大河ドラマ「平清盛」 第41回 賽の目の行方 感想

カテゴリ:平清盛
日時:2012/10/21 21:06

安元2年(1176年)、後白河院御所では後白河法皇がライフワークである今様の稽古中。一体いつまで生きているつもりだ、乙前というか祇園女御というかむしろ聖子。祇園女御は清盛の母あるいは母の姉ともされている人物なんだから、安元2年時で数え59歳の清盛の親に相当する年齢なんですが。平安時代でも80歳、90歳まで生きた人はそれなりに目につくので生きていてもいいのですが、

お前のようなババアがいるか

って感じです。まぁ、単に私がアイドル時代から聖子が嫌いなだけなんですけど。

清盛は、高倉帝に入内させた徳子が懐妊せずイライラ。そこで明雲を招いて千僧供養を企画します。明雲は明雲で院の動きを警戒。

明雲「いよいよ平家の力を削ぐおつもりでござりましょう」

これに対抗すべく、明雲&比叡山を抱き込み、明雲に法皇の力を削ぐ意図を明かします。いわゆる「ダーク化」ってやつですね。時代を動かす偉人ならこれくらい当然だと思いますが、最近は私利私欲がないのに周りから祭り上げられる気持ち悪い主人公が多いですからねぇ。 都の政争を外側から眺める東国パート。三浦さんと佐々木さんは相変わらず時政屋敷に入り浸り。この人たちヒマですな。時政の屋敷は当然伊豆だし、三浦さんは三浦半島(横須賀)、佐々木さんは渋谷荘にいるとすると大和市のあたり。そうそう訪ねてくるわけにもいかないとおもうのですが。

政子は、ナレ朝をアポなし突撃し、「爪切り」を見せろと要求します。

頼朝「髭切じゃ

そして、頼朝から義朝の話を聞かされます。

政子「立ち上がれ! 源氏の御曹司!」

頼朝を扇動する政子がうざいというか、政子に扇動される頼朝が残念。

安元3年(1177年)3月、千僧供養開催。福原に後白河が行幸しますが、

後白河「もうここに来ることはあるまい」

このセリフに、ルビコン川を渡る決心をしたと思われる清盛。

清盛「いざという時。その時が来たようじゃのう

こうして清盛の反法皇作戦が始まります。

加賀守目代師経(西光の子)が、鵜川寺に立ち寄ると立ち入りを拒否られます。これに端を発する小競り合いから、師経による鵜川寺焼き討ちへとエスカレート。比叡山の末寺ですから、当然ながら明雲さんがブチ切れて、強訴となります。

加賀守目代師経と加賀守 師高(これまた西光の子)の流罪要求となり、西光チルドレンピンチ! 重盛に対処を懇願する西光が実に哀れです。怒りの表情といい、懇願する目といい、器用な役者さんです。実に素晴らしい。

西光に善処を誓う重盛ですが、何と神輿に矢を射てしまう失態。むしろ事態を深刻化させちゃいます。というわけで清盛に詫びを入れる重盛。が、

清盛「ようやった。これで朝廷は比叡山の求めに応じざるをえまい」

その通り、西光チルドレンは流罪に。

後白河「そなたは入道に陥れられたのじゃ

西光の力を削ぐことで後白河の力を削ぐ清盛の策略でした。真面目っ子の重盛は、父の真意に驚愕します。というか重盛が生真面目に対応して失敗するところまで織り込み済みという策略が多くないですか?

清盛の真意を見抜いた後白河。近臣の成親&西光と憎悪を募らせます。

成親「面白うないのう

鞍馬寺では、苦悩の遮那王。回想シーンにより、はやり出自は弁慶から伝えられていました。トラブルメーカー行家の出番今のところなし。

そして、鹿ヶ谷ミーティング開始!

大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
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