大河ドラマ「八重の桜」 第43回 鹿鳴館の華 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/10/27 22:23

明治15年(1882年)12月、下野した大隈重信が早稲田大の前身、東京専門学校を開校。同じくニイジマジョーも大学設立準備中。そこにやってくるデイヴィス先生。で、同じ船に乗っていたのも会津の人でしたよ、ということで、史実から捨松の帰国へとスムーズ?に展開。若干予定調和的ですが、まあうまくまとめたといえるでしょう。

という流れで、捨松と津田梅子の就活へ。が、国費留学までした帰国子女には働き口がない、と。さらに、このとき22歳の捨松は、当時の日本としては「行き遅れ」で結婚も不利という有様。捨松ピンチ。

明治16年(1883年)山川浩が捨松の就活のため山本家を訪問。同志社女学校に雇ってほしいという浩に、「面識がある」と言って快諾するジョー。登場人物が皆知り合いで話もスムーズ。妙に予定調和的でおめでたい展開です。

その後、浩に尚之助の『会津戦記』を渡す覚馬

浩「川崎殿には、何一つ恩返しできぬまま……」

恩を返すどころか、尚之助に全責任を負わせて見捨てたよね、浩……。 大阪鎮台勤務中に妹の就活にいそしんだ浩君は、なぜか陸軍省人事局へ栄転が決まり、東京に戻ります。よかったね。

その山川家を大山巌が家庭訪問、捨松を嫁にほしいと懇願。実際には吉井友実を介した縁談の申し入れだったようなので、巌のアポなし訪問はフィクションです。

大山の口上に激おこの浩は即座に拒絶。一方、後の東大総長健次郎は捨松に事の次第を話し、会うことを勧めるのでした。捨松が大山と会うまでの経緯は若干史実と異なるようですが、浩と健次郎のキャラの違いも立っていて面白い。

この史実改変によって、口を突っ込むことになったのが八重とニイジマジョー。捨松の就職を進めてほしいという浩、保留にしてほしいという健次郎、2人のメールが届き、

ジョー「?」

八重「私が東京に行って話を聞いてくんべ」

うわ、2人の縁談に八重を無理矢理絡ませますか。江のような介入っぷりです。

京都で八重が怪気炎を上げていたころ、捨松は梅子とどこかのお庭で外国人扱いされて憤慨。ノベライズによると、ここは西郷従道(隆盛の弟)の屋敷の庭とのこと。実は大山と捨松の縁談に大きく絡む人なのに、従道の名前が一切出てこないとは……。山本権兵衛に海軍を任せて日清・日露戦争の勝利に貢献したのに、ドラマの『坂の上の雲』でも完全スルーだったしなぁ。なぜか扱いが悪い従道さんでした。

そこで大山と出会った捨松は、彼から実は惚れていたと聞かされて動揺。大山は新島襄より1つ上なので、このとき満年齢なら41歳。捨松23歳。

こぼしたジュースを自分で拭く捨松に、大山が「おはんは外国人などではありもはん。誇り高か会津んおなごでごわす」と語りかけるくだりは、ドラマではやや唐突な感じです。ノベライズには、このときの大山の心情が書かれています。

大山は、自分のハンカチでジュースを拭く捨松をみたとき、鶴ヶ城開城時を思い出します。会津の女たちが敵に渡す鶴ヶ城を磨き上げ、がちりひとつ、埃ひとつなく清めていたことと、テーブルを拭く捨松を重ね、西洋人のように振る舞う彼女がまぎれもなく会津の女だと思った、と。

これをドラマで表現するのは難しいところですが、鶴ヶ城開城時の連想のくだりは入れてほしかった。大山が会津女性へのリスペクトを再認識する大切なエピだったのに……。

東京に乗り込んできた八重とニイジマジョーの宿に、捨松がアポなし訪問。2人に、大山が毎日家に来ると語る捨松。

八重「しつけえ男だ! かわいそうに」

八重の中では完全に大山=ストーカーになっているようです。まぁ、実際に連日山川家を訪れたのは西郷従道だったようですが。

八重とニイジマジョーが山川家に乗り込むと、ドラマ的には何とも都合がよいことに大山が訪問中。まぁ、ドラマってのは常に「偶然」に満ちあふれているわけですが。

ここでついに、鶴ヶ城攻防戦序盤で狙撃した人と狙撃された人が邂逅。

相変わらず薩長と会津のしがらみで平行線の山川と大山。すると、

八重「腕相撲で決着をつけんべ!」

え、そんなんでいいの?

捨松「はい、どうぞ!」

え、そんなんでいいの?

困惑するニイジマジョーは、さらにジャッジまで押しつけられてさらに困惑。気の毒ですが、この中で最もしがらみがない人ですからねぇ。で、レディゴー。

浩「薩長を倒せ~」

え、そんなんでいいの?

そのとき、「大山様!」と叫んでしまう捨松。彼女の顔を見て、その気持ちを悟る八重。ノベライズだとここはあっさりしているのですが、ドラマではかなり分かりやすく演出していました。

浩「この屋根の下では義兄上と呼んでもらうか」

などと、ベタな遠回し表現で2人の結婚を認めちゃったりするなど、ベタな和解で決着。ここはちょっと恥ずかしかった。

明治16年(1883年)12月、鹿鳴館で大山と捨松の披露宴を挙行(結婚自体は11月)。

伊藤博文「美しいおなごじゃ。その上若い」

をいをいをいをいをい、アノ彼が言うとシャレにならないじゃないですか。

2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
もご利用ください。