大河ドラマ「八重の桜」 第12回 蛤御門の戦い 感想

カテゴリ:八重の桜
日時:2013/03/24 21:17

元治元年(1864年)7月、いよいよ禁門の変(蛤御門の変)&どんどん焼けです。

18日の長州掃討の勅に対し、挙兵した長州。伏見、嵯峨、天王山に布陣する長州勢。これを迎え撃つべく在京諸藩にも出兵の命が下されます。伏見の福原越後を主力とみた田中土佐の差配に、引っかかりを感じる覚馬

会津では、覚馬からのメールに権八が苦悩中。八重と川崎先生が夫婦になることで、八重の婿として川崎先生を会津藩士とし、新式銃製造の上申も通りやすくなる、と。

ドラマではこれでよいとして、実際のところこれで通用するものなのか。山本家に男子いなければ、八重の婿が山本家の家督として藩士になることもできそうですが、山本家には嫡子覚馬が健在で三郎もおり、八重は嫁に「出るべき」存在。尚之助と結婚しても、単に山本家から離れて出石藩脱藩浪人川崎家の嫁になる、つまり八重もまた会津の人間ではなくなるだけなのでは……。 伏見街道の福原勢はおとりで、大垣藩に打ち崩されて終了。一方蛤御門には来島勢が来襲。覚馬による来島狙撃で動揺する長州ですが、中立売御門と下立売り御門が破られたことで会津ピンチ。

砲声に動揺する公家たち。そこに響きわたる主上の声。

孝明天皇「和睦など思いもよらんことや。禁裏に発砲する賊徒、退けて御所を守護せよ」

帝かっこいい。

追い込まれつつあった会津勢。そのとき、長州の陣に炸裂する大砲。翻る丸に十の字の旗。西郷率いる薩摩勢、かっこよく登場です。ま、後に寝返って薩長同盟を結んじゃう裏切り者(会津から見た場合)ですが。

薩摩の銃は、ライフリングがほどこされたエンフィールド銃です(『八重の桜』に登場しそうな銃まとめ(火縄銃からスペンサー銃まで)参照)。覚馬がライフルであることに感心していたので、この時点で会津が使っていたのは旧式のゲベール銃(第1回時点では最新式)だったようです。

感心するのはよいのですが、戦場でボケっとしていてはいけません。近くで大砲が炸裂して負傷します。後の失明の原因として扱うのかもしれません(覚馬の失明については、禁門の変時の負傷説、白内障説などあり)。

久坂、真木は鷹司邸に立てこもって抵抗。攻めあぐねる慶喜らに、大砲で塀を打ち崩すことを進言する覚馬。大砲で開けた穴から鷹司邸に突入する会津、桑名、彦根兵。ドラマだと、長州 vs. 会津+薩摩援軍のみという感じでしたが、実際には一橋兵(弱い)他の諸藩兵もちゃんと戦ってました。

ここで仮面ライダー久坂も自害。イケイケだった来島、真木に対し、桂とともに暴発を押さえる立場だったはずの久坂ですが、ドラマでは来島らと同じく積極派の役回りだったのはなぜでしょう。「生き残った桂とそれ以外」という図式はシンプルで分かりやすいのですが、挙兵に反対しつつ戦い、自害した久坂という悲劇性も見たかったような。まぁ、長州に割く尺的に、単純かせざるを得なかったのでしょうが。

大蔵加藤保憲真木の自害に立ち会った場面は分かりにくかったのですが、ここは久坂が自害した鷹司邸ではなく天王山です。

場面は再び京の市中。広沢とどんどん焼けの後を眺める覚馬へ。ドラマでは、覚馬の目についての描写がカットされています。ノベライズでは、
覚馬の足がとまり、「うっ」と、目を押さえた。広沢が駆け寄った。
「痛むのですか? 医者はなんと?」
「まだ診せでねぇ。ヒマがながった」
「早ぐ診せだほうがいい。(略)」
砲弾が脇で爆発して以来、覚馬は目に痛みを覚えるようになった。ときどき視界もかすむ。
という描写があります。

御所を守り、勝者となった会津ですが、ここでドラマ的バランサー発動。町人に鬼呼ばわりされ、子供たちに小石を投げられる覚馬たち。

そこに登場した大垣屋。とにかく、松方さんに変なコブがなくてよかった。こころから安心しました。

2013年 大河ドラマ「八重の桜」キャスト(配役)
大河ドラマ「八重の桜」 主要人物年齢年表(会津編)
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