大河ドラマ「真田丸」 第28回 受難 感想

カテゴリ:真田丸
日時:2016/07/17 23:34

秀次事件決着回。死なねばならない理由がないのに死へと追い立てられる秀次という、悲劇性はトップクラス。あの好青年秀次退場は残念ですが、楽しめました。秀吉をブラック化させずに秀次事件を描ききったところもお見事でした。

ではドラマスタート。関白を放り出した豊臣秀次は、大坂城に潜伏中。そんな秀次を「関白ともあろうお方が、お考えがなさすぎます」と説教するきり。あれほどきりに求愛していた秀次までうっとうしがる始末です。

秀次の出奔に困惑した真田信繁は、取りあえず大谷吉継の耳に入れることに。その吉継は体調不良のご様子。ハンセン病発症?

稲は法度に従い、大名の正室として京へやってきました。それを迎えた薫は都住まいでニコニコです。最近の通説と異なり、公家の出を公言する薫さん。父の名を「菊亭晴季」と断言しちゃいました。あちゃー、やっぱり「あり得ない」と否定されている説をこのドラマは採用しちゃいましたか。と、思いましたよ。この時点では。 大坂城にやってきた信繁は、きりの案内で秀次と再会。秀次を説得していると、「殿下」と呼びかける茶々の声が聞こえてきます。茶々にまでバレているのかと思ったら、呼びかけていた相手はちゃん。秀次の存在をガン無視した茶々と大蔵卿局の振る舞いに、秀次はますます追い詰められてしまうのでした。

そして、真田屋敷に匿われる秀次。「われらの母も公家の出なのです」と信幸が母を紹介すると、明らかに狼狽する薫さん。「いずこの?」という秀次の問いかけに口ごもると、稲が菊亭家であると明かしてしまいます。

秀次「菊亭は私の妻の里。晴季殿は私の舅だ。すると妻の……姉?」

をを! 菊亭晴季説があり得ないことにドラマ上でツッコミを入れてくるとは。

菊亭晴季は天文8年(1539年)生まれ。秀次の妻・一の台が永禄5年(1562年)生まれ。晴季23歳のときの娘ということで、何の問題もありません。

薫さん、つまり真田昌幸の正室・山手殿には確かに菊亭晴季の娘説があった(現在は否定されている)のですが、彼女の生年は天文18年(1549年)ごろとされています。何と、晴季が10歳のときの娘ということになってしまうのです。山手殿の生年をもっと後ろに設定してつじつまを合わせるのにも限界があります。長女・松(村松殿)が永禄8年(1565年)に生まれているからです。山手殿16歳のときというわけです。山手殿と晴季の年齢差を無理なく設定すると、村松殿を異常に若く産んだことになってしまうのです。

そもそも、武田家の家臣に過ぎなかった真田家(というか当時、昌幸は武藤家ですが)に清華家から嫁をもらえるわけがないのですが。

そうこうしているうちに、信繁は豊臣秀吉から呼び出されます。ついにバレたか?

が、表れた秀吉はニッコニコ。吉継の娘・春を嫁に取らせると言い出します。ほう、吉継に気に入られて……という流れではなく、秀吉の発案による縁組みにしましたか。

まだ秀吉にバレていないとはいえ、石田三成にはバレていました。秀次出奔の件をすぐに報告せよと迫る三成に、観念する信繁。秀吉に報告すると、やはり激怒する秀吉。が、

秀吉「すぐに連れてこい。説教してやる」

という程度。秀次事件の結果を思えば、「説教」って全然怒ってないレベルです。さらに、お寧や信繁の取りなしで、秀吉もちゃんとコミュニケーションを取る気になったご様子。いい方向に進み始めて安堵する一方、どうやって「あの結末」に結実するのか心配になります。

が、秀次は高野山へ逃亡した後。さすが秀次さん、台無しです。

青厳寺に入った秀次は、秀吉に振り回されてきたと黄昏れます。すると、秀次に随行してきた信幸が私も振り回されてきたと語り出します。

信幸「あまりに大きすぎる父、私の声だけがなぜか聞こえぬ祖母、病がちなのかどうかよく分からない最初の妻、決して心を開かぬ二度目の妻、そしてあまりに恐ろしい舅
秀次「それは難儀であったのう」

秀次に同情されてどうする……。

秀次は、信幸が叙任に複雑な思いを抱えていることもご存じ。そして、「返上したりはせぬな?」と念を押します。

秀次「あれは私が関白として行った数少ないことの1つじゃ」

秀次が高野山に入ったことで、秀次の出奔を内々に処理することが不可能に。そこで、謀反の疑いで高野山に蟄居させたことにします。史実とうまくつじつまを合わせてきました。史実としては秀次に誓紙を提出させるなど、謀反が疑われ、秀次が否定するというフェーズがあるのですが。

ドラマでは、まだ全然怒ってないレベルの秀吉。「ひと月ほど謹慎させてから、疑いが晴れたことにして連れ戻す」という、秀次復権のシナリオまで想定済み。

秀吉の公式発表は徳川にも到着。この事態を面白がる徳川家康。ここで本多正純徳川秀忠が初登場。秀忠……暗い。

翌朝、秀吉からの使者として福島正則が青厳寺に到着。秀次は、「これを長持ちに入れてきてくれ」と、たかにもらった宗教画を信幸に託します。分かりやすい人払いです。

1人涙する秀次……。

使者の正則も、もちろん秀次の味方です。

正則「孫七郎は気が優しすぎるんよ」

結局、秀次の周りは全員秀次の味方。みな秀次を救おうとしており、誰も秀次の死を望んでいなかった。秀次が死ぬ理由は何一つなかった……。

しかし、血相を変えてやってきた信幸。秀次自害。

秀次の勝手な死に、ついに秀吉が激怒。これを謀反発覚による自刃とし、首を三条河原にさらせと命令。ここまでは従った三成ですが、妻子処刑の命令には無言で反対します。しかし、秀吉の怒りに押し切られます。

聚楽第も破却されることに。そこで、信繁はたかを発見します。さて、どうやってたかを救うのか?

あれほど怒っていた秀吉は、今はおいおい泣くばかり。

秀吉「孫七郎を一人前の男にしてやりたかった」
秀吉「勝手に腹を切りおって」

このタイミングで吉継の娘との縁談を受けるという信繁。さらに、たかの身元を白状した上で側室として迎えたいと猛プッシュ。これを、許しちゃう秀吉。そして、呂宋助左衛門の助けで呂宋へ。あ、こんなんでいいんだ。

秀次の妻子はことごとく処刑されたにもかかわらず生き残り、さらに関白の娘であるのもかかわらず信繁ごときの「側室」となった隆清院。謎だらけのたかをどうしょりするのかと思ったら、生き残った理由も側室になった理由も肩すかし。期待したほど面白い処理ではありませんでした。

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