大河ドラマ「義経」 第31回 飛べ屋島へ

カテゴリ:義経
日時:2005/08/07 22:02

「三郎が2人」だの「熊にカニ」だのという、「なくてもよい」シケた学芸会を見せていただいた第31回。今回もダメかと思ったが、渡辺津到着後はなかなか見ごたえがあった。梶原景時役の中尾彬が、学芸会になだれ込みそうな場面をきっちりシメている感じ。やるな、ねじりマフラー。

で、渡辺津。細かいところで平家物語などとは異なるものの、有名な逆櫓イベント発生。まず「船がそろわない」という状況を設定することで、景時とヨッシーの間に意見の相違をわずかに作り出している。

この脚本はうまいと思ったが、早く海を渡ろうとあせりを見せるヨッシーの態度は大将としていかがなものか。ヨッシーの将器を見せたいのか、ヘタレ大将として描きたいのか、意図にブレを感じる演出である。 さらに、海が荒れて船の修理が必要となり、いよいよイラだちを見せるヨッシー。こうした下準備を経て、逆櫓論争スタート。景時が逆櫓を具申する部分はちと流れが強引のように感じたが、「逆櫓を取り付けるのに5日かかる」という渡辺学のセリフに感心。をを! 逆櫓拒否の理由を時間にするのか! これならヘンテコな精神論より説得力があるぞ。脚本家ぐっじょぶ!

んが、次の瞬間にすべてぶち壊し。やっぱり、「退く準備などもってのほか」ですかい。大河におけるヨッシーのセリフはかなりマイルド化されていた(景時を臆病者よばわりしていない)ものの、やりとり全般はよく知られているとおり。

逆櫓論争って、何度考えても景時の方がまともなことをいってるとしか思えない。ヨッシーの「攻めるのみ」的精神論は、景時のいうとおり猪武者のやることでは。大河では異なる展開になっていたが、源平盛衰記(だっけ?)では船が200艘あり、そのうちヨッシーに従ったのが5艘のみとなっている。嵐の中での出陣という要素もあったとはいえ、195艘分の源氏軍はヨッシーに従わなかったわけだ。つまり、大将としてのヨッシーにほかの武将も批判的だったのではないか。これを史実扱いするわけではないが。

結局、逆櫓論争は常識論と精神論の平行線に終わる。頼朝との会見のときといい、ヨッシーは精神論ばかりだな。こういうところがバカっぽいのだが。さらに、嵐の中を強引に船出すると主張して景時との亀裂をますます広げる。「5艘だけでも渡っちゃう」というやりかたも、大将としてはいかがなものか。少数でもとにかく突撃って、バカっぽい。結果的に勝ってしまったので「奇襲戦の天才」などといわれるが、単に「結果オーライ」だっただけではないか。

また、気になったのが景時の「鎌倉殿の軍である」という意見に対して、「大将となったからには私の軍」と答えるヨッシー。所領もなく、頼朝に食わせてもらっているだけの分際で、なんたる増長。単なる前線司令官にすぎないのだから、ヨッシーは「軍をお預かりしているだけ」という謙虚さを見せるべきであろう。このセリフは、後の景時の讒言に使われそうな気がする。

最後は、そのほかのエピソードについて。

佐藤ブラザーズ兄、継信とヨッシーのツーショット語り合い。死亡フラグ キター! もう、次回殺す気マンマンな脚本に笑ってしまった。こうしてスポットライトを当ててあげるのはいいことだと思うけど。

手打ちAA職人景季の心酔っぷりはちとキモかった。「宇治川、一ノ谷に従った」といっていたが、オマエ逆落とししてねーじゃん。

喜三太がジモティーに聞き込みしているところは、

ふねどこか たのむ

という文字列が頭をめぐってしまった。郎党男ガンガレ。超ガンガレ