大河ドラマ「花燃ゆ」 第7回 放たれる寅 感想
カテゴリ:花燃ゆ
日時:2015/02/15 23:07
今回は、「寅次郎を野山獄から出す出さない、寅次郎が出る出ない」だけをグダグダと実に丁寧にネットリ描く、退屈な40分。我らがスーパーヒロイン、11、2歳の小娘・文の画策が藩主の耳にまでとどくという「さすが文」なお話。何から何まで文にお任せくださりませ。
文「寅兄様を獄から出して差し上げたい」
あの手この手で寅次郎を甘やかす文、今度は釈放を企てます。そして、そのためになぜ必要なのか皆目見当も付きませんが、梅太郎を野山獄に連れていく文。
梅太郎の物珍しそうなな視線の動きから、彼が野山獄に行くのは初めてのような感じです。実際は、寅次郎に差し入れを持っていっていたのは梅太郎や長女の千代(ドラマでは存在抹消)だったのですが。常識的に考えて、満11~12歳の小娘が1人で行くわけありません。 寅次郎は、獄囚を集めて得意げに武勇伝を開陳中。安いヤンキーが昔のやんちゃ話を自慢しているみたいで激痛です。さすが精神年齢5歳の寅次郎。アイタタタ。
寅次郎「誉の品です」
ヤンキーが「お巡りとやりあったときのキズだぜ」って言ってるみたいです。アイタタタ。
で、後にテロリストどもを育成する傍ら自身もテロを画策することになる寅次郎さんは、ジャパニーズプリズン改革プラン「福堂策」を文たちに託します。まあ、開明的な主張ではあるのですが、野山獄のフリーダムライフを見せられた後だと、素直に素晴らしいとは思えないというか、あんなに恵まれた待遇をエンジョイしながらまだ文句を垂れるのかという思いがぬぐえません。
寅次郎の釈放を目指す文は、こともあろうに獄囚の久子に相談するという斜め上の行動で笑わせてくれます。「東大に入るにはどうしたらいいか」を浪人生に相談するようなものです。ま、数え13歳(つまり小学生)の小娘が考えることですから、馬鹿げていてもおかしくないのですが、実際にこれを考えたのは大人の脚本家ですからねぇ……。
この脚本は、さらに笑わせてくれます。
久子「私は300石取りの大組の奥方でした」
アンタ、自分を「奥方」って……。「奥方」は敬称だから、自称するのは異常ですが。なるほど、この脚本家は日本語が不自由であるという致命的なハンデを乗り越えて脚本を書いていると。泣かせるじゃありませんか。
そして、日本語が怪しい久子のアドバイスに従い、伊之助に接触する文。まあ予想通り。
伊之助は、桂を抱き込み、桂は水戸藩士に手を回し……。
安政2年(1855年)秋。文は数え13(満11~12歳)のまま。その小娘が画策した寅次郎釈放運動は、ついに藩主敬親の耳に届くことに。いや-、文はすごいな(棒読み)。
周布「許されたはずの者をなぜ獄につなぐのか。ご公儀に対し何か含むところがあるのかと」
が、中ボス椋梨が華麗に妨害。さらにハッピープリズンプランの筆者が寅次郎であることも気付いてるよと臭わせて伊之助にプレッシャーをかけます。このあたり、内藤剛志はハマり役といえましょう。
ただ、何でもかんでも妨害するわけではなく、伊之助の目を見てチャンスを与えるなど、単なる憎まれ役にしていないところは評価したい。
そして、梅太郎に登城命令。そして敬親と茶室ツーショット。以前、敬親が寅次郎に下した小太刀を梅太郎に返還。
演出がヘタクソでイマイチ伝わりませんが、この場面は「この小太刀で寅次郎に腹を切れと暗に命じられた」と視聴者にミスリードしているわけです。このミスリードが機能していればこそ、次の場面の「自宅での蟄居を申しつける。寅次郎を獄から出す」という梅太郎のセリフが生きるわけですが、ダメでしたね。
こうしてまたも甘やかされた精神年齢5歳の寅次郎。が、「このままで構いません」と、野山獄から出ようとしない寅次郎。
さすがです。獄から出すために奔走した伊之助や桂、周布、彼らの意気を感じて出すと決断した椋梨や敬親の好意を無にし、メンツをつぶして自己満足に浸ってます。何かもっともらしい理屈を並べてますが、相変わらず人の気持ちなんか意に介さない自己中っぷり。まぁ、しょせんはテロリストの親玉。自分の主張を通すためなら他者がどうなってもいいのでしょう。
またも振り回される杉家の面々。久子に嫉妬する亀とか、しょうもない息抜きシーンを挟んでパパ之助が野山獄へ。すると、獄囚たちが怒ったチンパンジーのように格子を揺らしてパパ之助を威嚇。
その夜、富永の房を訪ねる久子。相変わらず、不可解な牢獄です。野山獄は公営座敷牢みたいなものなのであのフリーダムっぷりは史実通りなのですが、それでも疑問が残ります。
パパ之助を威嚇するシーンでは、各牢の戸には錠前が付いており、開けられないようでした。ということは、あるタイミングで獄吏が鍵を開けたり閉めたりしているわけです。そして今までの描写から、昼間でも出られるとき、閉じ込められるときがあります。でも、この場面では夜なのに久子は自分の房を出て富永の房まで来ることができました。アノ錠前は、いつ開けられていつ閉められるんだ? 単に作劇の都合に合わせて開閉しているようで、実に残念です。
ノベライズでは、ここで久子が「(寅次郎が)1人だけ罪を許されて獄を出てゆくなど、そんな勝手があってよいものでしょうか。そのような者は懲らしめないと」というセリフがあるのですがカット。前回の予告時にはこのセリフがあったので、撮影自体はしたのでしょうが。
そしてフリーダムプリズンで句会開催。離別の句ばかり詠む獄囚。が、1人目から寅次郎が反応しちゃうのは早すぎでは。ノベライズだと寅次郎の顔色が変わるのは2人目からなのに。演出にセンスがないのかな。
みなの想いを知り、涙し鼻垂れる寅。
夜明け前、自分の房から自由に出て井戸で出会う寅次郎と久子。パパ之助が来たときはなぜ昼間なのに錠前が閉ざされていたんだろう。
ここで二十一回孟士エピ。ドラマでは早すぎで考える間もなくたたみかけられる感じでしたが、ノベライズは文章なので落ち着いて検証できます。
杉を「十、八、三」に分解して21というのはまOK。が、吉田は「十一、口、十、口」で、「口」はゼロと見なすって……(ドラマでは「口」は単に無視してて、「口はどうした」って感じでしたが)。ちなみに、「吉」と「田」から取り出した2つの「口」を「回」とし、恣意的な操作なく「二十一回」を作る説もあります。
こうして、テロリストの教祖様、出獄。
次回、「熱血先生、誕生」か……。ノベライズは「罪人の塾」だんだけど、なぜ改悪したのかな
2015年 大河ドラマ「花燃ゆ」キャスト(配役)
大河ドラマ「花燃ゆ」 主要人物年齢年表(松下村塾+α)
もご利用ください。
文「寅兄様を獄から出して差し上げたい」
あの手この手で寅次郎を甘やかす文、今度は釈放を企てます。そして、そのためになぜ必要なのか皆目見当も付きませんが、梅太郎を野山獄に連れていく文。
梅太郎の物珍しそうなな視線の動きから、彼が野山獄に行くのは初めてのような感じです。実際は、寅次郎に差し入れを持っていっていたのは梅太郎や長女の千代(ドラマでは存在抹消)だったのですが。常識的に考えて、満11~12歳の小娘が1人で行くわけありません。 寅次郎は、獄囚を集めて得意げに武勇伝を開陳中。安いヤンキーが昔のやんちゃ話を自慢しているみたいで激痛です。さすが精神年齢5歳の寅次郎。アイタタタ。
寅次郎「誉の品です」
ヤンキーが「お巡りとやりあったときのキズだぜ」って言ってるみたいです。アイタタタ。
で、後にテロリストどもを育成する傍ら自身もテロを画策することになる寅次郎さんは、ジャパニーズプリズン改革プラン「福堂策」を文たちに託します。まあ、開明的な主張ではあるのですが、野山獄のフリーダムライフを見せられた後だと、素直に素晴らしいとは思えないというか、あんなに恵まれた待遇をエンジョイしながらまだ文句を垂れるのかという思いがぬぐえません。
寅次郎の釈放を目指す文は、こともあろうに獄囚の久子に相談するという斜め上の行動で笑わせてくれます。「東大に入るにはどうしたらいいか」を浪人生に相談するようなものです。ま、数え13歳(つまり小学生)の小娘が考えることですから、馬鹿げていてもおかしくないのですが、実際にこれを考えたのは大人の脚本家ですからねぇ……。
この脚本は、さらに笑わせてくれます。
久子「私は300石取りの大組の奥方でした」
アンタ、自分を「奥方」って……。「奥方」は敬称だから、自称するのは異常ですが。なるほど、この脚本家は日本語が不自由であるという致命的なハンデを乗り越えて脚本を書いていると。泣かせるじゃありませんか。
そして、日本語が怪しい久子のアドバイスに従い、伊之助に接触する文。まあ予想通り。
伊之助は、桂を抱き込み、桂は水戸藩士に手を回し……。
安政2年(1855年)秋。文は数え13(満11~12歳)のまま。その小娘が画策した寅次郎釈放運動は、ついに藩主敬親の耳に届くことに。いや-、文はすごいな(棒読み)。
周布「許されたはずの者をなぜ獄につなぐのか。ご公儀に対し何か含むところがあるのかと」
が、中ボス椋梨が華麗に妨害。さらにハッピープリズンプランの筆者が寅次郎であることも気付いてるよと臭わせて伊之助にプレッシャーをかけます。このあたり、内藤剛志はハマり役といえましょう。
ただ、何でもかんでも妨害するわけではなく、伊之助の目を見てチャンスを与えるなど、単なる憎まれ役にしていないところは評価したい。
そして、梅太郎に登城命令。そして敬親と茶室ツーショット。以前、敬親が寅次郎に下した小太刀を梅太郎に返還。
演出がヘタクソでイマイチ伝わりませんが、この場面は「この小太刀で寅次郎に腹を切れと暗に命じられた」と視聴者にミスリードしているわけです。このミスリードが機能していればこそ、次の場面の「自宅での蟄居を申しつける。寅次郎を獄から出す」という梅太郎のセリフが生きるわけですが、ダメでしたね。
こうしてまたも甘やかされた精神年齢5歳の寅次郎。が、「このままで構いません」と、野山獄から出ようとしない寅次郎。
さすがです。獄から出すために奔走した伊之助や桂、周布、彼らの意気を感じて出すと決断した椋梨や敬親の好意を無にし、メンツをつぶして自己満足に浸ってます。何かもっともらしい理屈を並べてますが、相変わらず人の気持ちなんか意に介さない自己中っぷり。まぁ、しょせんはテロリストの親玉。自分の主張を通すためなら他者がどうなってもいいのでしょう。
またも振り回される杉家の面々。久子に嫉妬する亀とか、しょうもない息抜きシーンを挟んでパパ之助が野山獄へ。すると、獄囚たちが怒ったチンパンジーのように格子を揺らしてパパ之助を威嚇。
その夜、富永の房を訪ねる久子。相変わらず、不可解な牢獄です。野山獄は公営座敷牢みたいなものなのであのフリーダムっぷりは史実通りなのですが、それでも疑問が残ります。
パパ之助を威嚇するシーンでは、各牢の戸には錠前が付いており、開けられないようでした。ということは、あるタイミングで獄吏が鍵を開けたり閉めたりしているわけです。そして今までの描写から、昼間でも出られるとき、閉じ込められるときがあります。でも、この場面では夜なのに久子は自分の房を出て富永の房まで来ることができました。アノ錠前は、いつ開けられていつ閉められるんだ? 単に作劇の都合に合わせて開閉しているようで、実に残念です。
ノベライズでは、ここで久子が「(寅次郎が)1人だけ罪を許されて獄を出てゆくなど、そんな勝手があってよいものでしょうか。そのような者は懲らしめないと」というセリフがあるのですがカット。前回の予告時にはこのセリフがあったので、撮影自体はしたのでしょうが。
そしてフリーダムプリズンで句会開催。離別の句ばかり詠む獄囚。が、1人目から寅次郎が反応しちゃうのは早すぎでは。ノベライズだと寅次郎の顔色が変わるのは2人目からなのに。演出にセンスがないのかな。
みなの想いを知り、涙し鼻垂れる寅。
夜明け前、自分の房から自由に出て井戸で出会う寅次郎と久子。パパ之助が来たときはなぜ昼間なのに錠前が閉ざされていたんだろう。
ここで二十一回孟士エピ。ドラマでは早すぎで考える間もなくたたみかけられる感じでしたが、ノベライズは文章なので落ち着いて検証できます。
杉を「十、八、三」に分解して21というのはまOK。が、吉田は「十一、口、十、口」で、「口」はゼロと見なすって……(ドラマでは「口」は単に無視してて、「口はどうした」って感じでしたが)。ちなみに、「吉」と「田」から取り出した2つの「口」を「回」とし、恣意的な操作なく「二十一回」を作る説もあります。
こうして、テロリストの教祖様、出獄。
次回、「熱血先生、誕生」か……。ノベライズは「罪人の塾」だんだけど、なぜ改悪したのかな
2015年 大河ドラマ「花燃ゆ」キャスト(配役)
大河ドラマ「花燃ゆ」 主要人物年齢年表(松下村塾+α)
もご利用ください。