大河ドラマ「真田丸」 第26回 瓜売 感想
カテゴリ:真田丸
日時:2016/07/03 23:16
今回は有名な名護屋城コスプレパーティー。このエピをここまで斜め上に掘り下げたドラマは初めてでしょう。女性陣の中で最も愛すべきキャラだったとりさんの退場回でもあります。普通に泣かせどころで終わらせないところが真田丸らしい。
天正19年(1591年)12月、失意の豊臣秀吉は関白職を豊臣秀次に譲り、太閤となります。ドラマでは特に描写はありませんでしたが、秀吉とお寧、茶々は大坂城、秀次は聚楽第に入ります。
きり口説き中の秀次は、側室軍団をきりに見せ、あらためて側室に迎えたいと再プッシュ。きりは父に伝えてからと、承諾の方向へ。ちなみに、娘もいるよという流れで出てきたたかは、後に真田信繁の側室になる隆清院。
秀吉はというと、唐入りを正式に表明。正気を疑う大谷吉継ですが、武士の失業対策というまっとうな理由付き。唐入りに驚き批判的な態度の吉継ですが、第19回で加藤清正を九州担当とするのはこのときのためという感じで、既に既定路線化していたような。
こうして、前線基地として築城された肥前名護屋城に真田親子も出陣。真田信幸も独立した大名としての出陣です。 すると、地元大名として接待の義務感に駆られた清正から飲みのお誘い。が、信幸は本多忠勝にも誘われており、「どちらを断っても殺される」と困惑。結局、両方に出るというありがちなコメディー展開になります。
まずは忠勝というか徳川家康との席に向かった信幸。疲れのせいで「全身に震えが」と、とんでもない仮病を使います。退席すると、今度は清正の宴席へ。
上機嫌の清正ですが、信幸と信繁の通称である「源三郎」と「源次郎」の命名にツッコミ出します。
昌幸「めんどくさい男だな、おい」
石田三成たちは出兵準備に大わらわ。移動する兵数と移動手段の算段とコストの検討。ほんのわずかなシーンでしたが、あまり触れられることのない戦の事務方をちゃんと描いていました。実際はあれに兵糧や武具、弾薬その他の要素も加わるので、それはもうゾッとするような面倒くささだったはずです。このあたり、戦下手でも緻密な計算ができる三成が重用された理由がよく分かるというものです。
そして天正20年3月、清正が出陣。4月25日には秀吉が名護屋城に到着します。このタイミングで、春(竹林院)がやや強引に登場して顔見せしますが、まあそれはどうでもよろしい。
秀吉はというと、茶々が再び懐妊して大喜び。この報告に驚くお寧と、微妙な表情の秀次。この好男子秀次がだんだんかわいそうなことになっていきます。
しかし、朝鮮の戦況は芳しくありません。戦線が膠着し、豊臣秀勝も病没。もちろん、大将たる秀勝が敵をかばって味方の兵に斬られるなんて馬鹿げたことはありませんでした。
このいまいちイケてない状況を払拭するため、名護屋城名物のコスプレパーティーが開催されることと相成ります。
真田昌幸は何をやるか? 出浦昌相と佐助のリサーチにより、家康はあじか(ザル)売りと判明。そこで、昌幸は瓜売りをやることにします。
あれ、待て待て、確か瓜売りは……。
聚楽第では、秀次に男子が誕生。しかし、茶々の子が男子だったら秀次親子の立場が危うくなる……。不安に駆られる秀次ですが、その男子は2カ月後に死亡。初めての男の子という感じでしたが、秀次には既に長男・仙千代丸、次男・百丸がいて、この時点ではまだ存命(これから生まれる三男・十丸、四男・土丸とともに三条河原で処刑)。逆に、文禄元年(1592年)生まれで2カ月で死んだ男子は単に私が知らないだけかもしれませんが見当たりません。
まぁ、この男子が誰かなんてどうでもいいことです。秀次が嘆くシーンはそれくらい良かった。死んだ赤子を腕に抱いて、「ほっとした」と涙する秀次。
秀次「これで叔父上ににらまれずに済む。息子の死に顔を見ながら、私はそう思った」
こう言って泣き崩れる秀次に胸が痛みます。
名護屋城では、仮装大会が始まります。気合い入りすぎの昌幸さんですが、そこへ信繁が駆け込んできます。この期に及んで、秀吉が瓜売りをチョイスしたことが判明。信繁が側近を務め、出浦、佐助というリサーチャーがいながら何という失態でしょう。
というか、やはりカブりましたか。秀吉が瓜売りを演じたのは有名な話。家康のあじか売りは劇中にも登場しましたが、他に蒲生氏郷が茶売り、前田利家が高野聖、織田有楽斎が僧侶を演じたそうです。
さて、どうするか。
信繁「そしてまずいことに、明らかに父上の方がお上手なのです」
昌幸「なんたることじゃ!」
このときの昌幸の顔が、まさに一大事という感じで笑えます。片桐且元に見せると、やはり昌幸の方がうまい。
片桐「もっと下手にはできませぬか」
信幸「父上はこの日のために血のにじむような稽古をしてまいりました!」
家康「そんなに安房守の瓜売りはよく出来ておるのか?」
信幸「身内が言うのもなんですが大したものです」
たかが「瓜売りのマネ」を政治問題化して右往左往させるところは三谷らしい。
困った信繁は、事前に昌幸の芸の完成度を秀吉に見せつけ、諦めさせる作戦にでます。しかし、昌幸の芸を見た秀吉は、ますます稽古に励む有様。実のところ、芸の完成度が秀吉<昌幸というのはやや不自然。生まれながらの武士として生きてきた昌幸と、卑賤の身から職を変えながら信長に仕えた秀吉。行商人のマネなら秀吉の方がうまかったと思うのですが。
結局、昌幸は急病と称して棄権することで決着。佐助は泣き出すし、昌幸はふて寝してるし。
コスプレパーティーは秀吉の優勝でおしまい。はしゃぐ秀吉、秀吉を立てつつ冷めた顔の家康。両者を見比べる信繁。この温度差をどう見たのか?
そこへ、とりの容体が悪化したという知らせが届きます。見舞いに行きたいという信繁に、あっさり許可を出す秀吉。兵の士気を気にする且元に、「兵の士気はとっくに下がっている」と、実は冷めた目で情勢をみている秀吉。
上田城に集まった真田一族。とりは臨終寸前という感じです。そこで、昌幸は日の目を見なかった瓜売りを披露。なるほど、昌幸の本番はここだったのか! と思ったら。
とり「うるさい」
昌幸「えっ」
そして目を閉ざし、力を失うとり。
ナレ「武田信玄さえ一目置いたという名将真田一徳斎。その妻おとりは」
とりさん……。
が、パチッと目を開けるとり。
とり「ちと早すぎた」
えっ。
とり「たとえ離ればなれになっても真田は一つ。心さえつながっておればな」
と、兄弟の今後そのままな言葉を残します。
文禄2年8月1日、とり死亡。その2日後、豊臣秀頼誕生。
ナレまで利用した臨終スカシ。笑えたしとりさんらしいとも言えますが、普通に泣かせどころにしても良かったような。が、そうすると実に平凡なシーンになったことでしょう。やっぱりこれで良かったのかな、うん。
2016年 大河ドラマ「真田丸」キャスト(配役)
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天正19年(1591年)12月、失意の豊臣秀吉は関白職を豊臣秀次に譲り、太閤となります。ドラマでは特に描写はありませんでしたが、秀吉とお寧、茶々は大坂城、秀次は聚楽第に入ります。
きり口説き中の秀次は、側室軍団をきりに見せ、あらためて側室に迎えたいと再プッシュ。きりは父に伝えてからと、承諾の方向へ。ちなみに、娘もいるよという流れで出てきたたかは、後に真田信繁の側室になる隆清院。
秀吉はというと、唐入りを正式に表明。正気を疑う大谷吉継ですが、武士の失業対策というまっとうな理由付き。唐入りに驚き批判的な態度の吉継ですが、第19回で加藤清正を九州担当とするのはこのときのためという感じで、既に既定路線化していたような。
こうして、前線基地として築城された肥前名護屋城に真田親子も出陣。真田信幸も独立した大名としての出陣です。 すると、地元大名として接待の義務感に駆られた清正から飲みのお誘い。が、信幸は本多忠勝にも誘われており、「どちらを断っても殺される」と困惑。結局、両方に出るというありがちなコメディー展開になります。
まずは忠勝というか徳川家康との席に向かった信幸。疲れのせいで「全身に震えが」と、とんでもない仮病を使います。退席すると、今度は清正の宴席へ。
上機嫌の清正ですが、信幸と信繁の通称である「源三郎」と「源次郎」の命名にツッコミ出します。
昌幸「めんどくさい男だな、おい」
石田三成たちは出兵準備に大わらわ。移動する兵数と移動手段の算段とコストの検討。ほんのわずかなシーンでしたが、あまり触れられることのない戦の事務方をちゃんと描いていました。実際はあれに兵糧や武具、弾薬その他の要素も加わるので、それはもうゾッとするような面倒くささだったはずです。このあたり、戦下手でも緻密な計算ができる三成が重用された理由がよく分かるというものです。
そして天正20年3月、清正が出陣。4月25日には秀吉が名護屋城に到着します。このタイミングで、春(竹林院)がやや強引に登場して顔見せしますが、まあそれはどうでもよろしい。
秀吉はというと、茶々が再び懐妊して大喜び。この報告に驚くお寧と、微妙な表情の秀次。この好男子秀次がだんだんかわいそうなことになっていきます。
しかし、朝鮮の戦況は芳しくありません。戦線が膠着し、豊臣秀勝も病没。もちろん、大将たる秀勝が敵をかばって味方の兵に斬られるなんて馬鹿げたことはありませんでした。
このいまいちイケてない状況を払拭するため、名護屋城名物のコスプレパーティーが開催されることと相成ります。
真田昌幸は何をやるか? 出浦昌相と佐助のリサーチにより、家康はあじか(ザル)売りと判明。そこで、昌幸は瓜売りをやることにします。
あれ、待て待て、確か瓜売りは……。
聚楽第では、秀次に男子が誕生。しかし、茶々の子が男子だったら秀次親子の立場が危うくなる……。不安に駆られる秀次ですが、その男子は2カ月後に死亡。初めての男の子という感じでしたが、秀次には既に長男・仙千代丸、次男・百丸がいて、この時点ではまだ存命(これから生まれる三男・十丸、四男・土丸とともに三条河原で処刑)。逆に、文禄元年(1592年)生まれで2カ月で死んだ男子は単に私が知らないだけかもしれませんが見当たりません。
まぁ、この男子が誰かなんてどうでもいいことです。秀次が嘆くシーンはそれくらい良かった。死んだ赤子を腕に抱いて、「ほっとした」と涙する秀次。
秀次「これで叔父上ににらまれずに済む。息子の死に顔を見ながら、私はそう思った」
こう言って泣き崩れる秀次に胸が痛みます。
名護屋城では、仮装大会が始まります。気合い入りすぎの昌幸さんですが、そこへ信繁が駆け込んできます。この期に及んで、秀吉が瓜売りをチョイスしたことが判明。信繁が側近を務め、出浦、佐助というリサーチャーがいながら何という失態でしょう。
というか、やはりカブりましたか。秀吉が瓜売りを演じたのは有名な話。家康のあじか売りは劇中にも登場しましたが、他に蒲生氏郷が茶売り、前田利家が高野聖、織田有楽斎が僧侶を演じたそうです。
さて、どうするか。
信繁「そしてまずいことに、明らかに父上の方がお上手なのです」
昌幸「なんたることじゃ!」
このときの昌幸の顔が、まさに一大事という感じで笑えます。片桐且元に見せると、やはり昌幸の方がうまい。
片桐「もっと下手にはできませぬか」
信幸「父上はこの日のために血のにじむような稽古をしてまいりました!」
家康「そんなに安房守の瓜売りはよく出来ておるのか?」
信幸「身内が言うのもなんですが大したものです」
たかが「瓜売りのマネ」を政治問題化して右往左往させるところは三谷らしい。
困った信繁は、事前に昌幸の芸の完成度を秀吉に見せつけ、諦めさせる作戦にでます。しかし、昌幸の芸を見た秀吉は、ますます稽古に励む有様。実のところ、芸の完成度が秀吉<昌幸というのはやや不自然。生まれながらの武士として生きてきた昌幸と、卑賤の身から職を変えながら信長に仕えた秀吉。行商人のマネなら秀吉の方がうまかったと思うのですが。
結局、昌幸は急病と称して棄権することで決着。佐助は泣き出すし、昌幸はふて寝してるし。
コスプレパーティーは秀吉の優勝でおしまい。はしゃぐ秀吉、秀吉を立てつつ冷めた顔の家康。両者を見比べる信繁。この温度差をどう見たのか?
そこへ、とりの容体が悪化したという知らせが届きます。見舞いに行きたいという信繁に、あっさり許可を出す秀吉。兵の士気を気にする且元に、「兵の士気はとっくに下がっている」と、実は冷めた目で情勢をみている秀吉。
上田城に集まった真田一族。とりは臨終寸前という感じです。そこで、昌幸は日の目を見なかった瓜売りを披露。なるほど、昌幸の本番はここだったのか! と思ったら。
とり「うるさい」
昌幸「えっ」
そして目を閉ざし、力を失うとり。
ナレ「武田信玄さえ一目置いたという名将真田一徳斎。その妻おとりは」
とりさん……。
が、パチッと目を開けるとり。
とり「ちと早すぎた」
えっ。
とり「たとえ離ればなれになっても真田は一つ。心さえつながっておればな」
と、兄弟の今後そのままな言葉を残します。
文禄2年8月1日、とり死亡。その2日後、豊臣秀頼誕生。
ナレまで利用した臨終スカシ。笑えたしとりさんらしいとも言えますが、普通に泣かせどころにしても良かったような。が、そうすると実に平凡なシーンになったことでしょう。やっぱりこれで良かったのかな、うん。
2016年 大河ドラマ「真田丸」キャスト(配役)
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