大河ドラマ「平清盛」 第43回 忠と孝のはざまで 感想
カテゴリ:平清盛
日時:2012/11/04 21:20
鹿ヶ谷の陰謀の後始末として、重盛が幽閉中の成親に会いに来たところから始まる今回。ノベライズによると、前回の西光フルボッコ直後のシーンがあったようです。西光の「そなたの国づくりは志ではなく、復習だからじゃ」という言葉に、重衡、知盛、教盛らが「裏切り者の世迷い言」と、自身に言い聞かせるように話し合います。が、ある意味で清盛を直視してきた頼盛は少し異なります。
頼盛「復讐ではないとも言い切れませぬがな。それこそ、兄上の生きてこられた道を思えば」
そしてドラマの最初のシーンへ。重盛と成親が語り合うシーンも若干セリフがカットされた模様。ここで成親の心境が吐露され、「犬」というキーワードの逆転現象が皮肉に響きます。
成親「気がつけば、私や西光殿が平家の犬と化しておりました。さように一生を終えることは、おもしろうないと思った」
重盛「きっとお助けします」
助命の安請け合いは大河ドラマの伝統芸ですね。毎年、何人の人が安請け合いにぬか喜びさせられた揚げ句、殺されたことか。 で、重盛による成親助命嘆願により成親は死一等を減じて備前配流となったわけですが、食べ物を与えられず安元3年(1177年)7月9日に餓死します。ノベライズの記述はあっさりしていましたが、ドラマではセミの死と重ね合わされた演出で哀れさもひとしおでした。
しょんぼり重盛に近づく清盛。
清盛「そなたの望み通り、流罪とした。流罪の地でどうなろうとわしの知ったことではない」
重盛「父上の思い描いておられる国の姿、その形が私には見えませぬ」
清盛「わしはさような話をしに上洛したのではない」
清盛にとっては思うところあっての言動ですが、ますます追い詰められる重盛が哀れ。平治の乱での信西ピーンチに際しては冷めたマキャベリズムを吐いていた重盛ですが、最近はすっかり線の細さばかりが目立つように。平治の乱ではむしろ清盛の方が青臭かったのに、どうしたことでしょう。
一方、伊豆では頼朝が時政に嫁取りのあいさつ。時政は当然ブチ切れます。
なにげにおいしいシーン/セリフの多い藤九郎、ここでも恵まれた待遇を発揮。
藤九郎「ぜひわが殿の舅となり、立派な源氏の棟梁にお育てくださりませ! 楽しゅうござりますぞ」
時政「手がかかりましょうな。かように青白く、やせ細った苗では」
湯けむり武士が頼朝のパパになることを決断した瞬間でありました。
そのころ遮那王は、ママと面会中。出家はやめて世界遺産平泉観光を企画している旨を打ち明けます。そして数日後には元服の地である尾張に到着。平泉行きのツアーコンダクター金売吉次はいない模様。また、今回のドラマでは「義経」の諱はママのアイデアということに。
ナレ「源氏の魂は着々とよみがえろうとしていた」
治承2年(1178年)6月、中宮に懐妊の兆しの知らせに清盛大喜び。よかったね。
そして11月12日、皇子様誕生。後に壇ノ浦ダイブする安徳天皇です。
12月15日に立太子され、言仁親王と定められます。よかったね。
治承3年(1179年)2月、言仁親王の百日の宴開催。その直後。
清盛「機は熟した」
きっとよくないことを考えているに違いありません。そして上洛した清盛は、一門(マイナス重盛)に清盛プランを開陳します。
清盛「法皇様にはこの館にお越しいただいてはどうかと考えておる」
つまりは後白河を幽閉するってことですね。
一方の後白河法皇は、病床についた乙前のお見舞い中。今様で励まします。
像法転じては 薬師の誓ひぞ頼もしき 一度御名を聞く人は 万の病もなしとぞいふ
平家一門は、そんな後白河を拉致るため、完全武装で集結。そこに公卿の平服である直衣で現れる重盛さん。
清盛「しばらくの間、法皇様にこの館においでいただこうと思うてな」
重盛「なんと情けないお言葉。人は運が傾き始めると、必ず悪事を思いつくものにござります」
重盛の批判はなかなか痛烈です。が、引かない清盛。
重盛「では法皇様の御所は私が警固いたします」
重盛は語ります。法皇の恩を重さにたとえれば、千粒万粒の宝玉よりも重く、その恩の深さをたとえれば、幾重にも染めた紅の色よりも深いと。何とまあ文学的なたとえですこと。
清盛「これはわしの国づくりじゃ。それを阻むというのじゃな?」
さあ、重盛の見せ場スタートです。
重盛「悲しきかな。法皇様に忠義を尽くそうとすれば、須弥山の頂よりもなお高き父上の恩をたちまち忘れることになります。痛ましきかな。父上の不孝から逃れんとすれば、海よりも深き慈悲をくだされた法皇様への不忠となります。忠ならんと欲すれば孝ならず。孝ならんと欲すれば忠ならず。進退これきわまれり。かくなる上は、この重盛が首を召され候らえ」
もう、「とく死なばや」と言い出してもおかしくないレベル。重盛の号泣には泣けました。
早く生まれ変わって、柿でもかじって楽しく暮らせるといいね、重盛。
・大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
・大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第43回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。
頼盛「復讐ではないとも言い切れませぬがな。それこそ、兄上の生きてこられた道を思えば」
そしてドラマの最初のシーンへ。重盛と成親が語り合うシーンも若干セリフがカットされた模様。ここで成親の心境が吐露され、「犬」というキーワードの逆転現象が皮肉に響きます。
成親「気がつけば、私や西光殿が平家の犬と化しておりました。さように一生を終えることは、おもしろうないと思った」
重盛「きっとお助けします」
助命の安請け合いは大河ドラマの伝統芸ですね。毎年、何人の人が安請け合いにぬか喜びさせられた揚げ句、殺されたことか。 で、重盛による成親助命嘆願により成親は死一等を減じて備前配流となったわけですが、食べ物を与えられず安元3年(1177年)7月9日に餓死します。ノベライズの記述はあっさりしていましたが、ドラマではセミの死と重ね合わされた演出で哀れさもひとしおでした。
しょんぼり重盛に近づく清盛。
清盛「そなたの望み通り、流罪とした。流罪の地でどうなろうとわしの知ったことではない」
重盛「父上の思い描いておられる国の姿、その形が私には見えませぬ」
清盛「わしはさような話をしに上洛したのではない」
清盛にとっては思うところあっての言動ですが、ますます追い詰められる重盛が哀れ。平治の乱での信西ピーンチに際しては冷めたマキャベリズムを吐いていた重盛ですが、最近はすっかり線の細さばかりが目立つように。平治の乱ではむしろ清盛の方が青臭かったのに、どうしたことでしょう。
一方、伊豆では頼朝が時政に嫁取りのあいさつ。時政は当然ブチ切れます。
なにげにおいしいシーン/セリフの多い藤九郎、ここでも恵まれた待遇を発揮。
藤九郎「ぜひわが殿の舅となり、立派な源氏の棟梁にお育てくださりませ! 楽しゅうござりますぞ」
時政「手がかかりましょうな。かように青白く、やせ細った苗では」
湯けむり武士が頼朝のパパになることを決断した瞬間でありました。
そのころ遮那王は、ママと面会中。出家はやめて世界遺産平泉観光を企画している旨を打ち明けます。そして数日後には元服の地である尾張に到着。平泉行きのツアーコンダクター金売吉次はいない模様。また、今回のドラマでは「義経」の諱はママのアイデアということに。
ナレ「源氏の魂は着々とよみがえろうとしていた」
治承2年(1178年)6月、中宮に懐妊の兆しの知らせに清盛大喜び。よかったね。
そして11月12日、皇子様誕生。後に壇ノ浦ダイブする安徳天皇です。
12月15日に立太子され、言仁親王と定められます。よかったね。
治承3年(1179年)2月、言仁親王の百日の宴開催。その直後。
清盛「機は熟した」
きっとよくないことを考えているに違いありません。そして上洛した清盛は、一門(マイナス重盛)に清盛プランを開陳します。
清盛「法皇様にはこの館にお越しいただいてはどうかと考えておる」
つまりは後白河を幽閉するってことですね。
一方の後白河法皇は、病床についた乙前のお見舞い中。今様で励まします。
像法転じては 薬師の誓ひぞ頼もしき 一度御名を聞く人は 万の病もなしとぞいふ
平家一門は、そんな後白河を拉致るため、完全武装で集結。そこに公卿の平服である直衣で現れる重盛さん。
清盛「しばらくの間、法皇様にこの館においでいただこうと思うてな」
重盛「なんと情けないお言葉。人は運が傾き始めると、必ず悪事を思いつくものにござります」
重盛の批判はなかなか痛烈です。が、引かない清盛。
重盛「では法皇様の御所は私が警固いたします」
重盛は語ります。法皇の恩を重さにたとえれば、千粒万粒の宝玉よりも重く、その恩の深さをたとえれば、幾重にも染めた紅の色よりも深いと。何とまあ文学的なたとえですこと。
清盛「これはわしの国づくりじゃ。それを阻むというのじゃな?」
さあ、重盛の見せ場スタートです。
重盛「悲しきかな。法皇様に忠義を尽くそうとすれば、須弥山の頂よりもなお高き父上の恩をたちまち忘れることになります。痛ましきかな。父上の不孝から逃れんとすれば、海よりも深き慈悲をくだされた法皇様への不忠となります。忠ならんと欲すれば孝ならず。孝ならんと欲すれば忠ならず。進退これきわまれり。かくなる上は、この重盛が首を召され候らえ」
もう、「とく死なばや」と言い出してもおかしくないレベル。重盛の号泣には泣けました。
早く生まれ変わって、柿でもかじって楽しく暮らせるといいね、重盛。
・大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
・大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第43回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。