大河ドラマ「八重の桜」 第31回 離縁のわけ 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/08/04 23:01

「離縁のわけ」。八重と尚之助の離縁はもちろんのこと、梶原と二葉、覚馬とうらの離縁も絡めた「離縁」が語られました。それぞれ、ドラマとしてはそれらしい決着が付いたといえるでしょう。梶原と二葉については、このタイミングでの離縁だったのかどうかよく分かりませんが。

明治4年(1871年)2月。米沢でセールスウーマンをする八重の下に、尚之助からメール。ワクテカしながら封を開く八重。

「其方事 我等都合ニ付キ此度離縁致候 然上ハ 何方江縁付候共 差構無之仍而如件 八重どの」

つまるところ三行半というやつですね。「離縁するから、誰かと縁づいても(再婚しても)構わない」ということです。尚之助が置かれた状況を思えば、八重を巻き込まないようにするためであったことが分かるのですが、八重には尚之助の現状など知るすべもありません。 尚之助の真意が分からず、混乱する八重。

八重「苦労してんなら私も一緒に苦労してえ。それが夫婦だべ」

え。

それなら斗南に行けばよかったのでは……。

やはり、史実として八重が斗南に行かなかった理由をドラマ的に消化しきれなかったツケが回ってきました。「女がいるぞ!」の件をグダグダ言う前に、斗南に行けばよかったじゃないかと思ってしまうので、ここでは八重に同調しきれず。

斗南行きを回避した八重たちが苦労しながらも「比較的」安楽に暮らしていたころ、斗南では餓死者多数の惨状。

浩「3万石どころか7000石しかねえ」

というありさま。大惨事もとい大参事のの下に藩士が陳情に来ますが、ない袖は振れません。

東京では、米の買い付けに奔走していた尚之助が取調中。ドラマでは尚之助がなぜ訴えられたのか分かりにくかったのでちょっと補足。

・尚之助は、藩で収穫予定の大豆と米を交換する先物取引の商談をデンマルク(デンマーク)人デュースと取り交わす
・仲買人が、デュースから受け取った米の手形を担保に金を借りて遁走
・尚之助、米の手形を取り戻すための訴訟を起こす
・デュースに約定違反で提訴される

ドラマ中の「詐欺事件」というのは、仲買人にだまされた件を指しています。

尚之助の行動が藩命であれば、デュースが要求している賠償金3000両は藩が負うことになりますが、尚之助は藩命ではなく自分の一存でやったことと証言。責任を一身で背負ってしまいます。

これを知った広沢は当然尚之助を助けようと提案しますが、浩は「藩とは関わりなし」として尚之助を切り捨てます。「鬼になる」(『篤姫』のときに原田泰造もそんなこと言ってたな)と言って顔をゆがめる浩よりも、広沢の叫び声の方が切なかった……。まぁ、浩の決断を受け入れた時点で広沢も共犯なわけで。それも含めての叫びなんでしょうがねぇ。

7月14日、廃藩置県断行。

廃藩置県の通達に驚く八重たちの下に、覚馬のメッセンジャー野沢が到着。覚馬の無事&それ以外の余計なことを伝えます。メールが覚馬の字ではないことに気付く八重。覚馬の近くに世話をしている女がいることに感づくうら。女性の勘には恐れ入ります。

で、(体が大層不自由なのに)時栄と子作りしちゃっていることをゲロする野沢。

その覚馬さんは、京都府参事の槇村と会談中。ドラマでは会談の前半がカットされてしまったため、槇村の「山本覚馬……聞いた通りの男だ」という評価に至った理由が不明瞭でしたが、カットされた部分では京都の殖産について槇村に若干意見を出していたりします。

斗南では、浩が梶原家を訪問。ここでも前半の会話がバッサリとカットされています。浩は山川家の消息として操と美和の結婚、咲(捨松)が女子留学生としてアメリカに行くこと(これカットしていいのか?)、既に健次郎がアメリカに官費留学していることを伝えています。

そして、梶原が唐突に二葉との離縁を切り出します。「離縁のわけ」は、抜け殻になってしまい、やり直す気力がないから、と。会津戦争の責任を感じての憔悴というドラマの流れ的には、これでもまぁ通る説明かと。

史実的には、梶原と二葉の離縁のタイミングが不明なこと、二葉と離縁した後、北海道で水野貞と再婚しているので、「しっかりやり直してんじゃん」とツッコミたくなるところが悩ましい。ちなみに、水野貞(MEGUMI)は江戸で二葉の危機を救う役で登場済み。ノベライズでは、二葉と分かれた後北海道に渡ったとありますが、それでは水野貞と接点がないので、北海道に渡る前に東京に行っていたのかもしれません。

そして3つ目の離縁。うらは京都に行かないと言い出します。

うら「赤い櫛が似合った頃の私を覚えでいでもらいでぇ」

というセリフも泣かせますが、それ以上に

うら「みねのこと、どうかおねげえいたしやす」

というセリフが切ない。同じく子を持つ身としては、子供と別れる決意は重く感じます。
10月、八重、佐久、みねが京都に到着。覚馬の屋敷にて、ついに覚馬のロリ妻と対面。ようやく、覚馬の体が不自由になっていたことを知るのでした。