大河ドラマ「八重の桜」 第21回 敗戦の責任 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/05/26 21:57

前回の初日(慶応4年1月3日)の敗戦に続く鳥羽・伏見の戦い2日目。幕府軍は富ノ森まで押し戻されます。三郎もビビリながらも佐川にどやされて何とか立て直します。

そのころ会津の諏訪神社では、修理の無事を祈り続ける雪。見ている側としては、修理の運命は分かっているだけに切ないシーンです。

鳥羽・伏見の戦い3日目。新政府軍で大砲を指揮していた大山弥助/巌が負傷。このときに右耳に銃弾を受けるのは史実ですね。会津戦争でも右足を撃たれるなど、戊辰戦争では負傷続きな人です。この人は日清・日露戦争でも活躍してもらわなければならないので、こんなところで死んでもらっては困ります。

そして翻る、岩倉捏造の錦の御旗。赤糸通しの古式ゆかしき鎧を着た騎馬武者は仁和寺宮(彰仁親王)です。ちょっとビビった感じが初々しい。この後、軍事畑を歩んで元帥にまでなる人ですね。

さあ、俺たちの慶喜さんのターンです。 ニセ錦旗に驚きつつも、さほどビビっていない慶喜さん(をを!)。士官たちを集めて演説を始めます。慶喜さんの演説! わくわくしますね。

慶喜「大坂が焦土と化し、我らは討ち死にするとも、江戸に残った者たちが志を継いで戦い続けるであろう!」

慶喜「大義は我らにある! 最後の一騎となるまで戦い抜くぞ!

慶喜さんの名演説で盛り上がる諸将。慶喜さんお得意の手のひら返し芸に心が躍ります。
夜、慶喜さんに呼び出された修理は戦況を報告します。まずは、幕府軍の撤退先である淀藩の寝返りについて。このときの淀藩藩主は稲葉正邦。稲葉氏は慶喜さんのセリフにもあった通り譜代大名で、正邦は現役の幕府老中。まぁ、正邦はこの寝返りに無関係だったようですが。

ここで、慶喜さんに江戸への撤退を進言する修理。自分のピンチに非常に敏感な慶喜さんにはさぞかし名案に思えたことでしょう。が、これが修理の運命を決めることになります。

4日目。大蔵らの大砲陣地に砲弾襲来。ドラマでは「藤堂藩」と呼ばれていましたが、つまり藤堂氏が藩主を務める「津藩」ですね。セリフとして「つはん」では分かりにくいための言い換えでしょう。鳥羽・伏見の戦いで山崎高浜砲台を守っていた津藩が対岸の幕府軍砲台を砲撃したのは史実ですね。さすが藤堂氏、裏切りは十八番です。デビルマンと呼んでもいいくらいです。

ここで何を思ったか、三郎が陣地の胸壁を越えて1人で突撃。えっ?

ドラマでは「三郎、どうしちゃったの?」的な犬死に見えてしまったので、ノベライズで補完する必要があります。ノベライズによると、
三郎は仲間に駆け寄ろうとした。だが崩れた胸壁の向こうに、ざくざくっと足音をさせながら進んでくる敵の軍勢が見えて、三郎の顔はひきつった。(中略)やつらをこれ以上、進軍させてはならない。(中略)三郎は突進していく。敵の銃口がぴたりと向けられた。
というわけで、まだ理解できる行動です。ドラマの演出はダメダメでしたね。

さあ、慶喜さん、出番です。

慶喜「すぐ江戸に戻る。(中略)兵は置いていく。我らが城を出ること、家臣たちにも口外無用」

容保「兵たちを見捨てて? それはなりませぬ。最後の一騎となるまで戦い抜くと、仰せになったではありませぬか」

容保さん、学習能力ないの?

慶喜「あれはみなの動揺を鎮める方便だ

そしてまた、御家訓を盾にとられます。慶喜さん、これはずるいよ。

慶喜「偽物であろうと、錦旗が上がった上は、兵を退かねば徳川は朝敵となるのだぞ。会津の御家訓に、徳川を朝敵にせよとの一条があるのか!

こうして、慶喜、容保はドロン。江戸への撤退を進言した修理も、まさか慶喜たちだけで逃げ出すとは思っておらず、小姓頭の浅羽の報告に仰天。

会津は朝敵とされ、江戸への撤退を進言した修理に批判集中。容保の一存だけでは名誉回復も叶わぬほどの憎悪を集める事態になります。そして、修理に切腹を申しつけざるを得ない容保。

修理「ありがたく、承りまする」

そっと語りかける秋月。

秋月「明日の朝まで、張り番はおりませぬ。殿の命により、屋敷の警護も緩めておりまする。殿の思い、何とぞ、お汲み取りくだされ……」

修理を逃がそうとする容保と秋月ですが……。

修理「殿は、全てを分かっていてくださる……それで十分ではないか……」

1人、作法通り腹を切った修理。秋月の報告にあった「1人」というのが気になってしかたがありません。ちょっと調べたところこのあたりは分かりませんでした。介錯なしで逝ったのでしょうか。それはあわれすぎる……。

2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
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