大河ドラマ「真田丸」 第6回 迷走 感想
カテゴリ:真田丸
日時:2016/02/14 23:15
今回は、本能寺の変直後の混乱と天正壬午の乱をつなぐ、いわゆる「つなぎ回」。汁掛け飯を食っていなかったのは残念ですが、期待の北条氏政が本格的に登場。真田昌幸も生き残り戦略を刷新するなど、天正壬午の乱に向けて各陣営の立ち位置をうまく整理しています。
ではドラマスタート。
本能寺の変から2日、安土城下が明智の軍勢に占拠された。ん? 明智の安土入りは3日後の6月5日のはずだが……。ともかく、真田信繁たちは安土を脱出する機会をうかがっているところからスタート。前回救出した女性陣を引き連れていることから、大して時間は経過していないようです。
そして、割りとありきたりな展開で明智兵に発見され、取ってつけたような活劇開始。真っ先に突撃し、敵兵の槍を奪って戦う奮戦ぶりを見せるヒゲ誠の意外性が見どころです。
なぜか松を負う明智兵。そこへ現れる佐助。6月3日の夜に昌幸に命じられ、夜を徹して西上。6月4日か5日には信繁たちの潜伏先を突き止めたのですから有能です。そして強い! が、衆寡敵せず。佐助も敵兵を止めきれず。松が逃げたのは、追い詰められた犯人が犯行を自白して服毒しそうな崖の上という要領の悪さ。そして、信繁と佐助の眼前で崖からダイブ。「松のそばにいたい」と残留を主張するヒゲ誠の嘆く演技にうっかりもらい泣きしそうになりますが、松の無事は分かっているだけに、あまり感情移入できません。
ちなみに、松(村松殿)が本能寺の変の際に行方不明になり、2年後に保護されるのはドラマのオリジナルではなく、『加沢記』(加沢平次左衛門が残した手記)が原典だったりします。松は信繁が生涯の最後にメールした相手でもあるので、ドラマの最後まで生きています。記憶喪失を乗り越えて帰還したときにキャラ変しているのか否か?
ここで場面は真田の郷へ。滝川一益から昌幸に呼び出しメールが届きます。いよいよ一益も本能寺の変について知ったのか? さてどうする昌幸。
昌幸「源三郎、お前はどう思う?」
信幸「私の意見が取り上げられたことなど一度もありませぬ」
昌幸「取り上げるとは言っておらぬ。聞かせろと言っているんだ」
信幸の微妙な心理が表れていてほほえましい。
織田に付くべきと説く信幸。お前はまっすくだなという昌幸。父にそう教えられたと返す信幸。これを聞いた昌幸の、何ともうれしそうな顔が良かった。
そして厩橋城。
一益「上様が亡くなられた」
昌幸「今、何と申された!?」
ぬけぬけと知らない振りをする昌幸さん、さすがです。
一益「臭い芝居はよせ。知っておったのだろう」
一益も前回までの一益ではなかった。緊急事態に接し、戦闘モードに切り替えた一益は鋭いし、シビア。国衆の中でも真田が最も信用できないと、昌幸に人質を要求します。笑顔ながら、昌幸に親しくオススメ温泉を聞く前回の一益ではありません。一益を単なる情弱の平和ボケにしなかったところは素晴らしい。
安土から脱出した信繁たちは、「峠を越えたら信濃」という、信濃の手前まで来ていました。近江から美濃を横断してきたところでしょうか。松を救えなかったことをクヨクヨと悔やむ信繁ですが、他の女性たちはどこへ?
そして、ここで長可の軍と遭遇します。越後から海津城を経由して美濃に戻ろうとする長可と、美濃から信濃に入ろうとする信繁が遭遇するのはあり得なくはありませんが、長可が岐阜城に行ったのが6月25日だったことを考えると、長可の美濃入りが早過ぎるような気がします。
今は一体何日なのか? 一益が本能寺の変を知ったのは7日あるいは9日とされています。一方、森長可は越後侵攻中に本能寺の変を知り、6月8日に撤退を開始します。海津城を経由していること、苦難の撤退戦の経過を考えると9日以降でしょう。そして、山崎の戦いの前なので6月13日以前。美濃と信濃の国境付近から岐阜城まで10日以上かかるはずがない(薬売りは23時間以下で美濃を横断している)。まぁ、長可と信繁を合わせたかったという大人の都合でしょうから仕方がありません。
さて、信繁たちが長可の兵たちの様子をうかがっていると、いきなり後ろから刀を突きつけられます。佐助がいながらどうしたことかと思ったら、出浦昌相たちではありませんか。相手が出浦では仕方がありません。
主従の契りを交わしたからには最後まで尽くすのが素っ破の流儀と語る出浦。「一揆にでもやられたか、かなり参っている」長可の兵。「わしら織田方はお主たちを守りこそすれ害をなそうなどとは思っていなかった。わしらを追い出せば必ずや信濃は方々から攻められ食いつぶされるであろう。そのときになって後悔しても既に遅しじゃ」と語る長可。
何があったのか、察せられる最小限の情報は出しつつも、直接は語らないところが憎いというか、惜しいというか。出浦のかっこいいエピでもあるので、もっと直接描写してもよかったような気がしますが、真田とは直接関係ない話だからこの程度、ということかもしれません。
長可は越後から信濃に撤退したものの、本能寺の変を知っていた信濃の国衆は長可を裏切って一揆を起こしたのでした。長可の兵が参っていたのはこのため。長可のセリフも、この信濃の国衆の仕打ちを暗に非難したものだったのです。しかし、出浦だけは長可を裏切らず、長可の撤退に協力。長可はこれに感謝し、脇差しを贈ったのでした。これが、出浦が語った素っ破の流儀というわけです。
一方、昌幸は恒例行事化しつつある小県ミーティングを開催。「一益に手を貸すことにした」と言い出した昌幸に、朝令暮改だと噛みつく室賀。ここまでくると、さすがに室賀の気持ちも分かります。そして信幸が口を挟み、「黙れ小童!」(3回目)と室賀が叫ぶところまでが様式美化。
すると、あっさり北条に従うと言い出す昌幸さん。が、北条に今動かれては困るということで真田信尹を派遣します。そしてついに、期待の氏政登場。大河では常にいい仕事をしてきた高嶋弟。このときが実に楽しみでした。
大河では割といい人キャラが多いのですが、今回は曲者キャラ。口の端をヒクヒクさせたり、顔芸が細かい。上目遣いとか、若干やり過ぎのきらいはあるものの、敵役という立ち位置を捉えた演技が楽しい。
徳川パートは、まだ疲労回復中の徳川家康さん。お互いに顔についたご飯粒を食べ合った仲だというのに、予想通り早くも平八郎を面倒がる家康がヒドイ。明智討伐を主張する平八郎を尻目に、この情勢をのらりくらりとかわすことに。徳川パートも何気に癒やしシーン状態。これがいつ化けるのか?
傷心の信繁はようやく真田に帰還。「何も言わなくていいから聞いていてほしい」と、梅に心情を吐露する信繁。明智の動きを読み誤った。兄より才があると思っていた。才がなければ、私は役立たずの次男坊と、実は結構複雑な思いを抱えていたことが明らかになります。お気楽な次男をエンジョイしているように見えて、自分の居場所の確保を気にしていたとは。
黙っている梅。
信繁「あの、何か言っても構いませんよ」
いや、ちょいちょい笑いどころを入れてこなくていいから。
きりには反発し、梅には素直になるという信繁の行動パターンも確立してきましたが、信繁の全てを受け入れる梅と共に、「皆に言ってほしいんでしょ。あなたのせいじゃないって」と本心を直撃するきりの存在が、今後必要になってくるのでしょう。
昌幸は、一益への人質としてとりを差し出すことに。これは史実通り。そして、とりの世話役としてきりも沼田へ行くことに。
そんなこんなしているうちに、山崎の合戦がセリフだけで終了。真田からすればこんな感じだったことでしょう。去年の変なモノでも、有名な出来事がセリフだけでスルーされて大いに叩かれましたが、『真田丸』も似たようなモノということになります。山崎スルーは叩かれるのか否か? 多分、叩かれないような気がします。「有名エピをスルーした」というのは批判の一側面に過ぎず、そもそもドラマにすらなっていないつまらなさが原因だったのですから。
こうして、6月13日以降になっていることが判明。羽柴秀吉は当然ながら勝利を積極的に喧伝したでしょうが、信濃や上野まで1日くらいはタイムラグがあったことでしょう。
そして意外や意外、一益は秀吉を「天下人に最も近い男」と、非常に肯定的に評価します。秀吉の敵役になることが多いだけに、このドラマにおける一益の造形はなかなか興味深い。これだけ評価していながら、賤ヶ岳の戦いでなぜ柴田勝家についたのか。三谷が一益をどう動かすのか、楽しみです。
が、これで一益の目はなくなったと嘆く昌幸。実は、第1回からこれまで、昌幸の作は織田についたとき以外、全て失敗しているのです。武田勝頼を岩櫃に迎えようとして失敗、(結果論として)織田についたのが失敗、上杉を呼び込もうとして失敗、織田家における一益の地位向上を狙って失敗。策士策におぼれるを地でいく昌幸さん、がんばれ。
挫折感を抱えた昌幸と信繁が、櫓の上で語り合います。「力が欲しいのう」と語る昌幸さんが切ない。信繁の話を聞き、昌幸は彼のほおをペチペチ。昌幸の死後、信繁が大助のほおをペチペチするときがあるのかもしれない。そんなことされたら泣いてしまうわ。
明智討伐の知らせは氏政にも届きます。そしてついに、北条が上野へ侵攻を開始します。これが6月16日。北条は5万以上の大軍。一益の手勢は2万弱。一益ピンチ。
が、一益に援軍は出さず、北条にもつかないという昌幸。
昌幸「もうやつらの顔色をうかがうのはごめんじゃ」
こうして、昌幸による沼田および岩櫃の奪還作戦が始まるのでした。いよいよ物語が大きく動き出します。
2016年 大河ドラマ「真田丸」キャスト(配役)
もご利用ください。
畿内を一気に平定した直轄軍。一方、北陸方面軍には山陰地方の攻略を担当させます。越前から若狭、丹波、丹後、但馬、因幡を経て、伯耆へ侵攻中。直轄軍は山陽地方を進み、備後で毛利をボコり中です。
武田勝頼軍は紀伊から淡路を経て阿波、讃岐、土佐の平定を担当。讃岐に入った部隊は伊予の手前まで侵出。ドラマではかわいそうな最期を遂げた勝頼が、大軍を率いて四国に攻め入るとは胸熱です。
武田による全国統一まであと少し。
ではドラマスタート。
本能寺の変から2日、安土城下が明智の軍勢に占拠された。ん? 明智の安土入りは3日後の6月5日のはずだが……。ともかく、真田信繁たちは安土を脱出する機会をうかがっているところからスタート。前回救出した女性陣を引き連れていることから、大して時間は経過していないようです。
そして、割りとありきたりな展開で明智兵に発見され、取ってつけたような活劇開始。真っ先に突撃し、敵兵の槍を奪って戦う奮戦ぶりを見せるヒゲ誠の意外性が見どころです。
なぜか松を負う明智兵。そこへ現れる佐助。6月3日の夜に昌幸に命じられ、夜を徹して西上。6月4日か5日には信繁たちの潜伏先を突き止めたのですから有能です。そして強い! が、衆寡敵せず。佐助も敵兵を止めきれず。松が逃げたのは、追い詰められた犯人が犯行を自白して服毒しそうな崖の上という要領の悪さ。そして、信繁と佐助の眼前で崖からダイブ。「松のそばにいたい」と残留を主張するヒゲ誠の嘆く演技にうっかりもらい泣きしそうになりますが、松の無事は分かっているだけに、あまり感情移入できません。
ちなみに、松(村松殿)が本能寺の変の際に行方不明になり、2年後に保護されるのはドラマのオリジナルではなく、『加沢記』(加沢平次左衛門が残した手記)が原典だったりします。松は信繁が生涯の最後にメールした相手でもあるので、ドラマの最後まで生きています。記憶喪失を乗り越えて帰還したときにキャラ変しているのか否か?
ここで場面は真田の郷へ。滝川一益から昌幸に呼び出しメールが届きます。いよいよ一益も本能寺の変について知ったのか? さてどうする昌幸。
昌幸「源三郎、お前はどう思う?」
信幸「私の意見が取り上げられたことなど一度もありませぬ」
昌幸「取り上げるとは言っておらぬ。聞かせろと言っているんだ」
信幸の微妙な心理が表れていてほほえましい。
織田に付くべきと説く信幸。お前はまっすくだなという昌幸。父にそう教えられたと返す信幸。これを聞いた昌幸の、何ともうれしそうな顔が良かった。
そして厩橋城。
一益「上様が亡くなられた」
昌幸「今、何と申された!?」
ぬけぬけと知らない振りをする昌幸さん、さすがです。
一益「臭い芝居はよせ。知っておったのだろう」
一益も前回までの一益ではなかった。緊急事態に接し、戦闘モードに切り替えた一益は鋭いし、シビア。国衆の中でも真田が最も信用できないと、昌幸に人質を要求します。笑顔ながら、昌幸に親しくオススメ温泉を聞く前回の一益ではありません。一益を単なる情弱の平和ボケにしなかったところは素晴らしい。
安土から脱出した信繁たちは、「峠を越えたら信濃」という、信濃の手前まで来ていました。近江から美濃を横断してきたところでしょうか。松を救えなかったことをクヨクヨと悔やむ信繁ですが、他の女性たちはどこへ?
そして、ここで長可の軍と遭遇します。越後から海津城を経由して美濃に戻ろうとする長可と、美濃から信濃に入ろうとする信繁が遭遇するのはあり得なくはありませんが、長可が岐阜城に行ったのが6月25日だったことを考えると、長可の美濃入りが早過ぎるような気がします。
今は一体何日なのか? 一益が本能寺の変を知ったのは7日あるいは9日とされています。一方、森長可は越後侵攻中に本能寺の変を知り、6月8日に撤退を開始します。海津城を経由していること、苦難の撤退戦の経過を考えると9日以降でしょう。そして、山崎の戦いの前なので6月13日以前。美濃と信濃の国境付近から岐阜城まで10日以上かかるはずがない(薬売りは23時間以下で美濃を横断している)。まぁ、長可と信繁を合わせたかったという大人の都合でしょうから仕方がありません。
さて、信繁たちが長可の兵たちの様子をうかがっていると、いきなり後ろから刀を突きつけられます。佐助がいながらどうしたことかと思ったら、出浦昌相たちではありませんか。相手が出浦では仕方がありません。
主従の契りを交わしたからには最後まで尽くすのが素っ破の流儀と語る出浦。「一揆にでもやられたか、かなり参っている」長可の兵。「わしら織田方はお主たちを守りこそすれ害をなそうなどとは思っていなかった。わしらを追い出せば必ずや信濃は方々から攻められ食いつぶされるであろう。そのときになって後悔しても既に遅しじゃ」と語る長可。
何があったのか、察せられる最小限の情報は出しつつも、直接は語らないところが憎いというか、惜しいというか。出浦のかっこいいエピでもあるので、もっと直接描写してもよかったような気がしますが、真田とは直接関係ない話だからこの程度、ということかもしれません。
長可は越後から信濃に撤退したものの、本能寺の変を知っていた信濃の国衆は長可を裏切って一揆を起こしたのでした。長可の兵が参っていたのはこのため。長可のセリフも、この信濃の国衆の仕打ちを暗に非難したものだったのです。しかし、出浦だけは長可を裏切らず、長可の撤退に協力。長可はこれに感謝し、脇差しを贈ったのでした。これが、出浦が語った素っ破の流儀というわけです。
一方、昌幸は恒例行事化しつつある小県ミーティングを開催。「一益に手を貸すことにした」と言い出した昌幸に、朝令暮改だと噛みつく室賀。ここまでくると、さすがに室賀の気持ちも分かります。そして信幸が口を挟み、「黙れ小童!」(3回目)と室賀が叫ぶところまでが様式美化。
すると、あっさり北条に従うと言い出す昌幸さん。が、北条に今動かれては困るということで真田信尹を派遣します。そしてついに、期待の氏政登場。大河では常にいい仕事をしてきた高嶋弟。このときが実に楽しみでした。
大河では割といい人キャラが多いのですが、今回は曲者キャラ。口の端をヒクヒクさせたり、顔芸が細かい。上目遣いとか、若干やり過ぎのきらいはあるものの、敵役という立ち位置を捉えた演技が楽しい。
徳川パートは、まだ疲労回復中の徳川家康さん。お互いに顔についたご飯粒を食べ合った仲だというのに、予想通り早くも平八郎を面倒がる家康がヒドイ。明智討伐を主張する平八郎を尻目に、この情勢をのらりくらりとかわすことに。徳川パートも何気に癒やしシーン状態。これがいつ化けるのか?
傷心の信繁はようやく真田に帰還。「何も言わなくていいから聞いていてほしい」と、梅に心情を吐露する信繁。明智の動きを読み誤った。兄より才があると思っていた。才がなければ、私は役立たずの次男坊と、実は結構複雑な思いを抱えていたことが明らかになります。お気楽な次男をエンジョイしているように見えて、自分の居場所の確保を気にしていたとは。
黙っている梅。
信繁「あの、何か言っても構いませんよ」
いや、ちょいちょい笑いどころを入れてこなくていいから。
きりには反発し、梅には素直になるという信繁の行動パターンも確立してきましたが、信繁の全てを受け入れる梅と共に、「皆に言ってほしいんでしょ。あなたのせいじゃないって」と本心を直撃するきりの存在が、今後必要になってくるのでしょう。
昌幸は、一益への人質としてとりを差し出すことに。これは史実通り。そして、とりの世話役としてきりも沼田へ行くことに。
そんなこんなしているうちに、山崎の合戦がセリフだけで終了。真田からすればこんな感じだったことでしょう。去年の変なモノでも、有名な出来事がセリフだけでスルーされて大いに叩かれましたが、『真田丸』も似たようなモノということになります。山崎スルーは叩かれるのか否か? 多分、叩かれないような気がします。「有名エピをスルーした」というのは批判の一側面に過ぎず、そもそもドラマにすらなっていないつまらなさが原因だったのですから。
こうして、6月13日以降になっていることが判明。羽柴秀吉は当然ながら勝利を積極的に喧伝したでしょうが、信濃や上野まで1日くらいはタイムラグがあったことでしょう。
そして意外や意外、一益は秀吉を「天下人に最も近い男」と、非常に肯定的に評価します。秀吉の敵役になることが多いだけに、このドラマにおける一益の造形はなかなか興味深い。これだけ評価していながら、賤ヶ岳の戦いでなぜ柴田勝家についたのか。三谷が一益をどう動かすのか、楽しみです。
が、これで一益の目はなくなったと嘆く昌幸。実は、第1回からこれまで、昌幸の作は織田についたとき以外、全て失敗しているのです。武田勝頼を岩櫃に迎えようとして失敗、(結果論として)織田についたのが失敗、上杉を呼び込もうとして失敗、織田家における一益の地位向上を狙って失敗。策士策におぼれるを地でいく昌幸さん、がんばれ。
挫折感を抱えた昌幸と信繁が、櫓の上で語り合います。「力が欲しいのう」と語る昌幸さんが切ない。信繁の話を聞き、昌幸は彼のほおをペチペチ。昌幸の死後、信繁が大助のほおをペチペチするときがあるのかもしれない。そんなことされたら泣いてしまうわ。
明智討伐の知らせは氏政にも届きます。そしてついに、北条が上野へ侵攻を開始します。これが6月16日。北条は5万以上の大軍。一益の手勢は2万弱。一益ピンチ。
が、一益に援軍は出さず、北条にもつかないという昌幸。
昌幸「もうやつらの顔色をうかがうのはごめんじゃ」
こうして、昌幸による沼田および岩櫃の奪還作戦が始まるのでした。いよいよ物語が大きく動き出します。
2016年 大河ドラマ「真田丸」キャスト(配役)
もご利用ください。
今週の戦国史:頑張れ武田家
畿内を一気に平定した直轄軍。一方、北陸方面軍には山陰地方の攻略を担当させます。越前から若狭、丹波、丹後、但馬、因幡を経て、伯耆へ侵攻中。直轄軍は山陽地方を進み、備後で毛利をボコり中です。
武田勝頼軍は紀伊から淡路を経て阿波、讃岐、土佐の平定を担当。讃岐に入った部隊は伊予の手前まで侵出。ドラマではかわいそうな最期を遂げた勝頼が、大軍を率いて四国に攻め入るとは胸熱です。
武田による全国統一まであと少し。