大河ドラマ「おんな城主 直虎」 第7回 検地がやってきた 感想

カテゴリ:おんな城主 直虎
日時:2017/02/19 22:57

今回も架空のお話で、井伊の隠し里を巡って直親と政次の関係性、特に政次の心が揺り動かされます。

聞こえてくる井伊直親の笛の音。続いて、しのの鼓の音。直親の隣に次郎法師の居場所はないと思い知らされます。

一方、新野は今川義元に直親の帰参と家督相続を願い出ます。結果、それはスルーだけど検地するよ、ということに。国衆の賦役見直しの一環とのことなので、特に井伊だけ締め付けようとか、家督相続を願い出たからというわけではなさげです。

が、隠し里を川名に持つ井伊直平が拒否反応。隠し里が井伊の民が逃げ込む最後の砦だと知り、直親は隠し里を隠し通す決意を固めます。

政次の出方が気になる次郎法師。

直親「政次は俺と同じように思うておるところがあるような気がするのじゃ。決して己の父親のようにはならぬと」

そして、小野家を訪ねる直親。直親が差し出した川名の指出をざっとあらため、サクっと隠し里の分が欠けていることを見抜く政次さすが。まあ、隠し里のことを知っているからには、それをどう扱うつもりなのか? という目線で見るでしょうから気づいて当然かもしれません。

そしてここから、聖人君子のいい子ちゃんだった直親の、見方によっては結構黒いトークが始まります。 まずは「川名の隠し里をないことにしてしまいたい」とぶっちゃけます。続いて、小野の立場をおもんぱかる懐柔作戦全開。

直親「鶴は今川の目付という立場もあろう。隠していたことが露見したときに、今川より落ち度を責められるのは小野だ。そして、そうなった小野を井伊は守りはせぬであろう。だが、今川もまた小野を駒としか思っておらぬ。ここが小野の苦しいところなのであろう」

まさに小野の立場について正鵠を射た分析。素直な小野玄蕃には刺さりまくったようです。まぁ、直親に甘言を弄しているつもりはないのでしょうが。

しかし次はかなり狡猾です。「もし鶴が隠すことに加担したくないと思うならこの冊子をつけて出してくれ。もし一肌脱いでくれるというならそのまま破り捨ててくれ」と、隠し里の命運を政次に丸投げします。「協力してくれ」と要求するだけなら、結果はどうあれ直親の責任。しかし、選択権をゆだねることで協力するにせよしないにせよ、政次に心理的な負担を強いることになります。

直親はずるい。井伊の次期当主として、自分の責任において「隠せ」と命じるべきでした。このやりかたは、幼なじみへの甘えですね。

政次「あいつめ、俺の了見を見越した上で最後は俺に決めよと言い放ちおった……俺に決めよと!」

翌日、政次がとりまとめた台帳に隠し里の分は未記載。隠し里の指出は「破り捨て申した」という政次。が、井伊の井戸を参る政次は、どうみても「アレ」を持っている。そして、次郎法師に「俺の思うよう事が運ぶようにな」という含みのある言葉を残して立ち去ります。

そして検地開始。会計監査とかソフトウェアライセンス監査とか、まあそんな感じです。迎える方も大変ですよね。関わらなくていい部署でよかった。

奉行は予想以上にきっちり仕事をこなす岩松さん。この時期に今川の家臣だったりするので、後に交代寄合に列する岩松氏とは異なるようです。

政次の真意を測りかねた次郎法師は、小野家にアポなし訪問して「亀の味方をしてやってほしい」と要求。これに対し、政次は珍しく本音らしきものを漏らします。

政次「次郎様は、俺の立場では物を考えぬお人であるらしいが、俺はあいつのせいで二度も好機を失っておるのだ」

確かに、政次の心情やら立場やら、この人全く考えてないよね。

政次「何の覚悟もないのなら寺で経でも読んでおれ」

よく言った!

そのまま次郎法師に放置プレイをかます政次。ノベライズには、このときの心情が書かれています。
俺の苦しみを少しは味わうがいい――残酷な喜びが、政次の胸にわき上がった。


次郎法師は朝まで放置され、ようやく瀬名からのメールを受け取ります。

次郎法師の依頼を受け、岩松懐柔の材料調査に奔走した瀬名ですが、首尾が上がらず。が、ようやく竹千代と岩松が親しかったことを突き止めます。ドラマでは、「お声がけ下さらぬのじゃ!」とキレる瀬名が意味不明ですが、これはセリフがカットされたため。ノベライズを読むと意味が通ります。
「何故、お声がけくださらぬのじゃ! 私があちこちに聞き回り、難渋していたのは見かけておられたであろ!」
と。
竹千代はぽかんと口を開けた。まったく気に留めていなかったらしい。
ということで、瀬名を意識しているようで実は大して興味を持っていないことが示唆されています。この1文を見ると、(このドラマにおける)家康の行動にも合点がいくのですが、それはまた数週間後のお話。

ともかく、瀬名のおかげで岩松の人となりが判明します。「岩松殿のこよなく愛するものは、数と算術、それと亡くなられた奥方様」

ノベライズの方は、「数と算術」でいったん区切られていて、最も重要な「亡くなられた奥方様」の部分が明かされるのは次郎法師が経をあげると申し出た後。これによって、隠し里の一件が落ち着いた後に、「ああ、そうだったのか」と後味良く展開するのですが、ドラマではここで明かされてしまい、その後に隠し里の顛末が続くという構成。そのため、岩松の妻の件の蛇足感が否めません。どうも、ドラマはノベライズよりつまらなくて困ります。

一方、川名の検地を終えた岩松は、唐突に隠し里への入り口を発見。岩松の不信感を刺激するような演出はできなかったものでしょうか。あれでは単なるエスパーかニュータイプです。で、直親はというと「岩松殿! そちらは違いまする! そちらは何もございませぬ!」とあからさまに焦って制止する始末。おまえ、怪しすぎるよ。

そして、岩松は全く迷うことなく一直線に隠し里に到達。何だろうね、このセンスのかけらもない唐突な展開。

指出未記載の棚田について問いただされる直親は、「この里は井伊のものではございませぬ」と強弁。「ではここの里はどこのものじゃ」と問われると、政次にキラーパス。

直親「そこは何分帰参致しましたばかりにございまして。但馬。この里は井伊のものではないのであろう? 指出を渡したときも何も言うておらなかったが」

全くもって恐ろしい、丸投げ論法。このセリフだけ切り取れば、政次に全責任をなすりつけているようにしか聞こえません。ここもノベライズによるフォローが必要でしょう。
直親は祈るような、すがるような目で政次を見つめている。政次ならきっとなんとかしてくれる。そう思っているのだ。
これを念頭にあのシーンを見ると、三浦春馬はそれらしい顔をしているように見えなくもありません。が、顔芸だけでノベライズの内容を表現するのはちょっと難しかったように思います。

どうする政次? と、矢面に立たされた政次は、井伊が南朝について宗良親王を保護した故事を利用しつつ、「井伊の領地にありながら井伊の領地にあらずという扱い」と説明。この説明で納得しちゃった岩松さん。あ、こんなんでいいんだ。

ここでようやく、唐突に現れた場違いな尼僧に気付く岩松さん。そこで、「駿府の瀬名姫より本日は岩松様の奥方様の月命日であると伺いまして。こたびは井伊までのお出向き。きっとご供養もおできにならずではと思い。私でよければ経などをあげさせて頂こうかと」。後半はとっさのアドリブか。井伊の連中は、息をするように嘘をはきます。

翌日、政次は隠し里の台帳を直親に返します。どう使うつもりだったのか。「答えは直親様がお決めくださいませ」ということで、政次の「俺の思うよう事が運ぶようにな」の真意は分からずじまいでした。

政次「それがしを信じておられぬなら、おられぬで構いませぬ。されど、信じているふりをされるのは気分がよいものではありませぬ」

そんな政次に、「おとわのために」と協力を要請する直親。基本的に、思っていることを全て口にし、善意でことを運ぼうとする直親。一方、真意が100%は読み切れない、描写されない政次。この2人の男の関係性はなかなかスリリングで面白い。実際のところ、今後の展開も含めて本ドラマのキーパーソンは政次。直親は王子様役のように見えて、実は大して重要ではなく、サクっと死んでいきます。それまで、次郎法師は基本的にイラナイ子状態です。

そして、久々の史実パート。松平元信と瀬名の縁組みです。

元信「身に余るお話にございます」
瀬名「私も身が余っておりまする」

瀬名の言動が面白いのはここまでかな。桶狭間で2人の関係性も大きく変わっていきます。

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