「江~姫たちの戦国~」に見る、理不尽な秀吉嫌悪を考える

日時:2011/02/24 22:45

「江~姫たちの戦国~」で問題なのは、登場人物の心理が不自然な点です。まずは市&三姉妹の「直接的な言動」だけで主要人物に対する感情をまとめてみました。






















人物 コメント 感情
「織田家のため」と宣言して浅井に嫁ぐが、長政が信長を裏切った際に浅井に加担。それを棚に上げて、長政を攻め滅ぼした信長と秀吉を憎悪。
織田を裏切ったため肩身が狭いといいながら信長や織田家家臣に言いたい放題。
一方で浜遊びや香道、乗馬を楽しむなど、極めて恵まれた日々を謳歌。信長と和解した直後に本能寺の変が起こると、その仇を討った秀吉を嫌悪し、何もしなかった勝家に接近。勝家を勝たせるため、「武士の心で嫁ぐ」と宣言。
長政:ラブ
信長:ラブ→長政の仇→ラブ
光秀:信長の仇
秀吉:長政の仇
勝家:秀吉の対抗馬→ラブ?
茶々、初 父を殺した信長を仇として嫌うものの、織田家の庇護で饅頭にも事欠かない極めて恵まれた日々を堪能
光秀は叔父の仇としてやはり憎悪(初)。その仇を討ってくれた秀吉も父の仇として嫌悪。その秀吉に対抗し得る勝家も拒絶。
長政:敬愛
信長:長政の仇
光秀:信長の仇
秀吉:長政の仇
勝家:突然現れたおっさん
会ったこともない信長にあこがれる半面、初対面の秀吉はあからさまに見下しサル呼ばわり。同じく初対面の家康、光秀その他にはまともな対応。
本能寺の変後も光秀に好意を持つ一方で大好きだった信長の仇を討った秀吉を嫌悪。清洲城でも根拠もなく秀吉に不信感を示すなど、無礼な振る舞い多数。
長政:知らない
信長:パパみたい
光秀:好き
秀吉:光秀の仇
勝家:よく分かんないけどパパじゃない
こうして見ると、際立って不自然なのが秀吉に対する嫌悪感です。確かに、命令者より実行犯を嫌うこともあるでしょうし、そうした母と姉に囲まれていれば、江が秀吉に先入観を持つのも不自然ではありません。それでも、「好きな信長を殺した光秀は好きで、仇を討った秀吉は嫌い」は理解不能ですが。

三姉妹については、「誰のおかげで饅頭が食えると思ってるんだ!」と言いたいところですが、彼女たちはまだ小中学生です。私も親には生意気な態度を取っていたなと思えば許せる気がします。市には、「いいご身分だな」と嫌みの一つも言ってやりたくなりますが。

さて、この親子による理不尽なまでの秀吉嫌悪は、

秀吉の出自が卑しく、不細工だから

と考えると全てすっきりします。底の浅い脚本やキャスティングから、まぁこんなところだろうと邪推しています。あくまでも邪推ですよ。

しかし、この浅薄なドラマでは、この理由を前面に出すわけにはいきません。市や三姉妹が「秀吉は醜いから嫌い」「農民出身なんか相手をするのもけがらわしい」などと口にしたら、一気に好感度ダウンです。身分制度が大前提だった「戦国時代の価値観の人たちのドラマ」として話を進めていれば、市たちの感情も世の習いとして視聴者に受け入れられたでしょう。そういう価値観の時代の話なのですから。

しかし、このドラマは現代の価値観で構成されています。友人同士でリアルに「ただしイケメンに限る」と言っているような女性でも、「このドラマの」主人公が「不細工は嫌い、農民出身なんてキモイ」などと言い出したら興ざめすることでしょう。現代の価値観では、身分差別は極めて悪いことなんですから。

あくまでも「現代とは異なる価値観が支配していた戦国時代」として話を進めていれば、秀吉を嫌悪するという設定も分かりやすくなったのですがねぇ。

もう1点、不自然な言動が気になったのは、第6回で本能寺の変を知った後の江の乳母ヨシ&侍女たち。「自分たちは足手まといになるから置いていけ」って、当時の価値観の乳母が言うでしょうか?

あのセリフは、

家康が江を必ずや絶対、超ガンバって全力で、イザとなったら体を張って江を守り、無事に伊勢上野城まで届けてくれる

という仮定を彼女たちが信じることができれば、実に合理的です。しかし、信長の家臣ですらない家康を無条件に信じられるでしょうか? 人は常に合理的に判断できるでしょうか?

また、彼女たちはその時代と身分によって思考が制約され、その範囲内で合理的な行動を取るはず。ヨシの立場で考えれば、市から預かった大切な姫を「自分自身の手で」最後まで守ることが義務であり、責任です。

イザとなったら私が身を呈して姫を守る。姫を人の手にゆだねるなど言語道断。道中の姫のお世話は誰がするのか。いっときたりとも姫のそばを離れるなどまかりならぬ。自分を置いていくというならこの場で殺せ

乳母なら、こんな感じが自然なのでは。いや、私の偏見ですけど。ただ、当時の乳母が背負った責任は、現代人のわれわれが考えるよりはるかに重かった(重いと感じられていた)のではないかと想像します。

そもそも、乳母やら侍女という存在は、ドラマでは大体こんな感じでイラっとさせられるもの。『独眼竜政宗』に出てきた、愛姫付きの侍女とか、『武田信玄』の八重とか。こうした乳母&侍女と比べると、ヨシの近代合理主義的判断力は驚嘆に値します。ヨシを見習え。>八重

もちろん、あの場面でヨシがガタガタとゴネ出したら話のテンポは悪くなり、第6回は破綻するでしょう。言い換えると、ヨシにより自然と思われる振る舞いをさせると破綻するのは、そもそも脚本が破綻しているということです。

視聴者がいちいち「それはヘンだろう」と思うドラマは、やはり失敗していると思います。実に残念です。