忠清「平家はもはや武門ではござりませぬ。殿ご自身が、もはや武士ではござりませぬ。殿の目指した武士の世は、武士のままでは、つくれぬものにござりました」
これは同意。そして、痛いところを突かれた清盛は、忠清を斬ろうとして宋剣を振り上げ、重みで転倒します。
心の軸を失い、体の軸を失っていたことを悟る清盛でした。
・大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
・大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第47回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。
本編は治承4年(1180年)9月5日から。清盛が頼朝追討の総大将として、ルックスが微妙に残念な維盛を指名します。光源氏に例えられ、兼実さんにも「容顔美麗、尤も歎美するに足る」と書かれた維盛がどうしてこうなった。
これに先立つ8月23日には、有名な石橋山の戦いがありました。頼朝は三浦との合流を大庭景親、伊東祐親に阻まれて惨敗、敗走します。こうして、後に頼朝に下り義経と対立する梶原景時との出会いエピソード発生。頼朝が洞窟に隠れていたところ、景時に見つかって「頼朝ピーンチ」。が、景時が見逃してくれて九死に一生を得たという話です。『義経』では、頼朝らが隠れている洞窟にネジネジ景時が1人で入ってきて、むしろ「景時ピーンチ」。景時が頼朝らに袋にされるのではと、ハラハラしたものです。『平清盛』では入り口から中を覗いただけなので、ちゃんと「頼朝ピーンチ」に見えました。 頼朝の挙兵を知った義経は、参陣希望。秀衡に反対され、主従でウィリアム・テルごっこ。
石橋山での敗走から、房総半島に渡った頼朝は下総入り。ここでまた有名イベント発生。大群を率いて調子こいていた上総広常の遅参を叱責して主導権を握る、頼朝のかっこいいエピソードの1つですね。高杉亘が広常とはなかなかいいキャスティング。『草燃える』の小松方正も、いい感じでウザくてハマってましたが。
で、この広常。率いてきた2000騎(『吾妻鑑』では2万騎)を背景に尊大に振る舞うわけですが、頼朝はありがたがりもせず、恐れ入ったりもしません。
頼朝「遅参したうえに下馬もせぬような者は信ずるに値せぬ。もののふの道をわきまえぬ愚か者の2000騎などなんの役に立つ。はよう去ね!」
これで追い返されては立つ瀬がない広常、頼朝に平伏して参陣を許されるしかなかったというわけです。まぁ、調子こいたキャラが直ったわけでもなく、尊大な振る舞いが祟って後に頼朝に謀殺(実行犯は梶原景時)されちゃうわけですが。
着々と体制を整える頼朝陣営に対する維盛軍は、「日柄が悪い」と主張する忠清によって足止め中。最後の捨て身の諫言も含めて、日柄を気にしない平家をもっともらしく非難していましたが、この間に武田信義が挙兵するなど、忠清の主張は時間の浪費にすぎませんでした。富士川では兵糧不足に悩まされていたことから、忠清は日柄なんぞを気にする前に兵糧の手配を考えるべきだったのでは。まぁ、兵糧不足の責任が忠清だったかどうかはともかく、出陣の日柄を巡って維盛と対立したのは事実のようです。
10月7日、頼朝は鎌倉入り。政子が用意した酒宴も断り、早々に出陣。日柄なんぞを気にしている愚か者とは雲泥の差のスピード感です。
10月20日、頼朝が富士川東岸に布陣し、武田の2000騎と合流。一方、西岸に布陣した平家方は脱走と兵糧不足、士気低下で困窮。遊女を引き入れる指示を出した維盛も問題ですが、この惨状にならないように後見するのが忠清の役目では……。偉そうに諫言してましたが、コイツにも相当責任があるような。
こうして、水鳥の羽音にビビって敗走する平家のエピに。ここはもう、演出も大して代わり映えせず、特にコメントなし。
あまりのあっけなさに、記憶の中の清盛&平家とのギャップに戸惑う頼朝。
頼朝「いったい、あのお方はどのような20年を過ごしたのであろうか」
ここで義経が参陣するので、頼朝が戸惑っていたのは黄瀬川ってことですね。
戦勝に沸く源氏方に対し、平家はというと清盛の激怒劇。まずは維盛がボコられます。
こうして忠清の死を覚悟した諫言スタートなわけですが、富士川のくだりはちょっと微妙。
忠清「出陣には吉凶の日取りも選ばず」
時代的にそれが必要なのは分かるけど、忠清のせいで時間を浪費したよね。
忠清「兵の進退も心得ず」
史実の忠清は再三撤退を進言したそうですが、ドラマではそんなくだりはなかったはず。兵糧不足になっても特に進退について進言せず、自身が後見すべき総大将を非難しますか……。
忠清「陣中に遊び女を入れ」
まぁ、これはルックスが微妙な維盛の責任かも。忠清は特に代案も出さなかったけど。
忠清「平家はもはや武門ではござりませぬ。殿ご自身が、もはや武士ではござりませぬ。殿の目指した武士の世は、武士のままでは、つくれぬものにござりました」
これは同意。そして、痛いところを突かれた清盛は、忠清を斬ろうとして宋剣を振り上げ、重みで転倒します。
心の軸を失い、体の軸を失っていたことを悟る清盛でした。
・大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
・大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第47回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。