大河ドラマ「平清盛」 第32回 百日の太政大臣 感想
カテゴリ:平清盛
日時:2012/08/19 21:41
今回は、今後につながる人物の動きなどもありなかなか面白かったのですが、アバンの作りが妙に雑だったような気がします。
清盛が交易による国作りを目指していると語るナレのバック映像、なぜよりによって嵐に翻弄される清盛……。基房のセリフも唐突だし(後述)。
で、本編。永万元年(1165年)、清盛が大納言にのぼったところからスタートです。
朝議の出席者として兼実が登場。忠通様亡き後の摂関家を心配していたのですが、これで摂政 基実、左大臣 基房、内大臣 兼実の三連星に。
・藤原忠実、藤原忠通、藤原頼長
・藤原忠通、近衛基実、松殿基房
・近衛基実、松殿基房、九条兼実
と、摂関家3人一組の伝統は守られました。あ、基実の死後は大丈夫でしょうか。基通ではちと物足りないし……。
清盛の大納言就任に盛り上がる盛モリたち。彼らに太政大臣の過去と現在を解説する盛国。勉強してるなぁ。五摂家や関白について何もしらない姫もいるというのに……。 後白河上皇の貢ぎ物を届けに来た清盛。ここで成親の態度に変化の兆しが見られます。
成親「摂政様には熱心に尽くし、上皇様にはこうして貢ぎ物だけというのはあまりにもあからさまでは」
鹿ヶ谷の準備かー!
そこへ西光が登場。清盛に不信感を明言。
西光「私は貴殿を信用しておりませぬ」
鹿ヶ谷の準備かー!
基実とタッグを組んで調子こいていた清盛ですが、そこに水を差すのが永万2年(1166年)7月の基実の死。これにより、基房が摂政、氏長者に。殿下乗合事件の準備は万端です。
ちなみに、ノベライズでは「仁安元年7月」となっていますが、永万から仁安に改元されるのは8月27日なので、7月の時点では「永万2年」としたドラマの方が正解です。
基実の死にしょんぼりの平家一門。そこへ、藤原定家に見えて仕方がない蔵人頭 邦綱が登場。「基実の荘園を盛子に相続させ、清盛が預かるように」と献策します。
さて、邦綱はなぜ平家に肩入れするのでしょう。
清盛「われらはそれだけのことをしてきた。財をなげうち武力を駆使し、身を削って、それだけのものを築き上げてきたのじゃ」
(ドラマ上は)残念!
ここで後白河陣営が動き出します。憲仁親王(6歳)を六条帝(3歳)の東宮にし、清盛を東宮大夫とすることに。これを利用する清盛。
清盛「大納言どまりでは朝廷でもの言えず……、どこまでお役に立てるか、はなはだ心もとのうござります」
で、11月11日、清盛は内大臣にのぼります。
ここで大幅なカットがあったようです。ノベライズによると、基房のアバンでのセリフはここのものだったようです。適当に端折ってカット部分を紹介しましょう。
兼実たちに内大臣就任の挨拶をする清盛。
兼実「隙を突いて摂関家の所領をかすめ取るとは、鎮西や東国の暴れ者とさして変わらぬ。加えて身内の子を東宮に立て、そば近く仕える周到さ、まこと小賢しい」
清盛「基実様の所領をお預かり申すはご嫡男基通様のおんため。憲仁様の東宮大夫となったは上皇様への忠義ゆえ」
清盛の正論にキレた兼実は、基房にかみつきます。
兼実「兄上! なにゆえあの者を内大臣に任じたのです」
基房「まあ、よいではないか。武士とて夢くらいは見たいであろう」
摂関家のシーンが削られるのは実に残念。今回はあまり無駄なシーンはなかった(乙前の清盛お宅訪問シーンを除く)ので、仕方がないのですが。
五節の宴。一の舞姫が兼実の策動で舞に参加できない騒ぎが発生する一方、清盛は後白河に絡まれます。何と邦綱に知恵を付けたのは後白河!
後白河「次ぎは右大臣、左大臣じゃと? $( ゚∀゚)$ アハハノヽノヽノヽノ\/\」
後白河「ここはわしの世じゃ。そなたが次ぎにのぼるは太政大臣。これで上がりじゃ」
上皇の手の平で踊らされていたことを知り、愕然とする清盛さん。
後白河「そなたたち武士は、どこまでのぼろうと、番犬のまま死んでゆくのじゃ」
そこに登場する、そうとうなババァのはずの祇園女御/乙前。「祇園女御の妹が清盛の母」という俗説に照らせば、清盛49歳+(少なくとも)十数歳。若く見積もっても70歳近い婆さんなのですが。まぁどうでもいいや。
仁安2年(1167年)2月11日、清盛は太政大臣にのぼり、5月11日に辞任します。
一方、蛭ヶ小島ではスケ(ベ)殿が八重姫と懇ろに。八重姫との一件を頼朝から聞かされ「孫なのだから喜びましょう」などと語る時政は、政子のときにどう反応するのでしょう。
にしても、千鶴丸の泣き声が止まり、八重姫「いやー!」と叫ぶくだりは切ない。
・大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
・大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第32回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。
清盛が交易による国作りを目指していると語るナレのバック映像、なぜよりによって嵐に翻弄される清盛……。基房のセリフも唐突だし(後述)。
で、本編。永万元年(1165年)、清盛が大納言にのぼったところからスタートです。
朝議の出席者として兼実が登場。忠通様亡き後の摂関家を心配していたのですが、これで摂政 基実、左大臣 基房、内大臣 兼実の三連星に。
・藤原忠実、藤原忠通、藤原頼長
・藤原忠通、近衛基実、松殿基房
・近衛基実、松殿基房、九条兼実
と、摂関家3人一組の伝統は守られました。あ、基実の死後は大丈夫でしょうか。基通ではちと物足りないし……。
清盛の大納言就任に盛り上がる盛モリたち。彼らに太政大臣の過去と現在を解説する盛国。勉強してるなぁ。五摂家や関白について何もしらない姫もいるというのに……。 後白河上皇の貢ぎ物を届けに来た清盛。ここで成親の態度に変化の兆しが見られます。
成親「摂政様には熱心に尽くし、上皇様にはこうして貢ぎ物だけというのはあまりにもあからさまでは」
鹿ヶ谷の準備かー!
そこへ西光が登場。清盛に不信感を明言。
西光「私は貴殿を信用しておりませぬ」
鹿ヶ谷の準備かー!
基実とタッグを組んで調子こいていた清盛ですが、そこに水を差すのが永万2年(1166年)7月の基実の死。これにより、基房が摂政、氏長者に。殿下乗合事件の準備は万端です。
ちなみに、ノベライズでは「仁安元年7月」となっていますが、永万から仁安に改元されるのは8月27日なので、7月の時点では「永万2年」としたドラマの方が正解です。
基実の死にしょんぼりの平家一門。そこへ、藤原定家に見えて仕方がない蔵人頭 邦綱が登場。「基実の荘園を盛子に相続させ、清盛が預かるように」と献策します。
さて、邦綱はなぜ平家に肩入れするのでしょう。
清盛「われらはそれだけのことをしてきた。財をなげうち武力を駆使し、身を削って、それだけのものを築き上げてきたのじゃ」
(ドラマ上は)残念!
ここで後白河陣営が動き出します。憲仁親王(6歳)を六条帝(3歳)の東宮にし、清盛を東宮大夫とすることに。これを利用する清盛。
清盛「大納言どまりでは朝廷でもの言えず……、どこまでお役に立てるか、はなはだ心もとのうござります」
で、11月11日、清盛は内大臣にのぼります。
ここで大幅なカットがあったようです。ノベライズによると、基房のアバンでのセリフはここのものだったようです。適当に端折ってカット部分を紹介しましょう。
兼実たちに内大臣就任の挨拶をする清盛。
兼実「隙を突いて摂関家の所領をかすめ取るとは、鎮西や東国の暴れ者とさして変わらぬ。加えて身内の子を東宮に立て、そば近く仕える周到さ、まこと小賢しい」
清盛「基実様の所領をお預かり申すはご嫡男基通様のおんため。憲仁様の東宮大夫となったは上皇様への忠義ゆえ」
清盛の正論にキレた兼実は、基房にかみつきます。
兼実「兄上! なにゆえあの者を内大臣に任じたのです」
基房「まあ、よいではないか。武士とて夢くらいは見たいであろう」
摂関家のシーンが削られるのは実に残念。今回はあまり無駄なシーンはなかった(乙前の清盛お宅訪問シーンを除く)ので、仕方がないのですが。
五節の宴。一の舞姫が兼実の策動で舞に参加できない騒ぎが発生する一方、清盛は後白河に絡まれます。何と邦綱に知恵を付けたのは後白河!
後白河「次ぎは右大臣、左大臣じゃと? $( ゚∀゚)$ アハハノヽノヽノヽノ\/\」
後白河「ここはわしの世じゃ。そなたが次ぎにのぼるは太政大臣。これで上がりじゃ」
上皇の手の平で踊らされていたことを知り、愕然とする清盛さん。
後白河「そなたたち武士は、どこまでのぼろうと、番犬のまま死んでゆくのじゃ」
そこに登場する、そうとうなババァのはずの祇園女御/乙前。「祇園女御の妹が清盛の母」という俗説に照らせば、清盛49歳+(少なくとも)十数歳。若く見積もっても70歳近い婆さんなのですが。まぁどうでもいいや。
仁安2年(1167年)2月11日、清盛は太政大臣にのぼり、5月11日に辞任します。
一方、蛭ヶ小島ではスケ(ベ)殿が八重姫と懇ろに。八重姫との一件を頼朝から聞かされ「孫なのだから喜びましょう」などと語る時政は、政子のときにどう反応するのでしょう。
にしても、千鶴丸の泣き声が止まり、八重姫「いやー!」と叫ぶくだりは切ない。
・大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
・大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第32回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。