大河ドラマ「平清盛」 第37回 殿下乗合事件 感想
カテゴリ:平清盛
日時:2012/09/23 21:58
今回は、有名な「殿下乗合事件」。この事件は、『玉葉』(当事者の弟、藤原兼実の日記)などが伝える、史実と考えられるバージョンと、それを改変したと考えられる『平家物語』バージョンがあります。
両者の最大の違いは、基房に報復を行った首謀者が「重盛なのか清盛なのか」です。一般に、重盛が良識派、穏健派というイメージなのは、この件の首謀者を清盛に変えた平家物語の存在が大きいでしょう。さて、ドラマではどう料理されるのか。
福原では、清盛が宋との取引を大宰府から福原に移そうと画策。宋商人 周新を脅してスカして取次役に。で、宋の使者に何を贈ればよいか……。
「金だろ」「金といえば奥州」という、実に見え透いたセリフの応酬で奥州の秀衡登場。京本政樹、ブレないですなぁ。『草燃える』では公暁とアッー!してましたが。 で、奥州の金を狙って秀衡を鎮守府将軍に推挙する清盛(朝廷で動いたのは重盛ですが)。こうして嘉応2年5月25日、秀衡は従五位下鎮守府将軍に。
秀衡「さて、どなたのご推挙か」
と、任官の背景を考えるところは秀衡らしい。
で、どういういきさつなのか、取りあえず奥州の金を手にし、宋の使者を招く算段を始める清盛と盛国。国と国の商いとなれば、後白河法皇にお出ましいただきたいところ、というところで、「たやすきこと」と、失業中のトラブルメーカー時忠登場。そうか、解官されたままですか。
赤い鳥の羽根をわざとらしく首からさげ、後白河に拝謁する時忠。さらに、赤い羽根募金をやり過ぎたような禿を披露。それに入れ食い状態で食いつく後白河。周りが引くくらいの食いつきっぷりです。とにかく、この人は珍しくて面白ければ何でもいいんですよね。宋のお茶を飲ませただけで大宰大弐になれるし。コーラでも飲ませたら左大臣にしてくれそうです。
そんなことをやっているうちに、殿下乗合事件発生。事件は、『玉葉』ほかの「日記系」と『平家物語』のチャンポンで展開します。
事件発生は嘉応2年(1170年)7月3日で、これは日記系(『平家物語』は10月16日)。「資盛の鷹狩りの帰り」と参内途上の基房の鉢合わせというのは『平家物語』。日記系では、基房は法勝寺への途上で、資盛は女車に乗っていたようです。
基房の従者が資盛側の無礼を咎めて辱めを加えたのは共通。
基房が相手が資盛と知っての狼藉であったこと(実際は、相手が資盛であると知って慌てた)、事件後も
基房「重盛はきっと何も言えまい」
などと余裕ぶっこいていたところはドラマオリジナルでしょうが、重盛のリアクションより先に基房が実行犯の供奉を解くという使者を派遣するあたりは日記系です。
ここからがドラマのオリジナル展開。
重盛「こたびのことは礼を欠いた資盛、そなたの過ちじゃ」
と、資盛を叱責する重盛。日記系では、激怒した重盛は基房の使者を追い返し、報復のために兵を集める始末。基房は屋敷に引きこもるありさまとなります。ドラマと日記系では真逆のリアクションです。
スジを通した重盛の対応を福原で聞く清盛ら。「重盛らしい」という清盛に、
時忠「正しすぎるのは、最早間違うているのと同じこと」
と、赤い羽根募金の元締めが一ひねりしすぎたコメント。
殿下乗合事件がモヤっと感を残したまま、9月20日は福原にて宋人と後白河の謁見が実現。クジャクの羽根にご満悦の後白河。すっごくうれしそう。よかったね、ゴッシー。
後白河が宋人に会ったことで、動揺する公家たち。それに対して、日記系とは真逆で、調子乗りまくりな基房。清盛が不在のうちに平家の土台を崩してやると豪語。
基房「( ゚∀゚) アハハ八八ノヽノヽノヽノ \」
家電さん、楽しそうですね。実にノリノリです。
そして10月21日。報復の日。この日付は日記系と『平家物語』で一致しています。帝の加冠の儀のために参内する途上の基房(輿の中でノリノリで歌っていたかどうかは不明)を、重盛の兵(日記系)あるいは清盛の兵(『平家物語』)、ドラマでは謎の覆面兵が襲います。『平家物語』では、報復を知った重盛が、襲撃に参加した兵を勘当して資盛を謹慎させるなどの事態収拾を図り、称賛されています。
この覆面兵の正体やいかに。基房らの公卿たちは、重盛の仕業と思い込んで逃げ惑うばかり。戸惑う重盛の態度から、違うと察したのは兼実(繰り返しますが『玉葉』の筆者)のみ。平家一門も重盛の指図だと思い込み、大絶賛。『平家物語』とは逆に、襲撃したことで称賛されているわけです。
襲撃現場には赤い羽根。重盛だけが真相に気付きます。
時忠とすごろくをする清盛の態度からして、時忠の独断というよりは清盛の指図のようですね。こうして、公家や一門から見れば重盛の仕業とする日記説と、実は清盛が黒幕という『平家物語』を両立したわけです。この処理はお見事。
ただし重盛視点では、スジを通した判断は一門から不満を買い、父清盛が報復を指図したことにより清盛からも否定されたことになります。もう、完全に全否定。
重盛「なれぬ……私は父上には……なれぬ」
線の細い二代目はつらいですな。
都には、例の赤い羽根募金禿も跋扈しているし。清盛の直属ではなく、時忠配下のままで禿スパイするのかなぁ。
伊豆では、北条館で東国武士が愚痴パーティー。
鬱っていたナレ朝さんも、源氏の矜持を取り戻し始めた模様。汚い政子がきっかけじゃなくてよかった。
両者の最大の違いは、基房に報復を行った首謀者が「重盛なのか清盛なのか」です。一般に、重盛が良識派、穏健派というイメージなのは、この件の首謀者を清盛に変えた平家物語の存在が大きいでしょう。さて、ドラマではどう料理されるのか。
福原では、清盛が宋との取引を大宰府から福原に移そうと画策。宋商人 周新を脅してスカして取次役に。で、宋の使者に何を贈ればよいか……。
「金だろ」「金といえば奥州」という、実に見え透いたセリフの応酬で奥州の秀衡登場。京本政樹、ブレないですなぁ。『草燃える』では公暁とアッー!してましたが。 で、奥州の金を狙って秀衡を鎮守府将軍に推挙する清盛(朝廷で動いたのは重盛ですが)。こうして嘉応2年5月25日、秀衡は従五位下鎮守府将軍に。
秀衡「さて、どなたのご推挙か」
と、任官の背景を考えるところは秀衡らしい。
で、どういういきさつなのか、取りあえず奥州の金を手にし、宋の使者を招く算段を始める清盛と盛国。国と国の商いとなれば、後白河法皇にお出ましいただきたいところ、というところで、「たやすきこと」と、失業中のトラブルメーカー時忠登場。そうか、解官されたままですか。
赤い鳥の羽根をわざとらしく首からさげ、後白河に拝謁する時忠。さらに、赤い羽根募金をやり過ぎたような禿を披露。それに入れ食い状態で食いつく後白河。周りが引くくらいの食いつきっぷりです。とにかく、この人は珍しくて面白ければ何でもいいんですよね。宋のお茶を飲ませただけで大宰大弐になれるし。コーラでも飲ませたら左大臣にしてくれそうです。
そんなことをやっているうちに、殿下乗合事件発生。事件は、『玉葉』ほかの「日記系」と『平家物語』のチャンポンで展開します。
事件発生は嘉応2年(1170年)7月3日で、これは日記系(『平家物語』は10月16日)。「資盛の鷹狩りの帰り」と参内途上の基房の鉢合わせというのは『平家物語』。日記系では、基房は法勝寺への途上で、資盛は女車に乗っていたようです。
基房の従者が資盛側の無礼を咎めて辱めを加えたのは共通。
基房が相手が資盛と知っての狼藉であったこと(実際は、相手が資盛であると知って慌てた)、事件後も
基房「重盛はきっと何も言えまい」
などと余裕ぶっこいていたところはドラマオリジナルでしょうが、重盛のリアクションより先に基房が実行犯の供奉を解くという使者を派遣するあたりは日記系です。
ここからがドラマのオリジナル展開。
重盛「こたびのことは礼を欠いた資盛、そなたの過ちじゃ」
と、資盛を叱責する重盛。日記系では、激怒した重盛は基房の使者を追い返し、報復のために兵を集める始末。基房は屋敷に引きこもるありさまとなります。ドラマと日記系では真逆のリアクションです。
スジを通した重盛の対応を福原で聞く清盛ら。「重盛らしい」という清盛に、
時忠「正しすぎるのは、最早間違うているのと同じこと」
と、赤い羽根募金の元締めが一ひねりしすぎたコメント。
殿下乗合事件がモヤっと感を残したまま、9月20日は福原にて宋人と後白河の謁見が実現。クジャクの羽根にご満悦の後白河。すっごくうれしそう。よかったね、ゴッシー。
後白河が宋人に会ったことで、動揺する公家たち。それに対して、日記系とは真逆で、調子乗りまくりな基房。清盛が不在のうちに平家の土台を崩してやると豪語。
基房「( ゚∀゚) アハハ八八ノヽノヽノヽノ \」
家電さん、楽しそうですね。実にノリノリです。
そして10月21日。報復の日。この日付は日記系と『平家物語』で一致しています。帝の加冠の儀のために参内する途上の基房(輿の中でノリノリで歌っていたかどうかは不明)を、重盛の兵(日記系)あるいは清盛の兵(『平家物語』)、ドラマでは謎の覆面兵が襲います。『平家物語』では、報復を知った重盛が、襲撃に参加した兵を勘当して資盛を謹慎させるなどの事態収拾を図り、称賛されています。
この覆面兵の正体やいかに。基房らの公卿たちは、重盛の仕業と思い込んで逃げ惑うばかり。戸惑う重盛の態度から、違うと察したのは兼実(繰り返しますが『玉葉』の筆者)のみ。平家一門も重盛の指図だと思い込み、大絶賛。『平家物語』とは逆に、襲撃したことで称賛されているわけです。
襲撃現場には赤い羽根。重盛だけが真相に気付きます。
時忠とすごろくをする清盛の態度からして、時忠の独断というよりは清盛の指図のようですね。こうして、公家や一門から見れば重盛の仕業とする日記説と、実は清盛が黒幕という『平家物語』を両立したわけです。この処理はお見事。
ただし重盛視点では、スジを通した判断は一門から不満を買い、父清盛が報復を指図したことにより清盛からも否定されたことになります。もう、完全に全否定。
重盛「なれぬ……私は父上には……なれぬ」
線の細い二代目はつらいですな。
都には、例の赤い羽根募金禿も跋扈しているし。清盛の直属ではなく、時忠配下のままで禿スパイするのかなぁ。
伊豆では、北条館で東国武士が愚痴パーティー。
鬱っていたナレ朝さんも、源氏の矜持を取り戻し始めた模様。汚い政子がきっかけじゃなくてよかった。