大河ドラマ「八重の桜」 第34回 帰ってきた男 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/08/25 21:14

明治7年(1874年)11月、ニイジマジョー帰国。翌明治8年(1875年)、ジョーは木戸と会談。ドラマではごっそりカットされていますが、征韓論をめぐって政府を去った西郷らに続き、明治7年には木戸も辞職。

ジョーが木戸と会話していた舞台が明治8年の大阪なのは、木戸を政府に呼び戻すために大久保伊藤が招待した明治8年8月の大阪会議のタイミングだったということでしょう。ここで木戸は参議に復帰を要請され受け入れています。

体調不良な演出もありましたが、木戸が死ぬのは明治10年なのでちょっと先ですね。 木戸に「君(ジョー)の力になりそうな者」と評された覚馬は、八重に「馬太傳」(マタイ伝)を渡してキリスト教の講義を受けるように命じます。が、キリスト教の博愛主義的な教えが受け入れられない八重。まぁ、「右の頬を打たれたら云々」って字面だけ見たら単なるハードMにしか思えませんからねぇ。

ちょうどそのとき、覚馬の下をジョーが訪問。サポートをプロミスする覚馬にエキサイトしたジョーが熱烈なハグを展開。その異常な風習に時栄を狼狽させます。

まずは、京都府知事の槇村攻略から。大阪府知事の渡辺昇(旧大村藩士)が断ったという覚馬の進言に反応し、やる気になる槇村。ニヤっとする覚馬さん。

さらに、設立資金がいらないことに大いに気をよくした槇村、ジョーに嫁の斡旋を申し出ます。好みを聞いたところで、予想通りジョーの有名な結婚観へ。

ジョー「東を向いていろ言われたら3年でも東を向いているような婦人はごめんなのです」

槇村「そげな恐ろしげなおなご、わしは大の苦手じゃがの……。待てよ。わしの苦手なおなごといえば……」

コミカルで実にドラマ的な場面ですが、ジョーが槇村と会談した際に好みを聞かれ、「夫が東を向けと言ったら云々」と答え、槇村がその際に八重を紹介したとのことなので史実?(伝承?)通りですね。

また、うらが覚馬が嫁ぐときに評された、「夫が西を向けと言えば3年でも西を向いているような女」と正反対でもあります。まぁ、うらと正反対というより、ジョーの有名な結婚観から逆算して、八重の正反対の女性としてうらの評判が設定されただけですが。

後の東大総長健次郎も帰国。山川家は東京・小石川です。、佐川、健次郎の会話から、佐賀の乱が終わっていたことが判明。まぁ、乱が明治7年で今回の話が明治8年ですから当たり前ですが。というわけで、前回唐突に登場した江藤新平は既にさらし首に。

またドラマではカットされてしまいましたが、佐賀の乱で小出鉄之助が戦死したことを浩が嘆くくだりも。浩の妹、操の夫で、与七郎の什の仲間として第1回から登場していた3人組の1人です。

八重とジョーの初対面は井戸……と思っていたら、ゴードン宅で初対面。はてどうなるのやらと思ったら、山本宅を訪れたジョーが井戸の上に座る八重を発見。有名な、「井戸に座って裁縫をする八重と会うジョー」の場面が再現されて一安心。

再び覚馬とミーティングするジョー。八重の心の傷を癒やす一助としてキリスト教を学ばせたという真意が語られます。さらに、ジョーが口にした「安中」から、覚馬の記憶がよみがえります。第2回で豚を逃がした少年。1854年のことだから21年前。さすが覚馬さん、記憶力ぱねぇ。

で、山本家に居候することになったジョー、八重にプロポーズ。さすが、アメリカ帰りはスピーディー。