大河ドラマ「平清盛」 第12回 宿命の再会

カテゴリ:平清盛
日時:2012/03/25 22:27

今回のテーマは清盛義朝の再会、と見せかけて、璋子死亡と清盛&時子、義朝&由良ちゃんのバカップル誕生。シリアスなんだかコメディーなんだかよく分からん構成です。

物語は天養元年(1144年)、平氏が明雲が率いる強訴を収めたところから。既に正四位下になっていた忠盛に(従)三位が授けられるのではとワクテカする一門ですが、与えられたのは正四位上で一門ガッカリ。

高階通憲もまた、改革案も通らず自身の出世も望めぬことに愛想が尽きて信西にリネーム頼長のオウムがしっかり「粛正」を覚えいたところがステキ。

忠盛の館では、後の池殿、頼盛が元服。が、このドラマでは元服式はガッカリ展開がお約束。忠盛が清盛に「武士として導いてやるがよい」と言うと、

清盛「番犬としてこき使われるだけと知りながら、命がけで戦えと。そう教えよということにござりますか」

と、厨二病の発作を起こす清盛27歳。朝廷に対する不満をぶちまけ、参列者全員しょんぼり。晴れて元服を果たした頼盛もしょんぼり。やはりとんだ元服式になってしまいました。 時子の家では、一条長成平時信がしょんぼり(おい、今日はみんなガッカリしょんぼりしてるじゃないか)。蛭子さん、源平モノに縁がありますね。演技は強烈にヘタクソなのに彼だと許せるというか、味に見えるというか、不思議な人です。

で、時信をしょんぼりさせていた元凶が松寿丸時忠。「平氏にあらずんば人にあらず」って言った人ですね。「毛利元就」のときはがんばっていたと思いますが、さて今回はどうでしょうか。

久安元年(1145年)7月、待賢門院を訪ねる得子。「人を愛しく思う気持ちの激しさを教わった」と語る待賢門院に、ドラマストーリーは
得子にはそんな言葉さえも憎々しく聞こえる。
とあるのですが、ドラマでは、得子は「どこまでも福々しげで、憎々しいお方じゃ」と憎まれ口を叩きつつ、憎悪とは異なる感情を持ったように見えました。

得子「法皇様を奪い、国母の座から蹴落とし、出家にまで追い込んでも。あなた様からすべてを奪い取ることはかなわなかった」

相変わらず得ちゃんはトークがぶっちゃけすぎですが、しんみりとしたいいシーンだったと思います。

得子と最後の対面を果たした待賢門院は危篤状態に。その報に、季節外れの水仙を求める鳥羽院。これをきっかけに、家盛の心情吐露と関東ヒャッハーから戻った義朝との再会エピへ。

久安元年8月22日、義朝が持ってきた水仙を待賢門院に渡す鳥羽院。

待賢門院「璋子は今、愛しさに、包まれておりまする」

こうして、璋子の天然爆弾でいちいち爆死していた鳥羽院の物語も一段落です。

泣かせエピの次は、怒濤のコメディー展開。

由良ちゃんが統子内親王(「$( ゚∀゚)$ アハハノヽノヽノヽノ\/\」の姉)に仕えていると聞いて彼女に興味を持つ義朝。東国で子をもうけたことを語り、

義朝「そなたも生むか?」「そなたには嫡男を生んでもらいたい」

酷い求婚ですが、それでもデレる由良ちゃん。え、あれでいいんだ……。まぁ、「※ただし(以下略)」ってことなんでしょうが。

一方の清盛も酷い。

清盛「もう、そなたでよい!」「そなたは俺に惚れておる! 子どもたちもそなたになついておる! あとは俺がそなたに惚れればよいだけじゃ」

清盛「俺の妻になれと言うておるのじゃ!」
鶏「コケコッコー

おいおい、と思っていたら、清盛を押し倒す時子。え、あれでいいんだ……

というか、正室を迎えるのに惚れる惚れないは重要ではないのでは。まぁ、大河ドラマの主人公は恋愛結婚が基本ですしねぇ……。

時は飛んで久安3年(1147年)。義朝&由良御前の間にはナレーター鬼武者誕生(先に娘が生まれているはずですが)。時子もお腹が大きくなっていましたが、宗盛ですね。今回もヘタれて「俺たちのムネムネ」と愛されるキャラになるのでしょうか。

そして、祇園社で終わりかー! ついに平氏一門もギスギスするときがやって参りました。

大河ドラマ「平清盛」キャスト(配役)
大河ドラマ「平清盛」 主要人物年齢年表
も第12回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。