大河ドラマ「真田丸」 第38回 昌幸 感想

カテゴリ:真田丸
日時:2016/09/26 23:04

ついに来てしまいました。草刈昌幸退場回です。ついでに忠勝も清正も退場。何度も名場面を見せてくれた3人の退場は残念です。にしても、相変わらず通説・俗説をアレンジするのがうまいなぁ。あそこであのエピを使ってくるとは!

慶長6年(1601年)正月、浅野家臣・竹本義太夫の勧めもあり、真田信繁は長兵衛のお宅を訪問。付け届けを用意するなど、何気にいい仕事をするきり。が、思いっきり歓迎されてません。村人との交流や関係の変化を描いたりするのでしょうか、なんてこのときは思いましたけどね。

そして真田昌幸・信繁親子は、真田信之からのメールで彼の改名を知ります。「幸」の字を捨ておったと、昌幸ガッカリ。そして、信繁に代わりに「幸」の字をもらってくれと言い出します。「幸(ゆき)……」

えっ。 昌幸「幸信繁」

何じゃそりゃ!

信繁「……考えておきます」

ここで俗説の名前を使って笑いを取ってくるとは、三谷恐るべし。まさかあの名前を持ち出す気か! と驚かされました。

割とひょうひょうと過ごしている信繁ですが、心中穏やかならぬのが妻の春。「私と違って垢抜けないから」などと、相変わらず絶妙にイラっとさせることを言い出すきりが気になるのかと思えば、春が気にしていたのは娘を放り出して戦場をウロウロしていた馬鹿女のこと。イライラのあまり、障子に北斗百烈拳。「障子に穴を空ける」という斬新なキャラを確立しつつあります。

昌幸が期待を寄せていた上杉景勝はというと、伊達や最上とちょちょいと戦ったものの(慶長出羽合戦)、長谷堂城の戦いなどしょっぱい戦いを繰り広げて降伏するありさま。石田三成が上方で1年2年粘っていたら歴史は変わっていたかもしれませんが、上杉の腰砕けっぷりも残念ポイントです。

直江兼続のエクストリーム土下座もあって120万石→30万石の減封で済みましたが、そもそも何がしたかったの君たち、という結果でした。

慶長8年(1603年)2月、徳川家康が征夷大将軍に就任。千姫が豊臣秀頼に輿入れします。

昌幸「家康は浮かれておる」

と、これを機会に赦免が得られるかもと淡い期待を抱く昌幸さん。信之経由で本多正信を動かします。ちゃんと赦免を口にしてくれますが、家康の強い意向で却下されます。

慶長10年(1605年)、将軍職を徳川秀忠に譲ります。「御所様」(将軍)だった家康は、前将軍という意味の「大御所様」になります。これにより、将軍職は徳川家が世襲する体制が明らかになります。

昌幸「家康は浮かれておる」

楽観的な昌幸と、「いや、ダメだろ」的なみんなの表情が対照的です。

正信、またも律儀に取りなしてくれますが(いい人だ)、家康は拒否。機嫌を損ねてこれ以上の嘆願は不可能になります。

昌幸「これはひょっとするとわしはもうここから出られんかもしれんな」

とうとう自分の立場を理解した昌幸さんが切ない。

慶長11年7月。成長した秀頼が登場。う……ん。中川大志というキャスティングから来る予想通り、男前でりりしい秀頼さんに仕上がりました。が、200cm近い長身と150kgオーバーの体重を持った巨漢じゃないんですね、やっぱり。実際、この体格を再現しようとすると適当な役者いませんしね。単なる巨漢デブじゃカリスマ性は出ないし。役作りで丸々と太った内野聖陽みたいに、中川大志も太らせたら……やっぱりダメだろうな。

さて、そろそろ退場組がバッサバッサと片づけられていきます。まずは本多忠勝。孫たちに竹とんぼを作ってやる好々爺っぷりがほほえましい。と思ったら、手元が狂って指を傷つけてしまいます。これは忠勝が死の直前、小刀で左手を傷つけてしまい「忠勝も終わりだな」とつぶやいた逸話がベースでしょう。

こうして、戦場ではついに傷1つ負わなかったと伝えられる忠勝は隠居を決意。家康に慰留されるも固持します。忠勝が死ぬのは慶長15年ですが、ドラマではここで退場。お笑いシーンから気迫のこもったシーンまで、ドラマを盛り上げていただきました。藤岡さん、お疲れ様でした。素晴らしい忠勝でした。

さらに時間は飛んで慶長16年(1611年)正月。北政所を頼りたい信之が、彼女に仕えたこともあるという女性に会いに行きます。こうして出てきたのが、27時間テレビでのセーラー服姿が印象的だった八木亜希子もとい小野お通。一度だけお目にかかったことがありますが、もう20年前ですか。すっかりおばさんになられて……。あれ、何の話だ。

そうそう、お通ですね。ただ出てきただけなので意味不明ですが、信之がこの人を側室にするしない(結局しなかった)という説もあるので、今回は顔見せだけでまた出てくるのかもしれません。それにしても、小野お通が出てくるとは意外でした。

この年、秀頼と家康が会見します。ドラマでは、加藤清正の発案ということに。こうして4月8日、二条城で両者の会見が実現。このとき、清正があからさまに秀頼をガードして家康の不興を買ったというのはこの時代を扱った小説でよく出てくるところ。

ここでようやく、三成の耳打ちの答え合わせです。

三成「もし私が志し半ばで倒れたら、豊臣家のこと、お主に託す。命に代えて秀頼様をお守りしろ」

前回の予想はまあまあイイセンいっていたのではないでしょうか。

このこともあり、家康にケンカを売るかのような態度で秀頼をガードする清正。実際は、清正が護衛していたのは徳川頼宣だったのですが、ドラマは俗説に寄せていました。

と、ここまでは清正の振るまいに目がいってしまいましたが、ここで秀頼が堂々と名乗りを上げます。すると、家康は思わず平伏してしまいます。通説通り、秀頼のカリスマ性に危機感を覚えた、という流れになりました。

秀頼はともかく清正排除を決意した家康と正信。服部半蔵を動かすことにします。二代目ということは服部正成正就ですね。って、浜谷健司、またお前か(笑)。出てくるだけで笑わせるとは、何というキャスティング。
2016/9/27追記:神君伊賀越えに同行した服部半蔵が2代目の正成(1542-1596)。ここで出てきたのは、「三代目」の正就と思われます。詳しくはコメント欄を参照ください。
が、初代(ホントは2代)服部保長正成と異なり、正成正就は無言で仕事をこなします。清正とすれ違いざまに毒らしきっものを打ち込みます。服部正成も正就も忍者じゃなくて武士なので(しかも正就はダメな子なので)、ああいう仕事はしなかったと思いますが……まあいいか。笑えたし。

そして清正は史実通り、帰国途中で発病して死亡。

三成と仲がいい、清正の方から歩み寄ろうとするなど、非常に新鮮な清正でした。退場は残念ですが、この清正は三成とセットでこそ生きるキャラ。秀頼・家康会見が最後の見せ場だろうなと予想していました。まさか服部半蔵とからめてくるとは思いませんでしたが。

場面は再び九度山村。信繁の嫡男・真田大助/幸昌は、村の子らに「罪人の息子」と言われてしょんぼり。そんな大助に、昌幸が卑怯戦法を伝授。そして倒れます。

病床についた昌幸は、九度山で書き綴った「兵法奥義」を信繁に託します。そして10年かけて考えたという対徳川戦略を信繁に伝えます。

昌幸「負ける気がせん」
信繁「しかし、父上ならきっとうまく運ぶでしょうが、私では難しいのでは?」
昌幸「何で?」
信繁「私には場数が足りません」

俗説(恐らく創作)と逆にしてきましたか。俗説は、策はあるけど自分(昌幸)でなければ使えない。信繁では誰にも相手にされないからこの策は実行できないと昌幸が言うのです。ドラマでは、信繁の方が場数が足りないから実行できないという。毎度のことながら、史実、通説、俗説を分かった上でひねってきます。

昌幸「心得は1つ。軍勢を1つの塊と思うな」

その夜、家族に囲まれて寝ていた昌幸は馬のいななきの幻聴を聞き、「お屋形様!」と叫んで息を引き取ったのでした。

これで草刈昌幸とお別れかと思うと残念でなりません。丹波昌幸とはまた違う、素晴らしい昌幸を見せていただきました。昌幸の配役が発表されたときの驚きと興奮が忘れられません。こんなに胸躍る配役は初めてかもしれません。そして期待以上の昌幸でした。インチキくさいところ、悲哀に満ちたところ、チャンスに生き生きとしているところ、本当に面白かった。草刈さん、本当にお疲れ様でした。これまで『真田丸』を楽しく見ることができたのはあなたのおかげでした。

さて、草刈正雄を失った真田丸がどうなるのか。内野家康もいるし、まぁ大丈夫かな。

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