大河ドラマ「平清盛」 第15回 嵐の中の一門

カテゴリ:平清盛
日時:2012/04/15 22:02

久安5年(1149年)3月の家盛死亡から。家盛は病死と考えられていますが、ドラマストーリーには

家貞「家盛様は、落馬にてみまかられましてござりまする!」

というセリフ(ドラマではカット)があります。ただ、これは忠正清盛を責めるのを止める際のセリフなので、清盛を庇っているだけという解釈もできますが。

それにしても、家盛の遺体にすがって泣き叫び、駆けつけた清盛に「家盛に触るでない!」と取り乱す宗子。さらに、キレた忠正に「お前がこの家に災いを持ち込んだ」と罵られ、神輿を射た祟りだと責められ、忠正「お前が死ねばよかったのじゃ!」とまで言われては、家盛の死に後ろめたさを感じそう。この流れで、将来宗子に「家盛に面差しが似ているから助命してほしい」などと言われたら、拒否りにくいですねぇ。 前回に続き、一門にフルボッコされた清盛は屋根に登ります。意味が分かりません。そういえば、以前にもなぜか屋根の上でつぶやく「屋根の上のトニョ」なんてのもいましたね。

これを見た頼盛君、

頼盛「どうも兄上はやることがいちいち仰々しい」

同意。

頼盛「正直に申しまして、兄上、あなたが苦手です」

分かります。

頼盛「騒々しく何かをしでかしては、そうしてくよくよと悩まれる

視聴者の代弁者?

鳥羽院御所に伺候した忠盛・清盛親子。鳥羽院から高野山大塔再建を命じられた忠盛は、清盛をその名代とすることを願い出ます。

というわけで、7月9日、造営事始めのために高野山を訪れた清盛一行の前に現れた美坊主西行。大量の女人にモテモテ。あれ、ここ高野山じゃなかったっけ?

久安6年(1150年)1月4日(ドラマストーリーでは「1月6日」)。近衛帝元服。

頼長の養女多子入内。忠通も対抗して養女呈子の入内を画策。そこに現れる忠実、頼長親子。

忠実「頼長との養子縁組を反故にしただけでは飽きたらぬか。頼長に摂政の座を譲れ」

摂関家の分裂がようやく直接的に描かれました。が、きっかけになった基実誕生はスルーでいいのかな。ま、基実をスルーしても単なる仲違いで押し通すことは可能だとは思いますが。

保元の乱フラグを立てたのは摂関家だけではありません。崇徳院御所の居候、雅仁親王が久々の再登場。いきなりミュージカル大河に。

そそのかしているとも取れる崇徳院の言葉に、

$( ゚∀゚)$ アハハノヽノヽノヽノ\/\

この2人がねぇ……。

清盛の下に、高野山宝塔再建の勧進のために山を下りた西行が訪ねてきます。ヘコむ清盛に西行がアドバイス。

西行「よそ者のお手前にしか出来ぬことがきっとござります」

の言葉をバックに、墨をする清盛。清盛にしか出来ぬことってそれ!?

パパと喧嘩して家を飛び出した義朝は、町で常磐と再会。呈子の雑仕女にスカウトされる常磐。拒否る常磐を義朝が説得。さらにミスコンクイーンに。

院号宣下を受け美福門院となった得子の部屋から下がった帰り、頼長と遭遇する忠盛。

家盛についてとくとくとコメントする頼長。

頼長「少しばかりおだててやると、私に何もかも差し出しおった。(中略)見事なる犬死にじゃ」

家盛を利用していたことを、わざわざ本人や忠盛に語っちゃうあたり、妙に小者な頼長。それにしても、とうとう秦公春まで出ちゃいましたね。

これでぽっきり心が折れる忠盛。いつか志を遂げれば全てが報われると信じてきたが、家盛は報われない。だから寄進なんかやめだ。完全に取り乱し、曼荼羅に筆を入れようとする清盛にやめよと命じる忠盛。それに対して清盛はというと、

「私は家盛の、兄にござりまする!」

話がつながってない。清盛の返答は、崇徳帝のときも一門にハブにされたときも今回も、全然返答になっていません。人の話を聞いてないのか?この男。

額が割れてるのに曼荼羅に向かう清盛。あーあ、血で汚れちゃった。

その血で大日如来の唇をペイントする清盛。ああ、血曼荼羅ってことか。でも、アレは血を使って彩色した(といわれている)だけで、他の部分を血で汚したわけではないのですが……。

曼荼羅を血で汚してごろ寝している清盛を見て、なぜか心を開く宗子

「家盛が、兄上によろしゅうと言うておる」

え、何で?

そして鬼武者ナレ「こうして平氏一門が結束を深めた一方で、源氏一門の絆を危うくする事件が起きようとしていた」

え、源氏一門の絆?

大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第15回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。