大河ドラマ「真田丸」 第30回 黄昏 感想

カテゴリ:真田丸
日時:2016/07/31 23:15

壊れていく秀吉の痛ましさもさることながら、終盤では信繁にとってキツい展開に。祖母の晩年を見るようで胸が痛みます。

今回は慶長伏見地震からスタート。ドラマでは、加藤清正が伏見に一番乗りしたことが語られます。豊臣秀吉の不興を買っていた清正が真っ先に駆け付けて秀吉を助け出したという俗説に基づくエピでしょう。実際には、清正は伏見にはいなかったと考えられており、すると当然ながら地震のときに真っ先に駆け付けるのは不可能だったことでしょう。

ともあれ、台所など一部の建物を残して伏見城が壊滅してしまったため、壊れた伏見城から1km離れた木幡山に仮の建物を作って避難することになります。ここにあらためて伏見城を築くことに決定。木幡山に目を付けていた真田昌幸は喜びますが、軍事施設としての役割は排除され、昌幸プランは破棄されてしまいます。昌幸は城の普請から堀つくりに回されて再びションボリ。 木幡山伏見城築城の間、秀吉は大坂に戻ることになります。このとき起こったのが、ドラマに登場したサン=フェリペ号事件。この船の積み荷をゲットするため、秀吉はバテレン追放令を使うことに。

これによりバテレンと日本人信者が捕縛されますが、大工の吉蔵は捕縛を免れます。しかし、せっかく助けられた命をムダにするかのように、ガラシャらの制止もむなしく自ら出頭する吉蔵。ああ、狂信者はこれだから困る。

ちなみに、この大工の吉蔵のモデルになっているフランシスコ吉は、Wikipediaによるとこんな人だったそうです。バテレンやら狂信者には興味がなかったので初めて知りました。

文禄5年(1596年)9月、明の使節(沈惟敬)が和平交渉に来日。が、交渉担当者が秀吉と明の双方にウソの報告をしていたことにより破綻します。明に対しては、秀吉が降伏すると報告したため、秀吉を日本国王に「封じてやる」という上から目線対応。当然秀吉は激怒し、和平は不成立。ちなみに、明の使節だった沈惟敬は、明に処刑されちゃいます。

明の態度に起こった秀吉さん、うっかり失禁しちゃいます。ここは真田信繁の機転で拾がそそうをしたことにし、秀吉と拾を強制連行。秀吉の足も濡らしちゃったとか、理由はいくらでも付けられますが……徳川家康のような曲者がそのまま信じるはずもなしです。

あらためて朝鮮に出兵することになり、呼び出される清正。石田三成はあらかじめ秀吉の容体を清正に伝えて釘を刺します。

三成「お主は顔に出やすい」

が、秀吉に拾のことを託されて泣き崩れちゃう清正。このドラマの清正はずっとこの調子のまま、感情が溢れてやらかすキャラなのかな。豊臣秀頼・家康会談のときの態度も目に浮かぶというものです。

それにしても、三成と清正の関係はこの時点でも特に悪いという感じではありません。朝鮮に出兵した武将について三成が讒言した様子もなく、関ヶ原に向けた人間模様は全く予想できません。

失禁事件はやはり臆測を呼びました。信繁に探りを入れる真田信幸ですが、信繁は全否定。信幸はそんな信繁の内心を見通している様子です。そんな兄の心情を思って忸怩たる思いを捨てきれない信繁は、春に語り始めます。

信繁「私の人生で、あの人のようになりたいと思うお人が2人いた。その2人から同じことを言われた。『わしのようになるな』と」
信繁「1人はお家のため人の道を捨てた」

真田信尹さんのことですね。

信繁「1人はお家のために己の信念を曲げた」

上杉景勝さんのことですね。

信繁「豊臣家に背くことは義に背くこと。おかげで今、息ができぬほど苦しい思いをしている」

沼田に戻った信幸は、秀吉の死を予測して沼田城に天守を築くことに。これにモチベーションアップしたYAZAWAですが、次のカットでいきなり大往生。

大坂?では再びトラブル発生。秀吉が寝所から消失し、三成、片桐且元、信繁による大捜索。そして、庭石の上に座っている秀吉を発見。茶室はどこだ、利休(故人)が話があるそうだと言い出す秀吉。ボケ老人の徘徊が始まってしまいました。

この事態を受け、三成は拾を元服させます。これが慶長元年(1596年)9月。公家は5歳で元服した例もあると言っていましたが、豊臣秀頼は文禄2年(1593年)生まれなので、満3歳。数えでも4歳なのですが……。

ちなみに、三成の前世・ホモ左府頼長さんが元服したのは数え11歳のときでした。

そして慶長3年(1597年)正月。景勝が伏見城に呼び出されます。会津への転封を伝え、北から徳川を見張ってほしいと景勝に懇願する秀吉。

同年3月15日、醍醐の花見開催。花咲じいが見たいという秀頼に応え、木に登っちゃう秀吉。これはヤバだろという予想通り、サルも木から落ちる。ああ、老人がコケたら寝たきりになるよ、と思ったらはやり寝込んでしまいましたか。

伏見に戻ってきた信幸に、稲は本多正信からのメールを見せます。横に寝ている百助は、生まれたばかりと考えると1597年生まれの信政か。子を産んだことで自覚が芽生えたか、真田の内情を探れと命じられていたことを明かし、メールは届かなかったことにすると宣言。稲も成長し、俺たちの小松姫に近づいてまいりました。

信幸はあらためて秀吉の容体を信繁に質しますが、やはり信繁は口を割りません。が、己が正しいと思った道を行けと吉継にアドバイスされ、長年の悩みから解放されます。

信幸を訪ねた信繁は、秀吉の容体を伝えます。これを聞いていた昌幸さん、何と吉野太夫にしゃべっちゃいます。このオヤジ、何してんだ。昌幸の話を聞くと、すぐに席を立つ吉野太夫。これまたあからさまに怪しい動きです。が、出浦にあっさり刺殺されます。

何と、吉野太夫(ニセ)は徳川の忍びだった! 前半で出浦が微妙な目で見ていたのはこの伏線でしたか。

昌幸-吉野太夫ルートからの情報漏えいは防げましたが、信幸が本多忠勝に秀吉の容体を話し、結局家康にも伝わることになります。

伏見城普請のモチベーションを失い、その逃避先だった吉野太夫も密偵だったと知ってションボリな昌幸さんですが、仙千代と百助に囲まれて笑顔を取り戻します。百助は信政でいいとして、仙千代は一体誰でしょう。真田信綱の娘(ドラマではこう)が産んだ長男・信吉は4年前に生まれているはずだし……。ドラマでは、ほぼ同時期に懐妊した感じだったんですよねぇ。

伏見では、秀吉が形見分けスタート。且元にも金子15枚が贈られます。喜ぶ且元ですが、三成には金子50枚と脇差し。本人がいる前であからさまに差を付けるなよ……。

さて、信繁には? と思ったら、信繁のことを覚えてない秀吉。これには信繁しょんぼり。

そんな信繁に話しかける秀吉。信繁と初対面したときのエピをなぞるかのような行動。そんな秀吉をやさしく布団に誘導し、寝かしつける信繁。どんどん壊れていく秀吉、それでも信繁と会ったときのことは辛うじていた秀吉が切ない。

にしても、リアルな認知症老人介護シーンでした。

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