大河ドラマ「軍師官兵衛」 第30回 中国大返し 感想
カテゴリ:軍師官兵衛
日時:2014/07/27 22:55
天正10年(1582年)6月6~7日、備中高松-播磨姫路マラソン開催。
参加資格:羽柴軍将兵
開催概要:高位身分者は騎乗で参加可(代え馬完備)。途中、給水所で食料や換えのわらじを支給。夜間照明あり。ゴールした人全員に姫路城の金銀、米を配布。
というわけで、中国大返しです。広い意味では、高松城から山城の山崎までの200kmの移動を指しますが、戦略的に重要なのはまず6月7日の姫路城到着まででしょう。毛利との対陣で拘束されているはずの秀吉が、策源地の姫路まで戻り自由に行動できる状態になったことは光秀を驚愕させたはず。これだけでも戦略的に優位に立てます。
移動距離は、一般に6月6日に22km、6月7日に70kmで計92km。Googleマップで高松城-姫路城間を徒歩でルート検索すると93km。ドラマでは80kmとなります。80kmとしても、1日の行軍速度としては常識外です。 で、姫路到着。長政がうろついていると、小六の娘の糸に叱責されます。長政の最初の妻ですね。やっぱり、祝言を挙げる前に出会っちゃうんですね。「羽柴ご家中の女房衆が駆け付けてくれたのです」なんて理由を付けてますが、小六の娘が姫路城にいるのはすっごく不自然ですね。そんなへんてこな理由をこじつけてまで、ボーイミーツガールさせちゃいますか。
にしても、この小娘ははっきり言って「異常」。というか「頭がおかしい」。父の同僚の嫡子と知って、公衆の面前で侮辱するなど、あり得ません。仮に娘の身分が高かったとしても、あの行為は大変見苦しくはしたない。現代でも、こんな女は誰からも相手にされないでしょう。このイカレタ女を「はねっ返りの面白いおなご」として描きたいのでしょうが、ただただ不快でした。糸、早く消えてね。
それから、「はねっ返りでございますな」と茶々を入れる又兵衛が、立ち位置的にもセリフ的にも藤九郎(安達盛長)とカブります。ま、藤九郎は生涯忠実だったのに対し、又兵衛は出奔しちゃいますが。
このボーイミーツガールエピに代表されるように、姫路に着いてからの脚本はダメダメで非常に退屈。秀吉が仕込んだ僧侶登場と、その裏を読んだ官兵衛ってのはギリでOKとして、光に会えとパパ黒田が現れるあたりは最悪。涙目シワシワ女の光や後に犬死にというか熊死にする熊之助と会う会わないとか、つまらないエピで時間を浪費。この陳腐な脚本でお涙ちょうだいを狙ってた? 毎週繰り返される熊之助押しも、ここまでくると疑問。何? 熊之助出さなきゃいけないの?
下鳥羽では、麿マロの挨拶を受けて光秀感激。というわけで、禁中に銀500枚を献上。三方に載せられていたので向きを間違うのではないかとハラハラしたのですが、穴の開いている方をマロたちに向けて差し出し、置いてから180度回す正しい使い方をしていたので一安心。
光秀、妙に余裕たっぷり。前日8日には坂本城で秀吉の姫路到着を知ったはずなのですが……。
6月9日、秀吉が姫路を出陣。
ドラマでは、義昭定番の将軍コントを繰り広げた後、吉川、小早川の両川にスルーされるエピがあるのですが、ノベライズにはこの直前のシーンが存在します。隆景と元春が猿掛城に入ると、秀吉に差し出していた人質、小早川元総と桂広繁が帰還。で、官兵衛の差し金であるとして、官兵衛からのメッセージを2人から伝えられて隆景が笑うというもの。前回出てきた人質の件がどうなったのか、決着を付けた方がよかったような気がしますが、結局官兵衛ageになっているところが少々鬱陶しいところです。
秀吉、9日に明石到着。10日、兵庫に向かって進軍。
時々、中国大返しについて、全距離の200kmを日数で単純に割り、さらに4日出発説を取って「平均20kmだから遅い」という主張を見かけます。が、姫路到着後は遅くて当然。秀吉は将兵の休息と調略をメインにし、わざとゆっくり進軍しているのです。
で、10日は光秀が洞ヶ峠に布陣した日。筒井順慶の加勢を期待し、一種のプレッシャーを掛けたわけですが順慶動かず。一般にいう、「順慶が洞ヶ峠に布陣して日和見した」は単なる俗説です。洞ヶ峠に布陣したのは順慶ではなく光秀です。ここはドラマが正しい。
ここで、光秀陣営がまだ秀吉の動向をつかんでいないことが判明。前述した通り、光秀は8日の時点で秀吉の姫路到着を知っていたはずなのですが。このドラマの光秀主従は史実よりも能力値が低いようです。残念。
ここに都合よく、九郎右衛門が登場。敵からわざわざ教えてもらい、やっと秀吉の動向を知る明智無能軍団。
光秀「官兵衛か!」
また根拠不明な官兵衛age。どいつもこいつも、羽柴軍が何かやると全部官兵衛の仕業だと思っちゃう不思議。信長も光秀も、彼らが知っている官兵衛は失敗を繰り返してたダメ官兵衛だったはずなのに。
11日、秀吉が尼崎の栖賢寺に到着。ノベライズには、太兵衛、長政、清正、正則、又兵衛による官兵衛age、長政のコンプレックス、長政と又兵衛の気まずい空気を盛り込んだシーンがあるのですがカット。
そして中川清秀、池田恒興、高山右近ら摂津衆を味方にして意気が上がる羽柴軍。ただし信孝が懸案事項ということで、官兵衛がお使いに。丹羽長秀を脅してすかして参陣の約束。
13日4時、山崎の戦い開始。史実通りボッコボコにボコられて光秀逃走。落ち武者狩りで終了。当初は違和感ありまくりだった金髪豚野郎でしたが、最後はハマっていました。お疲れ様でした、金髪豚野郎。
山崎の戦い後、長浜城に帰還。このタイミングで、実に都合よくおねが戻ってきて視聴者の苦笑を誘います。この脚本、常にタイミングが良すぎて安っぽさを高めてくれます。
さらに、おねが官兵衛だけを大絶賛。このタイミングで特定個人だけを称賛したらいろいろとしこりが残るでしょ。バランス感覚に優れたおねらしからぬ知能の低いお振る舞い、失望いたしました。
2014年 大河ドラマ「軍師官兵衛」キャスト(配役)
もご利用ください。
参加資格:羽柴軍将兵
開催概要:高位身分者は騎乗で参加可(代え馬完備)。途中、給水所で食料や換えのわらじを支給。夜間照明あり。ゴールした人全員に姫路城の金銀、米を配布。
というわけで、中国大返しです。広い意味では、高松城から山城の山崎までの200kmの移動を指しますが、戦略的に重要なのはまず6月7日の姫路城到着まででしょう。毛利との対陣で拘束されているはずの秀吉が、策源地の姫路まで戻り自由に行動できる状態になったことは光秀を驚愕させたはず。これだけでも戦略的に優位に立てます。
移動距離は、一般に6月6日に22km、6月7日に70kmで計92km。Googleマップで高松城-姫路城間を徒歩でルート検索すると93km。ドラマでは80kmとなります。80kmとしても、1日の行軍速度としては常識外です。 で、姫路到着。長政がうろついていると、小六の娘の糸に叱責されます。長政の最初の妻ですね。やっぱり、祝言を挙げる前に出会っちゃうんですね。「羽柴ご家中の女房衆が駆け付けてくれたのです」なんて理由を付けてますが、小六の娘が姫路城にいるのはすっごく不自然ですね。そんなへんてこな理由をこじつけてまで、ボーイミーツガールさせちゃいますか。
にしても、この小娘ははっきり言って「異常」。というか「頭がおかしい」。父の同僚の嫡子と知って、公衆の面前で侮辱するなど、あり得ません。仮に娘の身分が高かったとしても、あの行為は大変見苦しくはしたない。現代でも、こんな女は誰からも相手にされないでしょう。このイカレタ女を「はねっ返りの面白いおなご」として描きたいのでしょうが、ただただ不快でした。糸、早く消えてね。
それから、「はねっ返りでございますな」と茶々を入れる又兵衛が、立ち位置的にもセリフ的にも藤九郎(安達盛長)とカブります。ま、藤九郎は生涯忠実だったのに対し、又兵衛は出奔しちゃいますが。
このボーイミーツガールエピに代表されるように、姫路に着いてからの脚本はダメダメで非常に退屈。秀吉が仕込んだ僧侶登場と、その裏を読んだ官兵衛ってのはギリでOKとして、光に会えとパパ黒田が現れるあたりは最悪。涙目シワシワ女の光や後に犬死にというか熊死にする熊之助と会う会わないとか、つまらないエピで時間を浪費。この陳腐な脚本でお涙ちょうだいを狙ってた? 毎週繰り返される熊之助押しも、ここまでくると疑問。何? 熊之助出さなきゃいけないの?
下鳥羽では、麿マロの挨拶を受けて光秀感激。というわけで、禁中に銀500枚を献上。三方に載せられていたので向きを間違うのではないかとハラハラしたのですが、穴の開いている方をマロたちに向けて差し出し、置いてから180度回す正しい使い方をしていたので一安心。
光秀、妙に余裕たっぷり。前日8日には坂本城で秀吉の姫路到着を知ったはずなのですが……。
6月9日、秀吉が姫路を出陣。
ドラマでは、義昭定番の将軍コントを繰り広げた後、吉川、小早川の両川にスルーされるエピがあるのですが、ノベライズにはこの直前のシーンが存在します。隆景と元春が猿掛城に入ると、秀吉に差し出していた人質、小早川元総と桂広繁が帰還。で、官兵衛の差し金であるとして、官兵衛からのメッセージを2人から伝えられて隆景が笑うというもの。前回出てきた人質の件がどうなったのか、決着を付けた方がよかったような気がしますが、結局官兵衛ageになっているところが少々鬱陶しいところです。
秀吉、9日に明石到着。10日、兵庫に向かって進軍。
時々、中国大返しについて、全距離の200kmを日数で単純に割り、さらに4日出発説を取って「平均20kmだから遅い」という主張を見かけます。が、姫路到着後は遅くて当然。秀吉は将兵の休息と調略をメインにし、わざとゆっくり進軍しているのです。
で、10日は光秀が洞ヶ峠に布陣した日。筒井順慶の加勢を期待し、一種のプレッシャーを掛けたわけですが順慶動かず。一般にいう、「順慶が洞ヶ峠に布陣して日和見した」は単なる俗説です。洞ヶ峠に布陣したのは順慶ではなく光秀です。ここはドラマが正しい。
ここで、光秀陣営がまだ秀吉の動向をつかんでいないことが判明。前述した通り、光秀は8日の時点で秀吉の姫路到着を知っていたはずなのですが。このドラマの光秀主従は史実よりも能力値が低いようです。残念。
ここに都合よく、九郎右衛門が登場。敵からわざわざ教えてもらい、やっと秀吉の動向を知る明智無能軍団。
光秀「官兵衛か!」
また根拠不明な官兵衛age。どいつもこいつも、羽柴軍が何かやると全部官兵衛の仕業だと思っちゃう不思議。信長も光秀も、彼らが知っている官兵衛は失敗を繰り返してたダメ官兵衛だったはずなのに。
11日、秀吉が尼崎の栖賢寺に到着。ノベライズには、太兵衛、長政、清正、正則、又兵衛による官兵衛age、長政のコンプレックス、長政と又兵衛の気まずい空気を盛り込んだシーンがあるのですがカット。
そして中川清秀、池田恒興、高山右近ら摂津衆を味方にして意気が上がる羽柴軍。ただし信孝が懸案事項ということで、官兵衛がお使いに。丹羽長秀を脅してすかして参陣の約束。
13日4時、山崎の戦い開始。史実通りボッコボコにボコられて光秀逃走。落ち武者狩りで終了。当初は違和感ありまくりだった金髪豚野郎でしたが、最後はハマっていました。お疲れ様でした、金髪豚野郎。
山崎の戦い後、長浜城に帰還。このタイミングで、実に都合よくおねが戻ってきて視聴者の苦笑を誘います。この脚本、常にタイミングが良すぎて安っぽさを高めてくれます。
さらに、おねが官兵衛だけを大絶賛。このタイミングで特定個人だけを称賛したらいろいろとしこりが残るでしょ。バランス感覚に優れたおねらしからぬ知能の低いお振る舞い、失望いたしました。
2014年 大河ドラマ「軍師官兵衛」キャスト(配役)
もご利用ください。