大河ドラマ「軍師官兵衛」 第22回 有岡、最後の日 感想
カテゴリ:軍師官兵衛
日時:2014/06/01 22:33
幽閉半年。ノベライズによると、場面は天正7年(1579年)4月。苦労右衛門が九郎の末、土牢の周囲を調査しマップを作成。「焦るな、様子を見るのだ」と言うばかりで何もしなかった使えない善助が、官兵衛に接触するオイシイ役をゲットします。
官兵衛の無事を確認した善助は、早速その旨を知らせるメールを職隆に送信。で、予想通り今週の光メソメソコーナー。
場面は美濃、菩提山の半兵衛の庵。またまたやってくるおね。長浜城と何度も往復するなんてフットワークがいいなと思ったのですが、調べてみたら長浜城と菩提山は歩いても5時間強(現代の道路前提ですが)。道路事情は悪いでしょうが織田領内の中心地なので治安もいいでしょうし、当時の人にとっては大した旅ではなかったのかもしれません。
が、「死ぬのは戦場と決めております」と、播磨への「最後の」旅支度をしていた半兵衛。ここで、結構いいシーンがカットされていました。 ノベライズでは、松寿に軍配を託して去った半兵衛の後に、さらに続きがあります。
松寿は半兵衛を追いかけて袖にすがります。その手を半兵衛が優しく外すと、松寿は床に手をつき、「このご恩、一生忘れま……(泣)」。半兵衛は慈しむように松寿を見ると、振り返ることなく立ち去った……。
この場面、あった方が泣けたのに。まぁ、ノベライズではいい場面なのに、ドラマだと演出が悪くて平凡なシーンになってることも多いのですが。
播磨に到着した半兵衛は、秀吉に松寿の無事を打ち明け、毛利対策として宇喜多の調略を進言。それからしばらく後、危篤状態となります。
三成に、人の心中を察するようにと遺言。→全く活かされませんでした!
天正7年6月13日、半兵衛ちゃんと戦陣で軍師らしく死亡。『功名が辻』(原作ではなく、ダメ大河の方)では、千代の名を呼びつつ死ぬという辱めを受けていましたが、今回はリスペクトが感じられるいい最後でした。元気なシーンと死期が迫ったシーンを同時期に撮ったため、体重を落とせなかったとのこと。谷原さん、その点は残念でしたがいい演技でした。
待てど暮らせど全然来ない毛利の援軍に業を煮やした村重さん、直談判を思い付きます。村重の有岡城脱出の理由の説の1つ(陰徳太平記)ですね。
で、9月2日夜、村重脱出。
村重「家臣と家族を見捨てて茶器だけ持って逃げる勇気!」
「勇気」を付けるとなぜかカッコ良くなりますね荒良木さん。失礼、噛みました。
村重が向かった尼崎城は、嫡男の村次が城主です。
一方、信長は相変わらず悪趣味な骨董店のような部屋で、家臣を集めて地理学を講義。地球儀を示して地球が丸いことなどをレクチャーするわけですが、信長以外の家臣の反応は、以前光秀らがやっているので、このシーンはつくづくムダですね。この脚本家、引き出しが少なすぎます。
そこへ、滝川一益が村重の脱出を報告してきて信長激おこ。そこへ、ミラクルなまでに間の悪いタイミングで宇喜多の調略を報告に来た秀吉。これにさらに信長激おこ。光秀に炸裂することも多い信長キックが秀吉をヒット!
10月15日、有岡城下を織田軍が占拠。村重の降伏を条件に一同を助命という条件が織田から示されます。実際の条件は、「尼崎城と花隈城の明け渡し」だったようです。で、村重説得にやってきた久左衛門ですが、尼崎城の城門前で雨の中放置プレイを食らわされます。
村重は降伏も久左衛門との面会も拒否。
村重「わしは思い付いたのだ。信長に決して負けぬ手立てを。生きることだ。わしが生きておるかぎり、信長に負けたことにはならぬ」
まあ、実際に生き残っちゃうわけで、ある意味大したものですが。道「糞」と名乗ったあたりに、「勝ち」とは違う感情が含まれているような気がしますが。
雨のなか放置プレイをくらった久左衛門は有岡城に戻らずそのまま遁走。ま、見限られますよね。有岡城に残っていた池田和泉は、『信長公記』通り鉄砲をくわえて自害。
だしの命で土牢の鍵を開ける又左衛門。玉松(後のKRD24メンバーの一成)を案じる又左衛門ですが、官兵衛が預かることを約束。こうしてさらに拡大する黒田託児所。
織田の総攻めに乗じて有岡城に乱入する黒田潜入隊。なぜ善助と太兵衛は衣装が新品なんでしょう。ムダに目立つだけじゃないですか。
土牢に突入し、官兵衛と再開。感動の再会! のはずですがイマイチ盛り上がらず。3家臣の苦難の描写があればもっと感動的になったのでしょうが、九郎したのは苦労右衛門だけなんだ門。善助と太兵衛は商人屋敷できれいな服を着て、ただ待ってただけだし。このあたり、ドラマなんだから有岡城で活動する家臣たちを大胆に創作すればいいのに、小さくまとまってしまいました。今年の脚本には本当に期待できません。
2014年 大河ドラマ「軍師官兵衛」キャスト(配役)
もご利用ください。
官兵衛の無事を確認した善助は、早速その旨を知らせるメールを職隆に送信。で、予想通り今週の光メソメソコーナー。
場面は美濃、菩提山の半兵衛の庵。またまたやってくるおね。長浜城と何度も往復するなんてフットワークがいいなと思ったのですが、調べてみたら長浜城と菩提山は歩いても5時間強(現代の道路前提ですが)。道路事情は悪いでしょうが織田領内の中心地なので治安もいいでしょうし、当時の人にとっては大した旅ではなかったのかもしれません。
が、「死ぬのは戦場と決めております」と、播磨への「最後の」旅支度をしていた半兵衛。ここで、結構いいシーンがカットされていました。 ノベライズでは、松寿に軍配を託して去った半兵衛の後に、さらに続きがあります。
松寿は半兵衛を追いかけて袖にすがります。その手を半兵衛が優しく外すと、松寿は床に手をつき、「このご恩、一生忘れま……(泣)」。半兵衛は慈しむように松寿を見ると、振り返ることなく立ち去った……。
この場面、あった方が泣けたのに。まぁ、ノベライズではいい場面なのに、ドラマだと演出が悪くて平凡なシーンになってることも多いのですが。
播磨に到着した半兵衛は、秀吉に松寿の無事を打ち明け、毛利対策として宇喜多の調略を進言。それからしばらく後、危篤状態となります。
三成に、人の心中を察するようにと遺言。→全く活かされませんでした!
天正7年6月13日、半兵衛ちゃんと戦陣で軍師らしく死亡。『功名が辻』(原作ではなく、ダメ大河の方)では、千代の名を呼びつつ死ぬという辱めを受けていましたが、今回はリスペクトが感じられるいい最後でした。元気なシーンと死期が迫ったシーンを同時期に撮ったため、体重を落とせなかったとのこと。谷原さん、その点は残念でしたがいい演技でした。
待てど暮らせど全然来ない毛利の援軍に業を煮やした村重さん、直談判を思い付きます。村重の有岡城脱出の理由の説の1つ(陰徳太平記)ですね。
で、9月2日夜、村重脱出。
村重「家臣と家族を見捨てて茶器だけ持って逃げる勇気!」
「勇気」を付けるとなぜかカッコ良くなりますね荒良木さん。失礼、噛みました。
村重が向かった尼崎城は、嫡男の村次が城主です。
一方、信長は相変わらず悪趣味な骨董店のような部屋で、家臣を集めて地理学を講義。地球儀を示して地球が丸いことなどをレクチャーするわけですが、信長以外の家臣の反応は、以前光秀らがやっているので、このシーンはつくづくムダですね。この脚本家、引き出しが少なすぎます。
そこへ、滝川一益が村重の脱出を報告してきて信長激おこ。そこへ、ミラクルなまでに間の悪いタイミングで宇喜多の調略を報告に来た秀吉。これにさらに信長激おこ。光秀に炸裂することも多い信長キックが秀吉をヒット!
10月15日、有岡城下を織田軍が占拠。村重の降伏を条件に一同を助命という条件が織田から示されます。実際の条件は、「尼崎城と花隈城の明け渡し」だったようです。で、村重説得にやってきた久左衛門ですが、尼崎城の城門前で雨の中放置プレイを食らわされます。
村重は降伏も久左衛門との面会も拒否。
村重「わしは思い付いたのだ。信長に決して負けぬ手立てを。生きることだ。わしが生きておるかぎり、信長に負けたことにはならぬ」
まあ、実際に生き残っちゃうわけで、ある意味大したものですが。道「糞」と名乗ったあたりに、「勝ち」とは違う感情が含まれているような気がしますが。
雨のなか放置プレイをくらった久左衛門は有岡城に戻らずそのまま遁走。ま、見限られますよね。有岡城に残っていた池田和泉は、『信長公記』通り鉄砲をくわえて自害。
だしの命で土牢の鍵を開ける又左衛門。玉松(後のKRD24メンバーの一成)を案じる又左衛門ですが、官兵衛が預かることを約束。こうしてさらに拡大する黒田託児所。
織田の総攻めに乗じて有岡城に乱入する黒田潜入隊。なぜ善助と太兵衛は衣装が新品なんでしょう。ムダに目立つだけじゃないですか。
土牢に突入し、官兵衛と再開。感動の再会! のはずですがイマイチ盛り上がらず。3家臣の苦難の描写があればもっと感動的になったのでしょうが、九郎したのは苦労右衛門だけなんだ門。善助と太兵衛は商人屋敷できれいな服を着て、ただ待ってただけだし。このあたり、ドラマなんだから有岡城で活動する家臣たちを大胆に創作すればいいのに、小さくまとまってしまいました。今年の脚本には本当に期待できません。
2014年 大河ドラマ「軍師官兵衛」キャスト(配役)
もご利用ください。