大河ドラマ「真田丸」 第49回 前夜 感想
カテゴリ:真田丸
日時:2016/12/11 23:36
文字通り、信繁の死の前夜までが描かれた第49回。大坂方の敗戦につぐ敗戦。信繁らのミスも原因なのですが、ドラマでは間者による作戦漏えいのせいにしていました。まぁ驚かされたので面白かったのですが。
メールを読み、真田信繁の意図を悟った真田信之は大坂行きを決断。稲に反対されますが、「旦那様に悔いなき生き方をしていただくのが私たちの務め」とこうが援護。折れた稲は真田の家紋がついているのもは一切身に着けないようにと条件を付けます。沼田城で真田昌幸を追い返したときと同様、すっかり真田家の妻になりました。
と、理詰めでかわいげのない役回りのようでいて、「必ず……生きて帰ってきて下さいませ」と潤んだ目で言わせるあたり、フォローも万全です。
稲の次は、松の出番。干しシイタケ? などいろいろ準備。
信之「いささか多すぎるかと」
うん、多いよ。
場面は大坂城。あらためて伏見や近江に軍を展開するプランを提案する信繁。が、相変わらず反対する大蔵卿局。「あくまでも敵を迎え撃つのは大坂城」と、裸城の大坂城に拘ります。「今この城に執着するのは愚策にござる」という信繁ですが、「それを何とか勝ちに持っていくのがそなたのつとめではないか」と大蔵卿局。足を引っ張った揚げ句に要求だけは高い。困ったばあさんです。 ここで、後藤又兵衛が毛利勝永、木村重成と考えたプランを提案します。東西と北を川と湿地に囲まれた大坂城。大軍を展開できるのは相変わらず南のみ。そこで大坂城南の天王寺に兵を展開するという。このプランは、豊臣秀頼が大坂城から動かなくてよい点で大蔵卿局のハートをガッチリキャッチします。
4月22日、徳川&本多親子がミーティング。最後通牒を送れと言う徳川家康ですが、徳川秀忠さんはご不満のご様子。
秀忠「もはや秀頼を亡き者にせぬ限りこの戦終わりません。豊臣の血はこの戦で断ち切るのです! 父上は甘すぎる!」
家康「恐ろしい男に育ったのう」
秀忠時代には大名の取りつぶしもバシバシやったので、実際に結構怖いタイプですね。決して江と一緒に農民になりたいなどという寝言をほざくバカではなかったでしょう。
そして大坂城に、大和郡山城に移れば兵を引くという最後通牒が到着。
秀頼「徳川とはこれにて手切れと致す」
大坂夏の陣決定です。
山城と河内の国境に布陣していた真田の本陣に信之が到着。ここで真田信尹がまた使者に立てられたことを知ります。
4月29日、大野治房勢と浅野長晟勢が衝突(樫井の戦い)。いいキャラだった塙団右衛門がここであっさり討ち死に。先陣争いに焦った団右衛門が治房の本隊と連携も取らずに突出したのが原因なので、正直なところ犬死にです。猪突すればいいというものではない。
ドラマではこれをもって「夏の陣開始」としていましたが、26日には治房の一隊が大和郡山城を落としている(郡山城の戦い)ので、樫井の戦いは2番目の軍事衝突です。
そこへフラフラ~と茶々が登場。
茶々「いずれは皆もこの男の横に並ぶのですか?」
と、士気が下がる言葉を吐いて退場。人の死に直面したときに現れる茶々の暗黒面が出てしまいました。
家康の本隊は大和路から生駒山南を抜けて河内に入ると読んだ五人衆は、道明寺で迎撃することに。
5月1日、又兵衛と明石全登は平野へ進軍。が、家康の下へなぜか又兵衛が平野に兵を進めていることを知らせるメールが到着。
相変わらず居眠りしている本多正信に半ギレの家康ですが、正信の脳はまだまだキレッキレ。「後藤又兵衛が気になりますな。今のうちに潰してしまいましょう」
というわけで、播磨35万石という条件で楊西堂に調略させます。そんな誘いを一蹴する又兵衛ですが、それも正信の計算のうち。
正信「直ちに又兵衛が徳川の使者と会うたことを豊臣の陣に広めよ。又兵衛はその噂を消すことに必死になる。あとは戦で手柄を立てるしかない。大将が焦れば陣は乱れる。はい、これにて又兵衛の命運は尽き申した」
これは怖い。
信尹と合流した信之は、徳川義直の陣で足止めをくらったご様子。「間道を歩いていた怪しい者とはお前たちか?」ということで、職質みたいなものですね。もちろん、信尹には家康の密命が下っており何らかの通行証のようなものは発行されていたでしょう。それらしきものを相手に見せて、相手も納得。が、「真田」と名乗った途端に態度が一変。
室賀正武の子と称する室賀久太夫は、昌幸の罠にはめられた遺恨を理由に「通すわけにはいかぬ」と言い出します。遺恨があっても、大御所の密命を邪魔したらまずいだろ。
信之「黙れ小童~!」
正武本人ではなくその子にこれを使ってきましたか。胸が熱くなるな。
ちなみに、『寛政重修諸家譜』には、室賀正武の子は記されていません(「昌幸に殺された」としか書かれてない)。ここに出てきた「尾張徳川家家臣室賀久太夫」は恐らくオリキャラでしょうが、本当にいなかったのかどうかは不明です。
そして信尹と信之、大坂城に到着。今回は本気で徳川に降ることを勧める信尹さん。信濃40万石を条件にしますが、答えない信繁。
信繁が家康と差し違えるつもりだという確信を深めた信之は、「徳川に刃向かいたいなら刃向かえばよい。ひれ伏したくないならひれ伏すな。しかし死んではならぬ」と命じます。
信之「今度もまた俺は必ずお前を助けてみせる。死に物狂いで江戸と駿府と京を駆け回り、赦免を勝ち取ってみせる」
信之「またいつか晴れて酒を酌み交わそうと。父上はもうおられぬが、わしはまだその約束を果たすつもりでいる」
お兄ちゃん(泣)。
ギャグシーンというか信之トホホシーンは大泉洋本来の持ち味が生きていて安心して笑えます。一方、マジなシーンも非常によろしい。信之が大泉と知ったときは正直ガッカリしましたが、本作は大泉洋でよかったと思います。普通に手柄を立てる「すごい兄ちゃん」なところも描写してほしかったきらいはありますが。
「兄上と酒を酌み交わしとうございます!」と呼び止める信繁ですが、「これは今生の別れではない」と、そのまま去っていく信之。でも……。
信尹は、かつて昌幸がしたように、信繁の頬をペチペチしながら、「生きたいように生きればよい」。
場面は上杉景勝と家康のさし飲みシーン。
家康「今のわしがあるのは太閤殿下のおかげじゃ。しかしわしは豊臣を滅ぼす」
その理由は徳川のためにならないから。妙に言い訳がましい家康に、「お心うちにやましさがあるからでは? この戦に大義がないことが気になるからではござらぬか?」と、意外に手厳しいことを言う景勝。
景勝「あの男(信繁)は、わしがそうありたいと思っていた人生を生きておる」
「本ドラマの」信繁の行動原理の一部は、景勝が信繁に語ったこと。信繁が景勝の代わりをしているという一面が景勝にも伝わっているのでしょう。
そして5月5日。平野に布陣中の又兵衛の陣を信繁と勝永が訪問。徳川方が流した噂をただします。又兵衛が播磨35万石、信繁が信濃40万石で誘われていると知り、「何で俺には声がかからんのだ?」と不満な勝永。まあボヤきたくもなりますね。
「戦は心が乱れた方が負けだ」と、正信の狙い通りの事態を心配する信繁。又兵衛はそれなりに落ち着いているようですが……。
勝永「何で俺には声がかからないんだ!」
コイツだけまだこだわってました(笑)。このドラマの勝永は割とさっぱりした性格だからいいものの、この線を突き詰めれば仲間割れを誘う離間策としても機能しそうです。
翌5月6日。この日は道明寺の戦い(又兵衛)と八尾(盛親)・若江(重成)の戦いが並行して発生します。
戦闘に先立ち、死亡フラグ立てまくる重成。
まずは又兵衛を主将とする道明寺の戦い。正信の作戦や信繁の注意といった前フリもあり、又兵衛が焦って突出したような描写。討ち死に後は「あれほど功を焦るなと言うたのに」などと言われてしまっていましたが、実際は又兵衛だけが「予定通り」進軍して、信繁と勝永の隊が「遅れた」ことが原因。結果、又兵衛隊2800だけで伊達政宗ら3万4000の軍と交戦することになったわけです。
一方、重成は若江に進出。ナレは「木村重成は後藤隊の敗走をまだ知らない」としていましたが、後藤隊が壊滅したのは昼ごろ。若江の戦いが始まったのは朝なので、ドラマで重成が交戦を決断した時点では、まだ又兵衛は奮戦中だったはずです。
思いっきり遅参して又兵衛を死なせてしまった勝永と信繁。「どうやら我らの策が敵に筒抜けのようだ」ということで有楽斎以外に間者がいることが判明。
信繁「我らの話し合いを常に聞いていた男だ」
はて? と思ったら、場面は居酒屋与左衛門。えっ? 大角与左衛門か!
5月6日午後は、誉田の戦い。遅れて道明寺に到着した勝永・信繁隊が伊達勢らと交戦。あらためて誉田で対陣。信繁隊が殿になって退却します。
十文字槍で奮戦する信繁をちょいと見せ、さらに伊達を挑発するかっこいいシーンで花を持たせます。
信繁「これでしまいか~! 徳川兵に真の武士は1人もおらんのか~!」
これに銃撃を命じる片倉景綱ですが、信繁の行動がどうやら政宗の琴線に触れたようで、あえて見逃します。
というわけで、妻女を政宗に預けることにした信繁。まずは春の見せ場から。
春「大助、父上をしっかりとお守りしなさい」
春「泣いてもよいのなら泣きますよ?」
春「私は大谷刑部吉継の娘でございます」
春さん、いい妻・母になりましたねぇ。
そして春たちは伊達の陣に到着。ちょっと早すぎる気もしますが、まあ気にしない。
政宗「時に……ずんだ餅はお好きかな?」
またずんだ餅か! この政宗もとぼけてていいな。
場面は再び大坂城。残したきりに、千姫を連れて秀忠の陣へ行けと命じます。その後は沼田へ帰れという信繁ですが、きりは大坂城に戻ってくると言う。
きり「こうなったらお上様とご一緒しますよ最期まで。源次郎様がいない世にいてもつまらないから」
信繁は「明日城を出て家康に決戦を挑む」と言っていますから、きりにはそれが意味することは分かっていたことでしょう。
そして、信繁は死の前日になって初めて、きりを抱きしめるのでした。
きり「遅い」
いや全くだ。きり、最後まで正論でしたね。
まあそれはともかく、きり良かったね。本当に遅すぎだけど。
2016年 大河ドラマ「真田丸」キャスト(配役)
もご利用ください。
メールを読み、真田信繁の意図を悟った真田信之は大坂行きを決断。稲に反対されますが、「旦那様に悔いなき生き方をしていただくのが私たちの務め」とこうが援護。折れた稲は真田の家紋がついているのもは一切身に着けないようにと条件を付けます。沼田城で真田昌幸を追い返したときと同様、すっかり真田家の妻になりました。
と、理詰めでかわいげのない役回りのようでいて、「必ず……生きて帰ってきて下さいませ」と潤んだ目で言わせるあたり、フォローも万全です。
稲の次は、松の出番。干しシイタケ? などいろいろ準備。
信之「いささか多すぎるかと」
うん、多いよ。
場面は大坂城。あらためて伏見や近江に軍を展開するプランを提案する信繁。が、相変わらず反対する大蔵卿局。「あくまでも敵を迎え撃つのは大坂城」と、裸城の大坂城に拘ります。「今この城に執着するのは愚策にござる」という信繁ですが、「それを何とか勝ちに持っていくのがそなたのつとめではないか」と大蔵卿局。足を引っ張った揚げ句に要求だけは高い。困ったばあさんです。 ここで、後藤又兵衛が毛利勝永、木村重成と考えたプランを提案します。東西と北を川と湿地に囲まれた大坂城。大軍を展開できるのは相変わらず南のみ。そこで大坂城南の天王寺に兵を展開するという。このプランは、豊臣秀頼が大坂城から動かなくてよい点で大蔵卿局のハートをガッチリキャッチします。
4月22日、徳川&本多親子がミーティング。最後通牒を送れと言う徳川家康ですが、徳川秀忠さんはご不満のご様子。
秀忠「もはや秀頼を亡き者にせぬ限りこの戦終わりません。豊臣の血はこの戦で断ち切るのです! 父上は甘すぎる!」
家康「恐ろしい男に育ったのう」
秀忠時代には大名の取りつぶしもバシバシやったので、実際に結構怖いタイプですね。決して江と一緒に農民になりたいなどという寝言をほざくバカではなかったでしょう。
そして大坂城に、大和郡山城に移れば兵を引くという最後通牒が到着。
秀頼「徳川とはこれにて手切れと致す」
大坂夏の陣決定です。
山城と河内の国境に布陣していた真田の本陣に信之が到着。ここで真田信尹がまた使者に立てられたことを知ります。
4月29日、大野治房勢と浅野長晟勢が衝突(樫井の戦い)。いいキャラだった塙団右衛門がここであっさり討ち死に。先陣争いに焦った団右衛門が治房の本隊と連携も取らずに突出したのが原因なので、正直なところ犬死にです。猪突すればいいというものではない。
ドラマではこれをもって「夏の陣開始」としていましたが、26日には治房の一隊が大和郡山城を落としている(郡山城の戦い)ので、樫井の戦いは2番目の軍事衝突です。
そこへフラフラ~と茶々が登場。
茶々「いずれは皆もこの男の横に並ぶのですか?」
と、士気が下がる言葉を吐いて退場。人の死に直面したときに現れる茶々の暗黒面が出てしまいました。
家康の本隊は大和路から生駒山南を抜けて河内に入ると読んだ五人衆は、道明寺で迎撃することに。
5月1日、又兵衛と明石全登は平野へ進軍。が、家康の下へなぜか又兵衛が平野に兵を進めていることを知らせるメールが到着。
相変わらず居眠りしている本多正信に半ギレの家康ですが、正信の脳はまだまだキレッキレ。「後藤又兵衛が気になりますな。今のうちに潰してしまいましょう」
というわけで、播磨35万石という条件で楊西堂に調略させます。そんな誘いを一蹴する又兵衛ですが、それも正信の計算のうち。
正信「直ちに又兵衛が徳川の使者と会うたことを豊臣の陣に広めよ。又兵衛はその噂を消すことに必死になる。あとは戦で手柄を立てるしかない。大将が焦れば陣は乱れる。はい、これにて又兵衛の命運は尽き申した」
これは怖い。
信尹と合流した信之は、徳川義直の陣で足止めをくらったご様子。「間道を歩いていた怪しい者とはお前たちか?」ということで、職質みたいなものですね。もちろん、信尹には家康の密命が下っており何らかの通行証のようなものは発行されていたでしょう。それらしきものを相手に見せて、相手も納得。が、「真田」と名乗った途端に態度が一変。
室賀正武の子と称する室賀久太夫は、昌幸の罠にはめられた遺恨を理由に「通すわけにはいかぬ」と言い出します。遺恨があっても、大御所の密命を邪魔したらまずいだろ。
信之「黙れ小童~!」
正武本人ではなくその子にこれを使ってきましたか。胸が熱くなるな。
ちなみに、『寛政重修諸家譜』には、室賀正武の子は記されていません(「昌幸に殺された」としか書かれてない)。ここに出てきた「尾張徳川家家臣室賀久太夫」は恐らくオリキャラでしょうが、本当にいなかったのかどうかは不明です。
そして信尹と信之、大坂城に到着。今回は本気で徳川に降ることを勧める信尹さん。信濃40万石を条件にしますが、答えない信繁。
信繁が家康と差し違えるつもりだという確信を深めた信之は、「徳川に刃向かいたいなら刃向かえばよい。ひれ伏したくないならひれ伏すな。しかし死んではならぬ」と命じます。
信之「今度もまた俺は必ずお前を助けてみせる。死に物狂いで江戸と駿府と京を駆け回り、赦免を勝ち取ってみせる」
信之「またいつか晴れて酒を酌み交わそうと。父上はもうおられぬが、わしはまだその約束を果たすつもりでいる」
お兄ちゃん(泣)。
ギャグシーンというか信之トホホシーンは大泉洋本来の持ち味が生きていて安心して笑えます。一方、マジなシーンも非常によろしい。信之が大泉と知ったときは正直ガッカリしましたが、本作は大泉洋でよかったと思います。普通に手柄を立てる「すごい兄ちゃん」なところも描写してほしかったきらいはありますが。
「兄上と酒を酌み交わしとうございます!」と呼び止める信繁ですが、「これは今生の別れではない」と、そのまま去っていく信之。でも……。
信尹は、かつて昌幸がしたように、信繁の頬をペチペチしながら、「生きたいように生きればよい」。
場面は上杉景勝と家康のさし飲みシーン。
家康「今のわしがあるのは太閤殿下のおかげじゃ。しかしわしは豊臣を滅ぼす」
その理由は徳川のためにならないから。妙に言い訳がましい家康に、「お心うちにやましさがあるからでは? この戦に大義がないことが気になるからではござらぬか?」と、意外に手厳しいことを言う景勝。
景勝「あの男(信繁)は、わしがそうありたいと思っていた人生を生きておる」
「本ドラマの」信繁の行動原理の一部は、景勝が信繁に語ったこと。信繁が景勝の代わりをしているという一面が景勝にも伝わっているのでしょう。
そして5月5日。平野に布陣中の又兵衛の陣を信繁と勝永が訪問。徳川方が流した噂をただします。又兵衛が播磨35万石、信繁が信濃40万石で誘われていると知り、「何で俺には声がかからんのだ?」と不満な勝永。まあボヤきたくもなりますね。
「戦は心が乱れた方が負けだ」と、正信の狙い通りの事態を心配する信繁。又兵衛はそれなりに落ち着いているようですが……。
勝永「何で俺には声がかからないんだ!」
コイツだけまだこだわってました(笑)。このドラマの勝永は割とさっぱりした性格だからいいものの、この線を突き詰めれば仲間割れを誘う離間策としても機能しそうです。
翌5月6日。この日は道明寺の戦い(又兵衛)と八尾(盛親)・若江(重成)の戦いが並行して発生します。
戦闘に先立ち、死亡フラグ立てまくる重成。
まずは又兵衛を主将とする道明寺の戦い。正信の作戦や信繁の注意といった前フリもあり、又兵衛が焦って突出したような描写。討ち死に後は「あれほど功を焦るなと言うたのに」などと言われてしまっていましたが、実際は又兵衛だけが「予定通り」進軍して、信繁と勝永の隊が「遅れた」ことが原因。結果、又兵衛隊2800だけで伊達政宗ら3万4000の軍と交戦することになったわけです。
一方、重成は若江に進出。ナレは「木村重成は後藤隊の敗走をまだ知らない」としていましたが、後藤隊が壊滅したのは昼ごろ。若江の戦いが始まったのは朝なので、ドラマで重成が交戦を決断した時点では、まだ又兵衛は奮戦中だったはずです。
思いっきり遅参して又兵衛を死なせてしまった勝永と信繁。「どうやら我らの策が敵に筒抜けのようだ」ということで有楽斎以外に間者がいることが判明。
信繁「我らの話し合いを常に聞いていた男だ」
はて? と思ったら、場面は居酒屋与左衛門。えっ? 大角与左衛門か!
5月6日午後は、誉田の戦い。遅れて道明寺に到着した勝永・信繁隊が伊達勢らと交戦。あらためて誉田で対陣。信繁隊が殿になって退却します。
十文字槍で奮戦する信繁をちょいと見せ、さらに伊達を挑発するかっこいいシーンで花を持たせます。
信繁「これでしまいか~! 徳川兵に真の武士は1人もおらんのか~!」
これに銃撃を命じる片倉景綱ですが、信繁の行動がどうやら政宗の琴線に触れたようで、あえて見逃します。
というわけで、妻女を政宗に預けることにした信繁。まずは春の見せ場から。
春「大助、父上をしっかりとお守りしなさい」
春「泣いてもよいのなら泣きますよ?」
春「私は大谷刑部吉継の娘でございます」
春さん、いい妻・母になりましたねぇ。
そして春たちは伊達の陣に到着。ちょっと早すぎる気もしますが、まあ気にしない。
政宗「時に……ずんだ餅はお好きかな?」
またずんだ餅か! この政宗もとぼけてていいな。
場面は再び大坂城。残したきりに、千姫を連れて秀忠の陣へ行けと命じます。その後は沼田へ帰れという信繁ですが、きりは大坂城に戻ってくると言う。
きり「こうなったらお上様とご一緒しますよ最期まで。源次郎様がいない世にいてもつまらないから」
信繁は「明日城を出て家康に決戦を挑む」と言っていますから、きりにはそれが意味することは分かっていたことでしょう。
そして、信繁は死の前日になって初めて、きりを抱きしめるのでした。
きり「遅い」
いや全くだ。きり、最後まで正論でしたね。
まあそれはともかく、きり良かったね。本当に遅すぎだけど。
2016年 大河ドラマ「真田丸」キャスト(配役)
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