大河ドラマ「平清盛」 第44回 そこからの眺め 感想
カテゴリ:平清盛
日時:2012/11/11 21:26
今回は、重盛の死を発端とする治承三年の政変の回です。よく知られた展開なので大枠は特に引っかかることもありません。ただ、そもそも存在自体がオカルト気味な松田聖子で「世にも奇妙な物語」的なテイストを入れたところが新しいかな?
治承3年(1179年)、東国。頼朝・政子夫妻には前年に大姫が誕生していました。後に不幸になる娘ですが、『平清盛』では木曽義仲のくだりは端折るので大姫の出番はこれで終わりでしょう。
頼朝親子を眺めるは、相変わらず北条館で東国ミーティング中の三浦と佐々木。
一方、重盛と盛子はそれぞれ病床に。盛子を通じて摂関家領を平家に横領されている基房さん。
後白河「本来なら藤原氏長者のそちが引き取るべきものであろう」
と基房の不満を煽ります。平家による横領を献策した邦綱の黒幕は後白河だというのに……。
後白河「清盛に、都から離れたところにいてもらおうぞ」 そして、このタイミングで清盛に厳島詣でをリクエストする花山院忠雅。これにより、忠雅を連れて厳島に行くことになった清盛。忠雅は、アノ悪左府藤原頼長さんの男色相手(藤原頼長男色系図参照)にして、娘は基房の妻という人物。忠雅のリクエスト自体が後白河&基房タッグのによるものなのは明白ですね。
で、清盛が不在中の6月17日に盛子が死亡。早速後白河&基房タッグが動き、摂関家領は後白河の預かりとなっていまいます。
清盛「ここで我らの財を削ごうとされるとは」
まぁ、後白河近臣を陥れて流罪にするなど、後白河に先に手を出したのは清盛なんですけどね。
清盛不在、重盛病床の平家の描写は、ドラマでは若干カットされているようです。まずは重盛の代行者選定ミーティングで、宗盛を立てる時忠と維盛を立てる忠清の意見が対立。ドラマでは、
時子「時忠、控えよ」
で保留になりましたが、ノベライズでは続きがあります。宗盛を立てるため正妻正統論を唱える時忠に対して、頼盛が「清盛兄上こそが正妻の子でもなく棟梁となられたお方」と反論。さらに、
教盛「(時忠は)われら武門の平家とはいささか縁遠いお方」
と部外者扱い。さらに、
経盛「時忠殿のやりようには、時についてゆけませぬ。とりわけあの禿の一件……」
と痛いところを突き、時忠も「一切、口出しいたしませぬ」とキレ、一門に亀裂が生じ始めるくだりがあります。
その後、重盛が兄弟と子どもを集めて遺言した後に、またもやカットシーン。時忠にあおられてその気になり始めている宗盛ですが、教盛と経盛の会話を立ち聞きしてしまいます。
教盛「やはり宗盛ということにならざるを得ぬかのう」
経盛「しかし……宗盛につとまるのか」
教盛「人はよいが、際だったところがないゆえのう……」
経盛「いささか心もとない」
これでは宗盛もひねくれますねぇ。今後、馬の件で余計なもめ事を作ったりしますし。
6月21日、重盛の病床に突然現れた後白河。重盛の願いを問い、
後白河「あいわかった。約束しようぞ」
と、受け入れたかと思ったら、
後白河「ただし……これに勝ったらの」
と双六勝負を要求します。ドSです。
必死に賽を振る瀕死の重盛を楽しそうに眺める後白河。ドSです。
後白河「ほれ、早うよい目を出さぬと負けてしまうぞ。平家の安泰は望めぬぞ」
ドSです。
そこへ現れる清盛。
清盛「お戯れが……過ぎましょう」
ここで、重盛と双六をめぐる過去の因縁を語る後白河。
後白河「そち(重盛)は1人で生き、1人で死んでいくのじゃ」
双六盤の上の駒をなぎ払う後白河。ここで回想シーンを交互に使いつつシームレスにつなぐ演出・編集はお見事。
重盛「ああ……とく…死なばや」(早く死にたい)
重盛の有名なセリフですね。
7月29日、重盛死亡。重盛の遺体の喉がピクピク動いていたのが若干気になりましたが。ハイビジョンって残酷。
清盛は盛子の子である基通を権中納言に推挙しますが、10月9日、権中納言となったのは基房の子師家。平家に喧嘩を売るに等しい基房の行為に驚く兼実さん。これだけにとどまらず、重盛の知行国である越前を後白河がボッシュート。
11月14日、清盛は福原から兵を率いて上洛。基房、師家は解官され、基房は大宰権帥になります。さらに17日の除目で39人を解官。11月20日には後白河を幽閉します。
治承三年の政変完了です。清盛と後白河の、「どっちが先に相手をキレさすか」競争のひとまずの決着といったところでしょうか。この後、高倉「院」の死で再びややこしくなるわけですが。
徳子への謁見の帰り、廊下で祇園女御改め乙前改め「祇園女御」に出会う清盛。
祇園女御「ついにのぼられましたな、この世の頂に。いかがにござりますか? そこからの眺めは」
清盛「いたってよい眺めにござります」
祇園女御「もう……お会いすることもござりますまい」
立ち去った祇園女御を振り返ると、見えるのは無人の廊下……。
「乙前」ではなく「祇園女御」だったこと、一応はフケていた乙前に対し、白河院在世時のような黒髪だった今回の祇園女御。普通に解釈すれば、前回の病床時から今回までの間に祇園女御/乙前は死んでいて、今回清盛の前に現れたのはその後の彼女、といったところか。得意絶頂の清盛の心が生み出した影、でもいいのですが。
12月、東宮言仁が西八条に行啓。浮かれまくりの清盛。言仁が障子に穴を開けても大喜び。親バカというか祖父バカ。
祇園女御「いかがにござりますか? そこからの眺めは」
穴を覗く清盛。
さて、清盛が見た眺めとは? 全ては視聴者の解釈しだいです。
祇園女御「いかがにござりますか? そこからの眺めは」
・大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
・大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第44回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。
治承3年(1179年)、東国。頼朝・政子夫妻には前年に大姫が誕生していました。後に不幸になる娘ですが、『平清盛』では木曽義仲のくだりは端折るので大姫の出番はこれで終わりでしょう。
頼朝親子を眺めるは、相変わらず北条館で東国ミーティング中の三浦と佐々木。
一方、重盛と盛子はそれぞれ病床に。盛子を通じて摂関家領を平家に横領されている基房さん。
後白河「本来なら藤原氏長者のそちが引き取るべきものであろう」
と基房の不満を煽ります。平家による横領を献策した邦綱の黒幕は後白河だというのに……。
後白河「清盛に、都から離れたところにいてもらおうぞ」 そして、このタイミングで清盛に厳島詣でをリクエストする花山院忠雅。これにより、忠雅を連れて厳島に行くことになった清盛。忠雅は、アノ悪左府藤原頼長さんの男色相手(藤原頼長男色系図参照)にして、娘は基房の妻という人物。忠雅のリクエスト自体が後白河&基房タッグのによるものなのは明白ですね。
で、清盛が不在中の6月17日に盛子が死亡。早速後白河&基房タッグが動き、摂関家領は後白河の預かりとなっていまいます。
清盛「ここで我らの財を削ごうとされるとは」
まぁ、後白河近臣を陥れて流罪にするなど、後白河に先に手を出したのは清盛なんですけどね。
清盛不在、重盛病床の平家の描写は、ドラマでは若干カットされているようです。まずは重盛の代行者選定ミーティングで、宗盛を立てる時忠と維盛を立てる忠清の意見が対立。ドラマでは、
時子「時忠、控えよ」
で保留になりましたが、ノベライズでは続きがあります。宗盛を立てるため正妻正統論を唱える時忠に対して、頼盛が「清盛兄上こそが正妻の子でもなく棟梁となられたお方」と反論。さらに、
教盛「(時忠は)われら武門の平家とはいささか縁遠いお方」
と部外者扱い。さらに、
経盛「時忠殿のやりようには、時についてゆけませぬ。とりわけあの禿の一件……」
と痛いところを突き、時忠も「一切、口出しいたしませぬ」とキレ、一門に亀裂が生じ始めるくだりがあります。
その後、重盛が兄弟と子どもを集めて遺言した後に、またもやカットシーン。時忠にあおられてその気になり始めている宗盛ですが、教盛と経盛の会話を立ち聞きしてしまいます。
教盛「やはり宗盛ということにならざるを得ぬかのう」
経盛「しかし……宗盛につとまるのか」
教盛「人はよいが、際だったところがないゆえのう……」
経盛「いささか心もとない」
これでは宗盛もひねくれますねぇ。今後、馬の件で余計なもめ事を作ったりしますし。
6月21日、重盛の病床に突然現れた後白河。重盛の願いを問い、
後白河「あいわかった。約束しようぞ」
と、受け入れたかと思ったら、
後白河「ただし……これに勝ったらの」
と双六勝負を要求します。ドSです。
必死に賽を振る瀕死の重盛を楽しそうに眺める後白河。ドSです。
後白河「ほれ、早うよい目を出さぬと負けてしまうぞ。平家の安泰は望めぬぞ」
ドSです。
そこへ現れる清盛。
清盛「お戯れが……過ぎましょう」
ここで、重盛と双六をめぐる過去の因縁を語る後白河。
後白河「そち(重盛)は1人で生き、1人で死んでいくのじゃ」
双六盤の上の駒をなぎ払う後白河。ここで回想シーンを交互に使いつつシームレスにつなぐ演出・編集はお見事。
重盛「ああ……とく…死なばや」(早く死にたい)
重盛の有名なセリフですね。
7月29日、重盛死亡。重盛の遺体の喉がピクピク動いていたのが若干気になりましたが。ハイビジョンって残酷。
清盛は盛子の子である基通を権中納言に推挙しますが、10月9日、権中納言となったのは基房の子師家。平家に喧嘩を売るに等しい基房の行為に驚く兼実さん。これだけにとどまらず、重盛の知行国である越前を後白河がボッシュート。
11月14日、清盛は福原から兵を率いて上洛。基房、師家は解官され、基房は大宰権帥になります。さらに17日の除目で39人を解官。11月20日には後白河を幽閉します。
治承三年の政変完了です。清盛と後白河の、「どっちが先に相手をキレさすか」競争のひとまずの決着といったところでしょうか。この後、高倉「院」の死で再びややこしくなるわけですが。
徳子への謁見の帰り、廊下で祇園女御改め乙前改め「祇園女御」に出会う清盛。
祇園女御「ついにのぼられましたな、この世の頂に。いかがにござりますか? そこからの眺めは」
清盛「いたってよい眺めにござります」
祇園女御「もう……お会いすることもござりますまい」
立ち去った祇園女御を振り返ると、見えるのは無人の廊下……。
「乙前」ではなく「祇園女御」だったこと、一応はフケていた乙前に対し、白河院在世時のような黒髪だった今回の祇園女御。普通に解釈すれば、前回の病床時から今回までの間に祇園女御/乙前は死んでいて、今回清盛の前に現れたのはその後の彼女、といったところか。得意絶頂の清盛の心が生み出した影、でもいいのですが。
12月、東宮言仁が西八条に行啓。浮かれまくりの清盛。言仁が障子に穴を開けても大喜び。親バカというか祖父バカ。
祇園女御「いかがにござりますか? そこからの眺めは」
穴を覗く清盛。
さて、清盛が見た眺めとは? 全ては視聴者の解釈しだいです。
祇園女御「いかがにござりますか? そこからの眺めは」
・大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
・大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第44回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。