大河ドラマ「八重の桜」 第28回 自慢の娘 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/07/14 22:19

今回は、史実(とされている)エピソードにフィクションを織り交ぜた内容。一見、主人公補正が掛かったフィクションのようで実は史実だったりするので油断できません。

慶応4年(1868年)8月26日、彼岸獅子入城の奇策で帰城した大蔵は軍事総督に任命されます。一方、新政府軍は小田山に大砲を据えて砲撃を強化。
ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲じゃねーか、完成度高けーなオイ。

で、飛来してくる砲弾を見た八重さんは、濡れた布で押さえて爆発を防ぎます。いわゆる「焼玉押さえ」。籠城女性の役目になる恐怖のお仕事の始まりです。これを見ていた容保から、八重に呼び出し。御前で不発弾の仕組みをレクチャーします(史実)。 続いて追鳥狩りでの邂逅について語る八重。

八重「『卑怯ではねえ。武士らしい』とおっしゃっていただいたときの嬉しさは忘れられません。いつか強くなって、お役に立ちたちと願っておりやした」

まぁ、ここはフィクションですが「お役にたぢでえ」と泣く子八重は今見ても名場面でした。が、ここで頼母の名が出ると途端に不機嫌になる梶原。小さっ! まぁ、もともと梶原は女性が口を出すことに否定的な人物でしたね。また、ドラマではカットされていましたが籠城1日目以降、梶原は八重が鉄砲隊の指揮をすることを禁じています(だから八重が指揮をしている場面はない)。

8月28日、「夜明け前」に精鋭1000人で不意打ちをかける佐川プランが採用され、佐川は別室で出陣の祝いを受けることに。容保から刀を拝領(ドラマでは言及がありませんでしたが、名刀「正宗」)。さらに容保から酌をされて大感激。

官兵衛「生きて戻らぬ覚悟」

容保の御前で眠りこけてしまう佐川。寝かせておけと優しく語る容保。佐川と容保が語りあうこのシーンは感動的なのですが……。

官兵衛「しまった! 寝過ごした!

え~。

「夜明け前」のはずが、日が昇ってからの出撃となってしまった決死隊、案の定敗北します。と、これが長命寺の戦いの顛末。ジョークのような話ですが、佐川の寝坊は一応史実とされています(佐川が「寝過ごしたふりをした」説もありますが)。何にせよ、日の出後に出撃して敗北したのは事実。以後、佐川は城に戻らずに遊撃隊的に行動。9月5日には新政府軍を破っているのですが、ドラマではスルーでしたね。

明治元年(1868年)9月、大垣屋が岩倉に突撃して覚馬の『管見』を渡し、興味を持った岩倉が覚馬を尋ねます。このあたりは史実とフィクションの混在ですね。もともと覚馬は鳥羽・伏見の戦いの際に捕らわれたときから丁重に扱われ、管見も小松帯刀(『篤姫』のナヨゴローさん)や西郷隆盛らが読んでいたはず。よって、ドラマでの待遇の悪さはフィクション。で、明治元年に岩倉が覚馬を訪問したところは事実。これにより、覚馬は翌年に釈放されます。

長命寺の戦いから20日後の9月14日、第1回チキチキ鶴ヶ城たこ揚げ大会開催。が、新政府軍も鶴ヶ城総攻撃を開始。ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲じゃねーか、完成度高けーなオイその他の大砲が鶴ヶ城に撃ち込まれます。

籠城女性恐怖のお仕事の始まりです。こうしてこの日、焼玉押さえに失敗した登勢が犠牲者に……。これも史実ですね。

2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
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