大河ドラマ「平清盛」 第24回 清盛の大一番 感想

カテゴリ:平清盛
日時:2012/06/17 21:51

今回は保元元年(1156年)7月、崇徳院が讃岐に流される場面から。例によって、というかやはり西行が登場。崇徳院の歌でお見送り。

西行:瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢わむとぞ思ふ

彼が出てくるのは忠正斬首の刑場や崇徳院配流実行の現場だったりともの悲しい場面なのですが、彼がひょっこり現れて手を合わせているのを見ると笑ってしまいます。彼はこのまま出オチキャラになってしまうのでしょうか。

保元2年(1157年)10月。内裏が修復され、貢献著しい平氏は恩賞として一門の官位がプラスワン。清盛は官位据え置きで重盛が従五位上に。その重盛は信西とベッタリの清盛に違和感を抱き始めますが、清盛は信西の下へ。

信西は、相撲節会を復活するため清盛に鎮西(九州)の租税取り立てを命じます。公式のドラマストーリーでは原田種直を「大宰少弐」としていますが、ドラマでは「大宰大監」に改められています。それならと、清盛は大宰大弐に任じるように求めますが軽く却下。ちなみに大宰大弐は大宰府のナンバー2で実質的なトップ(本当のトップは「大宰帥」)。 宮中では、美福門院+守仁親王 vs. 後白河帝

守仁親王:こたびは立派な内裏をおつくりいただき、ありがとうござります。私が帝になりました暁には、ここでよき政を行う所存にござりまする

いいますねー、守仁君。

ただ、美福門院と守仁親王がタッグを組んでいる背景が、劇中では説明不足な感があります。実は、美福門院は守仁親王の養育者(守仁親王の生母が急死したため)。そして、守仁親王の妃(後の中宮)は鳥羽院と美福門院の娘・姝子内親王。つまり美福門院にとって守仁親王は義理の息子ということに。守仁親王が即位すれば、彼を通して美福門院は再び政に影響力を及ぼすことができるというわけです。

大宰府に乗り込んだ清盛は、大宰大監の原田種直に軽くあしらわれますが、彼を恫喝して従わせることに成功します。ちなみに、原田種直はその後、清盛の姪(あの家盛の娘)を妻とし、清盛と主従関係を結ぶことになります。

都に戻った清盛は、成親から縁組みのオファーを受けます。さぁ、「お前が言うな!」コーナーの始まりです。

この縁組みの重要性をとくとくと重盛に語る清盛。

清盛:成親様はいずれ公卿になられるお方じゃ。家同士結んでおいて損はない。

清盛:今が一門にとってどういう時か分かっておろうな?

家貞:え?(という顔)

清盛:一つ過てば全て水泡に帰するのじゃ。我が父の忍耐も、叔父上の死も。これも嫡男としてのつとめと心得よ

清盛が一言発するたびにツッコミたくなりますが、まぁこれが成長というものですね。一切成長せず幼稚な主張を繰り返すヒロインよりはマシというものです。

途中で家貞も「お前が言うな」的な表情をしますが、これも自身がセリフで語った通り、清盛が明子を妻に迎えようとしたときに家貞が言ったセリフを清盛が発したことで彼の成長を感じたということでした。

保元3年(1158年)2月。ナレ朝頼朝が皇后宮少進に。が、その祝いの席で由良ちゃんが倒れてしまいます。我が子の就職を誇らしげに見つめる由良ちゃんの笑顔が逆に不憫です。


6月は重盛、経子の婚礼&相撲節会。2つのイベントが同時進行します。

婚礼の方は、まぁ大した話ではないのでスルー。

相撲節会の方は、式次第は興味深いものの、裸のデブが抱き合う競技には興味がないのでスルー。ポッチャリデブ好みの後白河帝もなぜか裸のデブが抱き合う競技には関心がなかったようで、清盛が座興として出した宋のお茶に食いつきます。これで、史実通り清盛は大宰大弐に任じられます。

8月11日、後白河帝が守仁親王に譲位宣言(実際は、信西と美福門院による仏と仏との評定で決定)。

一方、義朝はもくもくと平治の乱ポイントを蓄積中。清盛と差を付けられ、憤懣やるかたない義朝さん。そもそも保元の乱直前の時点で清盛と義朝は官職で大きく差が付いており、清盛と同等の待遇、恩賞が与えられるはずはないのですが。とはいえ、ドラマ的には信西の恣意が大きく働いています。

信西:源氏をたたくほどに平氏を取り立てることができるのだ。

割と意外だったのが、師光の反応。

師光:左馬頭(義朝)に罪があるわけではなし、いささか気の毒ではござりまするな。

彼からこんな同情的なセリフが出てくるとは。まぁ、彼は保元の乱の際にも、「あれでは少しばかり下野守が気の毒」と、義朝に同情的な言葉を吐いていたりしますが。

何はともあれ、義朝さんのポイントMAXで乱スタートです。

大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第24回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。