大河ドラマ「平清盛」 第38回 平家にあらずんば人にあらず 感想
カテゴリ:平清盛
日時:2012/09/30 20:56
今回は、清盛と後白河法皇の坊主2人が、徳子の入内をめぐって禿しいトークバトルを演じます。いつも通り、「なぜ?」的な結論になるわけですが。
で、前回の殿下乗合事件と禿警察長官時忠、徳子の入内を通して驕る平家と、平家内に生じた歪みが描かれます。
福原にて、大輪田の泊まりの岬づくりにめどが立った矢先、時子病の知らせで都に戻る清盛。ついでに、時子のセリフを通して重盛が体調不良で権大納言辞任、宗盛が権中納言に昇ったことを視聴者にお知らせします(清盛が知らないはずないじゃん)。
さらに、清盛を福原から都に移動させたついでに、一門ミーティングで徳子の入内プラン発表。
清盛「まだ少しばかりお若いが、正月に元服もお済みじゃ」
に驚愕する一門。俺たちのムネムネだけピンと来ず。ムネムネ……、高倉帝にきまってるだろ!
が、入内成功のカギを握る後白河は、「妙なものに凝っておられる」。 「これは面白い」って、何かの本に感化された模様。実に後白河らしい。
後白河「大きいものを食うてみよ。ホラでよい」
清盛「何でございますか、それは」
まったくだ!
皆にしかける後白河さん。
成親:国
西光:暗闇
両者敗北。さてさて、後白河は何を食うのでしょう。
ともかく、後白河に拝謁し、直に徳子の入内を願い出る清盛。
西光「何とあからさまな」
まったくだ!
後白河「アハハハ」
後白河「いかに大きいものを食うたかホラを吹いてみよ」
取りあえず保留にする清盛。さて何と答えるのでしょう。
承安元年(1171年)10月、都に疫病蔓延。清盛が後白河に献上した羊が原因というウワサを流す八条院。
対策として、清盛は後白河と建春門院を福原にご招待。さらに、福原と近辺の荘園を後白河に献上すると申し出ます。さすがに驚く後白河。
後白河「いかなる野心を持っておるのじゃ」
清盛「それこそが私の食うたものにござります。我が心の内より湧いて出る野心。これより大きなもの、この世にあるとは思えませぬ」
意外につまらない答えでした。
後白河「そう言うそなたを、わしは食おう」
をを、なるほど。
清盛「すぐにあなたさまのお腹を破って、出てまいりましょう」
見つめ合う坊主たち。
後白河「滋子、徳子の入内、進めるがよい」
え、何で?
こうして、今回もまたなぜか納得しちゃう清盛の相手。鳥羽院から何から、みなこのパターンですね。
承安元年12月14日、徳子入内。重盛も大納言に復帰し、平家は祝勝会。ここで時忠が例のセリフをほざくのかと思ったら、さにあらず。これはしたり。
ムカついた八条院は、さらなるウワサの流布で対抗しようとしますが、命じた直後に家臣の悲鳴。何と、八条院の近辺にも禿&時忠の魔の手が! そこに居合わせる兎丸。疫病発生時も宋の薬を配布してましたが、君、なぜ都に? 大輪田の泊まりはどうしたのでしょう。
時忠のやり方に異を唱える兎丸ですが、何やら詭弁くさい反論で兎丸を封じる時忠。
時忠「兎丸、平家にあらずんば人にあらずじゃ」
ここで出ましたか、時忠のあのセリフ。パーティーの席上でドヤ顔で言うのかと思っていたら、予想外のトーン。自分に言い聞かせているような、自嘲気味な口調です。最初はなぜ兎丸相手に……と思ったのですが、それぞれ清盛の覇業の一側面を担ってきた時忠と兎丸だからこそ、意味があったのかもしれません。
場面は変わって、遮那王。『義経』では都に行くなと止められまくっていた遮那王ですが、『平清盛』では僧都自ら都に行けと勧めます。
で、五条大橋。弁慶と……一応「再会」の遮那王。弁慶、若いころはお掃除道具を背負ってましたが、さすがに今は「七つ道具」だよね?
で、前回の殿下乗合事件と禿警察長官時忠、徳子の入内を通して驕る平家と、平家内に生じた歪みが描かれます。
福原にて、大輪田の泊まりの岬づくりにめどが立った矢先、時子病の知らせで都に戻る清盛。ついでに、時子のセリフを通して重盛が体調不良で権大納言辞任、宗盛が権中納言に昇ったことを視聴者にお知らせします(清盛が知らないはずないじゃん)。
さらに、清盛を福原から都に移動させたついでに、一門ミーティングで徳子の入内プラン発表。
清盛「まだ少しばかりお若いが、正月に元服もお済みじゃ」
に驚愕する一門。俺たちのムネムネだけピンと来ず。ムネムネ……、高倉帝にきまってるだろ!
が、入内成功のカギを握る後白河は、「妙なものに凝っておられる」。 「これは面白い」って、何かの本に感化された模様。実に後白河らしい。
後白河「大きいものを食うてみよ。ホラでよい」
清盛「何でございますか、それは」
まったくだ!
皆にしかける後白河さん。
成親:国
西光:暗闇
両者敗北。さてさて、後白河は何を食うのでしょう。
ともかく、後白河に拝謁し、直に徳子の入内を願い出る清盛。
西光「何とあからさまな」
まったくだ!
後白河「アハハハ」
後白河「いかに大きいものを食うたかホラを吹いてみよ」
取りあえず保留にする清盛。さて何と答えるのでしょう。
承安元年(1171年)10月、都に疫病蔓延。清盛が後白河に献上した羊が原因というウワサを流す八条院。
対策として、清盛は後白河と建春門院を福原にご招待。さらに、福原と近辺の荘園を後白河に献上すると申し出ます。さすがに驚く後白河。
後白河「いかなる野心を持っておるのじゃ」
清盛「それこそが私の食うたものにござります。我が心の内より湧いて出る野心。これより大きなもの、この世にあるとは思えませぬ」
意外につまらない答えでした。
後白河「そう言うそなたを、わしは食おう」
をを、なるほど。
清盛「すぐにあなたさまのお腹を破って、出てまいりましょう」
見つめ合う坊主たち。
後白河「滋子、徳子の入内、進めるがよい」
え、何で?
こうして、今回もまたなぜか納得しちゃう清盛の相手。
承安元年12月14日、徳子入内。重盛も大納言に復帰し、平家は祝勝会。ここで時忠が例のセリフをほざくのかと思ったら、さにあらず。これはしたり。
ムカついた八条院は、さらなるウワサの流布で対抗しようとしますが、命じた直後に家臣の悲鳴。何と、八条院の近辺にも禿&時忠の魔の手が! そこに居合わせる兎丸。疫病発生時も宋の薬を配布してましたが、君、なぜ都に? 大輪田の泊まりはどうしたのでしょう。
時忠のやり方に異を唱える兎丸ですが、何やら詭弁くさい反論で兎丸を封じる時忠。
時忠「兎丸、平家にあらずんば人にあらずじゃ」
ここで出ましたか、時忠のあのセリフ。パーティーの席上でドヤ顔で言うのかと思っていたら、予想外のトーン。自分に言い聞かせているような、自嘲気味な口調です。最初はなぜ兎丸相手に……と思ったのですが、それぞれ清盛の覇業の一側面を担ってきた時忠と兎丸だからこそ、意味があったのかもしれません。
場面は変わって、遮那王。『義経』では都に行くなと止められまくっていた遮那王ですが、『平清盛』では僧都自ら都に行けと勧めます。
で、五条大橋。弁慶と……一応「再会」の遮那王。弁慶、若いころはお掃除道具を背負ってましたが、さすがに今は「七つ道具」だよね?