大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 第21回 豊臣の妻

日時:2011/06/05 20:13

今回は、アバンタイトルの冒頭で「天正16年が明けてすぐ」といっていることから、1588年であることが分かります。ここで秀吉が画策している聚楽第への天皇行幸とは、天正16年4月14日の後陽成天皇行幸を指します。

このタイミングで、茶々が江に、秀吉と深い仲になったことを伝えます。前回20回の時点(天正15年)から、年をまたいでなぜこの時期に? という疑問が湧きますが、つまりは脚本の都合といったところでしょう。

これに反発した江、食事のときに膳の向きを変えて先に食べ始めることで分かりやすくアピール。やることがイチイチ子どもっぽいけどああ見えてまだ子どもだし。と思ったのですが、天正16年といえば(誕生日が来ていれば満)15歳、数えなら16歳です。当時としては、十分大人として遇され、また大人としての振るまいが要求される歳になってました……。 そして「龍子の部屋」を訪れる江ですが……セリフより何より、やはりセキセイインコが気になって仕方がありません。セキセイインコってのは、

セキセイインコは1800年代にオーストラリアで発見された。~
(中略)~
セキセイインコが日本に輸入されたのは、明治時代末期頃。

セキセイインコの歴史と特徴」より引用。

なので、16世紀の日本にいることは絶対にないでしょう。

「浅井なのに溝は深」くなった江と茶々。というか、一方的にATフィールド心の壁を作る江。ここに唐突に表れるのが、妙に大人っぽくなった初。秀吉のこともちゃんと「殿下」と呼ぶなど、礼儀も弁えてきたようです。

初:「姉妹の溝を埋めねばな」

と、大坂の陣の活躍を思わせる和平交渉ロールを展開します。初の最後のセリフといい、今回は三姉妹の将来を暗示させるエピソードが目立ちました。

こうしている間にも、茶々の懐妊が発覚。後の鶴松(お棄)ですね。わずか3歳で死んでしまうのかと思うと胸が痛みます。

さて、この時点で天正16年のいつなのでしょうか。鶴松が生まれたのは天正17年(1589年)5月27日(もちろん旧暦)。懐妊が分かったのはドラマなどでありがちな「3カ月目」と勝手に仮定すると、茶々のカミングアウトは天正16年10月くらいでしょうか。江と茶々、「天正16年が明けてすぐ」から10カ月くらいギスギスしてたの?

ついに動き出す、大政所に見える北政所。茶々を「側室ではなく、妻」と定義。

…………。

ごめん、意味が分からない。

「茶々(淀の方)は正室あるいは正室に準ずる扱いを受けていた」という説を唱える方もおられますが、その説を採るならそれもよし、ロジックとしてはすっきりします。基本的に今回の大河もこの説を取り入れているとのことですが、「側室ではなく、妻」というのは言葉遊びというかレトリックで逃げている感があって不快です。

このグダグダを尻目に、1人単純明快な初。「高次の子を産むぞ」と、意気揚々帰っていきます。三姉妹で唯一、子を産むことができなかったことを思うと、子作りに意欲的な初が不憫でなりません。

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」キャスト(配役)
大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 三姉妹年齢年表
も第21回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。