大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 第27回 秀勝の遺言
カテゴリ:江~姫たちの戦国~
日時:2011/07/17 21:22
今回は全体的に演出の起伏に乏しく、1シーンがダラダラと長くて退屈でした。秀勝の文が届いてから一気に江の悲しみと再生で盛り上がるべきなのに、イマイチ盛り上がりに欠けていました。一応、今回は泣かせ回のはずでは?
物語の開始は永禄元年(1592年)冬から。秀次、完にデレデレです。そして、北政所と秀次、そろいもそろって秀勝を出兵させた秀吉をdisります。が、武士が戦に出陣するのは世の習い。イチイチ主君を恨んでどうする?
そもそも、何事も行動は自重すべき大将が「朝鮮人を庇って家臣に斬られる」マヌケだったことが(この大河限定の)問題なのに。
一方の秀忠はダラダラ。ちょっとだけ江を気にかけている演出がこざかしい。 明けて文禄2年。江はどうしているかというと、いまだにメソメソ。何と、育児放棄です。「抱けぬ」って、全然共感できないんですけど。
アンダーな江を立ち直らせるため、よりによって龍子に相談する初と江。結論は、「初めからいない人だったと思うのよ」ですか。
初:「聞く相手を間違えたわ」
龍子さん、面白すぎです。もう、「龍子の部屋」レギュラー化してください。ところで、オーパーツのセキセイインコはどこに?
そして7月17日、ガラシャの命日にガラシャが登場。このシーンはダラダラと長くて退屈でした。ガラシャは、忠興が幽閉中(1582~1584年)会いに来なかったと主張します。なるほど、すると1583年に生まれた忠秋は忠興の子ではないと? ガラシャの命日に不倫疑惑ですか?
相変わらず育児放棄状態でヘコみ続ける江の下に、秀勝の遺品と文が届けられます。今回のキモになるはずのシーンなのに、何でしょう、この盛り上がり感のなさ。そして、朝鮮の(というか敵国の)子と交流して反戦思想を持つという、ベタ月並み陳腐ありがち馬鹿の一つ覚えのような話。
ちなみに、このシーンで出てきた竹とんぼに、「竹とんぼを作ったのは平賀源内」というツッコミがありましたが、Wikipediaによると奈良時代からあったようですね。というわけで、竹とんぼはノープロブレム。それより、戦地(敵地)の子どもたちと遊ぶって、秀勝はいつの間に国連平和維持軍になったんでしょう。イチイチ薄っぺらい脚本です。
そして、秀勝の文を読んで育児開始。ベタ月並み陳腐ありがち馬鹿の一つ覚えのような話。今回は前半のムダでたるみきったシーン全カットで、秀勝の文が届いたところから開始でもよかったような。龍子も淀も初も江の再生には全然役立ってないし。
文禄2年8月。拾(秀頼)誕生で肥前名護屋城から戻った秀吉に、「戦はおやめください」とワンパターンなセリフを吐く江。まったく、誰にものを言っているんでしょう。秀吉はもっと早くこのセリフをアノ勘違い女に言うべきでした。
この秀頼の誕生によって立場が微妙になるのが、現関白の秀次です。後世の我々から見ると、秀次自身が自分を「秀頼が育つまでの中継ぎ」と捉えて、秀吉との確執が深まる前に辞任していたらあそこまでこじれなかったのでは? と思ってしまいます。なぜ、秀次は関白の地位に固執したのか。
いつの間にか秀次の軍師のように振る舞う江。「決して関白をやめてはなりません」って、秀次が破滅した原因は江の無責任なアドバイスか。
今回の大河の秀次は、小牧・長久手の一件を除けばかなり良く描かれていますね。三成が突然利休をdisり始めたときは、きちんと三成の言を退けて取りなしています。また、利休が切腹した後は、各者の心情を整理して江に解説するなど、道理や人情を弁えた人物に見えました。別に、先週・今週から急に(死亡フラグとして)扱いが良くなったわけではありません。このあたりは評価してもよいのでは。
むしろ、あれほど道理や人情(秀吉の心理)を弁えている秀次が、なぜさっさと関白職を返上しなかったのか。これをどう描くのかが問題になりそうです。「独眼竜政宗」の陣内秀次のようなおバカなら、特に違和感ないんですけどねぇ。
・大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」キャスト(配役)
・大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 三姉妹年齢年表
も第27回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。
江の子孫については、江の家系図もどうぞ。
物語の開始は永禄元年(1592年)冬から。秀次、完にデレデレです。そして、北政所と秀次、そろいもそろって秀勝を出兵させた秀吉をdisります。が、武士が戦に出陣するのは世の習い。イチイチ主君を恨んでどうする?
そもそも、何事も行動は自重すべき大将が「朝鮮人を庇って家臣に斬られる」マヌケだったことが(この大河限定の)問題なのに。
一方の秀忠はダラダラ。ちょっとだけ江を気にかけている演出がこざかしい。 明けて文禄2年。江はどうしているかというと、いまだにメソメソ。何と、育児放棄です。「抱けぬ」って、全然共感できないんですけど。
アンダーな江を立ち直らせるため、よりによって龍子に相談する初と江。結論は、「初めからいない人だったと思うのよ」ですか。
初:「聞く相手を間違えたわ」
龍子さん、面白すぎです。もう、「龍子の部屋」レギュラー化してください。ところで、オーパーツのセキセイインコはどこに?
そして7月17日、ガラシャの命日にガラシャが登場。このシーンはダラダラと長くて退屈でした。ガラシャは、忠興が幽閉中(1582~1584年)会いに来なかったと主張します。なるほど、すると1583年に生まれた忠秋は忠興の子ではないと? ガラシャの命日に不倫疑惑ですか?
相変わらず育児放棄状態でヘコみ続ける江の下に、秀勝の遺品と文が届けられます。今回のキモになるはずのシーンなのに、何でしょう、この盛り上がり感のなさ。そして、朝鮮の(というか敵国の)子と交流して反戦思想を持つという、ベタ月並み陳腐ありがち馬鹿の一つ覚えのような話。
ちなみに、このシーンで出てきた竹とんぼに、「竹とんぼを作ったのは平賀源内」というツッコミがありましたが、Wikipediaによると奈良時代からあったようですね。というわけで、竹とんぼはノープロブレム。それより、戦地(敵地)の子どもたちと遊ぶって、秀勝はいつの間に国連平和維持軍になったんでしょう。イチイチ薄っぺらい脚本です。
そして、秀勝の文を読んで育児開始。ベタ月並み陳腐ありがち馬鹿の一つ覚えのような話。今回は前半のムダでたるみきったシーン全カットで、秀勝の文が届いたところから開始でもよかったような。龍子も淀も初も江の再生には全然役立ってないし。
文禄2年8月。拾(秀頼)誕生で肥前名護屋城から戻った秀吉に、「戦はおやめください」とワンパターンなセリフを吐く江。まったく、誰にものを言っているんでしょう。秀吉はもっと早くこのセリフをアノ勘違い女に言うべきでした。
この秀頼の誕生によって立場が微妙になるのが、現関白の秀次です。後世の我々から見ると、秀次自身が自分を「秀頼が育つまでの中継ぎ」と捉えて、秀吉との確執が深まる前に辞任していたらあそこまでこじれなかったのでは? と思ってしまいます。なぜ、秀次は関白の地位に固執したのか。
いつの間にか秀次の軍師のように振る舞う江。「決して関白をやめてはなりません」って、秀次が破滅した原因は江の無責任なアドバイスか。
今回の大河の秀次は、小牧・長久手の一件を除けばかなり良く描かれていますね。三成が突然利休をdisり始めたときは、きちんと三成の言を退けて取りなしています。また、利休が切腹した後は、各者の心情を整理して江に解説するなど、道理や人情を弁えた人物に見えました。別に、先週・今週から急に(死亡フラグとして)扱いが良くなったわけではありません。このあたりは評価してもよいのでは。
むしろ、あれほど道理や人情(秀吉の心理)を弁えている秀次が、なぜさっさと関白職を返上しなかったのか。これをどう描くのかが問題になりそうです。「独眼竜政宗」の陣内秀次のようなおバカなら、特に違和感ないんですけどねぇ。
・大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」キャスト(配役)
・大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 三姉妹年齢年表
も第27回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。
江の子孫については、江の家系図もどうぞ。