大河ドラマ「平清盛」 第17回 平氏の棟梁

カテゴリ:平清盛
日時:2012/04/29 21:37

今回から第二部開始です。物語の開始は仁平3年(1153年)。ドラマ上は時期が曖昧になっていましたが、ノベライズによると2月で、忠盛の死から1カ月後となります。

一門を招集した、ややこざっぱりした清盛

清盛「平清盛である!」

一同「……」

盛国「皆、存じております

清盛「む、さようか」

シメるところさえシメてくれれば、こういうのは嫌いじゃないですよ。

続いて弓矢の鍛錬に始まる教盛と忠清の意地競べは、予想通りカットされてしまいました(ノベライズでは、清盛が止めるまでエスカレートしていく)。ま、予想では鍛錬シーン自体がそっくりカットされると思っていたので、むしろ予想が外れたと言うべきかもしれませんね。 そして宴開催。宗子改め頼朝の恩人、池禅尼が料理の量を心配していましたが……。

清盛「存分に食うがよい! ん?」

(しょぼい料理)

清盛「……と言えるか!

ノベライズにもなかったコメディー展開。間の取り方もよく、笑いました。嫌いじゃないですよ、こういうの。

残念な宴の数日後、家成が訪問してきて清盛を歌会に招きます。ホトケのごときいい人です。ホトケといってもテレ東でやっていたホトケとは大違いですが。

信西に歌会で詠む歌の代筆を頼んで断られた帰り、義朝と遭遇。そこで義朝と常磐がデキていたことを知る清盛。展開早って感じですが、仁平3年には義経の同母兄である阿野全成が生まれなければならないので、さっさとやることをやっておかなければなりません。

ベビー誕生と従五位下下野守任官でニコニコの義朝。残念ながらラストにブチ切れます。

その原因が、我らがホモ左府に「無礼」を働いたが「ヨカった」と書き残された義賢です。為義さんに友切を与えられ、義朝の基盤を切り崩すため東国に出発します。

ちなみにこの友切、元の名を「髭切」と言います。一般にはこちらの名前の方が有名でしょう。源氏重代の刀で、後に義朝からナレ朝頼朝へと伝えられます。この時点では友切という名前ですが、後に義朝によって髭切に戻されます。

一方、平氏にも一波乱(源氏のそれに競べたらおままごとですが)。例によってトラブルメーカーの時忠が本領発揮。清三郎(後の宗盛)に余計なことを吹き込んで、ムネムネをグレさせます。その後、もっともらしいことを言って清盛が反省する展開になるのですが、ロジックが破綻していて意味不明です。時忠の言動を振り返ってみましょう。

まず、彼はムネムネに、「清盛は重盛と基盛の方がかわいいからムネムネは文も武も身につけなくてよい」と吹き込みます。清盛に、なぜそんなことを言ったのかと問いただされると、「時子が琵琶をやめたのは、清盛が明子の音色がかき消されると言ったから」だと主張。この時点で、ムネムネに余計なことを言った理由の説明になっていません。その上に、「義兄上よりはるかに姉上のことを分かっておるつもり」と強弁。清盛は、時子に「明子ならばしっかりした棟梁の妻となっておったぞ」などと言うてはならんことを言った手前反省しちゃってますが、やはり時忠、ムネムネへの発言は理屈が通ってないぞ。

そして歌会。澤村田之助成親が初登場。

清盛の歌は……

重盛に、基盛それに、清三郎 清四郎みな われらの子なり

早速ツッコむ頼長さん。

頼長「お題は春ぞ。春らしいものがなにひとつ詠み込まれておらぬではないか」

いや、間違ってはいないのですが、ツッコむところが違います。さすが、和歌が不得手な頼長らしいピンボケっぷりです。

崇徳院「いや、その前に、もはや歌ではない

さすが崇徳院。ですよねー。

鳥羽院に意図を訪ねられる清盛。

清盛「重盛、基盛、清三郎、清四郎とは、私の子の名にござりまする」

頼長「お題は春ぞ!

いや、頼長さん、ツッコみどころが違いますって。

そしてまたもや始まる、清盛の答えになっていない自分語り。鳥羽院は「われらに足りぬものを持っておる」などと納得しちゃってますが。

清盛が夫婦間の隙間を解決したころ、源氏は為義と義朝が決定的に決裂です。

大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第17回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。