大河ドラマ「八重の桜」 第26回 八重、決戦のとき 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/06/30 21:23

慶応4年(1868年)8月23日、新政府軍が会津城下に迫り、女性たちも入城することに。入城した八重は佐川らの会話に割り込んで、鉄砲隊の指揮を志願。熱いトークで内蔵助らに受け入れられます。ドラマ的にはあれでよいとして、史実ではどんなやりとりがあって八重が戦列に加えられたのか。ふとそんなことを考えてしまいました。

西郷家では、登城した吉十郎を除く西郷ガールズが白装束で辞世大会。頼母の妻千恵はかなりお婆ちゃんに見えますが、千恵は頼母より5歳年下で満年齢なら33歳。頼母の母律が満年齢なら67歳。宮崎美子(54歳)だと、むしろ律の歳に近い……。この場面、もっと全体的に低年齢の方が哀れさが出たと思うのですが、まぁこれについては常磐が1人で担当していました。皆で手を合わせ、いよいよという空気の中でも意味が分からない常磐(3歳)。

常磐「今日は何をすんですか?

というセリフが泣かせます。 千恵「よいところに行くのですよ」

は、月並みかつ壇ノ浦ダイブ時の二位尼リスペクトっぽくてイマイチでしたが。

この後、板垣が偶然にも西郷家を接収して西郷ガールズの自刃現場に遭遇します。このあたりは史実(疑問付き)と虚構を混ぜたうまいところ。

伝えられているところによれば、西郷家にやってきたのは確かに土佐兵ですが、板垣ではなく中島信行。そこで、死にきれず苦しんでいた少女(頼母の長女細布子)に「敵か味方か」と問われ、中島は「味方だ」と答えます。少女が懐剣を差し出したので、首を斬ってやった、とされています。ただし、中島は会津戦争に従軍していなかった可能性がしてきされており、細布子を介錯した人物は確定していないようです。

そのころ頼母は、鶴ヶ城に着陣。容保を案じて「殿~」と連呼しながら容保の前に現れます。第1回では「容保様~」と叫んでいて、「初っぱなから諱呼び連呼かよ!」と思っていたのですが、今回、「容保様」と口にしたのは容保に会ったときの1回だけ。頼母帰城シーン、わざわざ撮り直したんですね。大していいシーンでもないのに。やはり、諱呼びはバカっぽいとツッコまれたのかな。

その頼母の前に現れた吉十郎。「母上も妹たちも、皆家に残りやした」という報告に、

頼母「そうか、そう決めたか」

と全てを悟る頼母。頼母は嫌いですが、この場面はよかったな。

場面は、戸ノ口原から飯盛山に退却してきた白虎隊に。さすがに、城下の火災を落城と勘違いして……というカビの生えた理由ではありませんでしたね。理由はともかく、他の作品も含めて、飯盛山の場面を見るたびに、何も死ななくてもいいのに(泣)と思ってしまいます。

内蔵助と土佐は、ボロボロになって再開。「切るか」とこともなげに言う演出に凄みを感じました。このシーンは実に見応えがありました。

内蔵助「我ら最後に徳川のためでも幕府のためでもなく、会津のための戦をしたのだ。これ以上の名誉なことはねえ」
土佐「我らは幸せ者だ」

土佐「大蔵、官兵衛、平馬……皆、会津を頼む」

神保「生まれ変わるときは、また会津で

このシーン、全てが名ゼリフ。ああ、いいシーンでした。

板垣の土佐隊に続き、y大山弥助の薩摩隊も到着。が、弥助どんはそうそうに右足を八重に狙撃されて退場。第1回では、大山巌を撃つ八重の主人公補正などと書きましたが、史実として弥助どんを撃ったのは本当に八重である可能性も指摘されており、私が無知だっただけでした。

そして夜。

夜襲に参加するため髪を切る八重。日テレ『白虎隊』では、スーちゃんがスペンサー銃を10発以上連射しながら夜襲してましたねぇ(注:スペンサー銃は7連発)。

さて、次回は大蔵の彼岸獅子入城ですか。暗い話が多い会津戦争において、珍しく痛快な名場面の1つですねぇ。楽しみ楽しみ。