江の大移動(神君伊賀越え-安土城-清洲城)は可能か?
カテゴリ:江~姫たちの戦国~
日時:2011/02/14 23:11
本来であれば、明智光秀の三日天下の間は母や姉と伊勢(安濃)津城にいたと思われる江ですが、大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 第6回 光秀の天下では必要以上に動き回ります。9歳の小娘には大変だったことでしょう。お疲れ様です。
では、江は三日天下の間(第6回の間)にどれだけの距離を移動したのでしょうか。超大雑把に検討してみました。Googleマップを使ったので、以下の距離は現代の道路が前提です。あくまでも距離感や時間感覚をイメージするための参考値程度と考えてください。
まずは、堺で本能寺の変を知ってから伊勢上野城に着くまで。これは、「なぜか」家康に同行しているという条件から、海が見えたシーンあたりまでは有名な神君伊賀越えのルートとイコールであると考えなければなりません。異説もあるので、ここでは『石川忠総留書』ベースで話を進めます。
家康は6月2日早朝には変を知って(切腹しようとして説得されたりしつつ)河内国四条畷を出発、山城国宇治田原まで避難します。3日には近江信楽小川城にたどりつき、ここで宿泊。4日に伊賀国に入り、加太峠を経て伊勢国の津、白子、浜村のどこからか海路で三河国大浜に向かい、岡崎に至ります。
これをベースに、堺から伊勢上野城まで、6月2日から6月4日までの江の行程をまとめると以下の通り。カッコ内の所要時間は徒歩ベースの参考値です。ドラマでは馬を使っていました。日本在来種の木曽馬は時速40km。もちろん、馬は何時間も走り続けられないし、道路の整備事情も現代とは比較になりません。平均時速はもっと低く、休憩も多く取ったことでしょう。
江の6月2日の行程
河内国四条畷(A)-27km(6時間)-山城国宇治田原(B)
江の6月3日の行程
山城国宇治田原(B)-30~33km(7時間)-近江信楽小川城(C)
江の6月4日の行程
近江信楽小川城(C)-25km(5時間30分)-加太峠(D)-13km(3時間)-伊勢上野城(E)
こうしてみると、家康一行は1日に30km程度、3日間で100kmは進んだようです。江は神君伊賀越えに同行できたのだから、江にもその程度の体力があったということでしょう。9歳ですけど。
伊勢上野城に着いた江は、その直後に野武士に捕らわれて安土城に連れて行かれます。では、安土城で光秀に会うには、「いつ」安土城に行く必要があるのか。実はいつでもいいというわけではないのです。
まず、光秀はいつ安土城を手中にしたのか。山岡景隆による瀬田の唐橋焼き落しにより光秀はその手前で足止めされ、彼が安土城に入城するのは6月5日。つまり、江が安土城に行ったのは6月5日以降となります。
次に時期を特定するカギは、江の安土城到着直前の明智主従のシーン。ここで秀吉の中国大返しと姫路城入りが会話に出てきます。6月5日の時点で、秀吉はまだ備中国高松から動いていません(6月4日移動説あり)。秀吉が高松の陣を引いて姫路へ移動を開始するのは6月6日。姫路城着が6月7日。光秀にその情報が伝わるのは6月8日とされています。
さらに、光秀は6月8日に坂本城に戻り、6月9日には上洛したのち下鳥羽に出陣しています。ドラマ上の描写を信じる(笑)なら、江が安土城に到着したのは6月8日しかありません。
江の6月4日から6月8日の行程
伊勢上野城(E)-63.4km(13~14時間)-安土城(F)
伊勢上野城から安土城まで約63km。江の移動力をもってすれば2日で踏破可能です。野武士たちの移動手段は不明ですが、1日数時間のんびり歩いても3日で着きます。これだと1日の空白ができてしまうので、さらに余裕のある日程なのかもしれません。9歳の江に合わせたのでしょうか。あの野武士たち、意外にいい人だったのかも。ドラマでは瞬間移動級の移動力に見えましたが、実は割と余裕があったのです。
2011年2月16日追記:
問題は、野武士たちがいつ安土城を目指したのか(光秀の所在をつかんだのか)。江を捕らえた6月4日の時点では、光秀は安土城に近づくことすらできてませんしね。坂本城に向かって、さらに安土城に方向転換したとすると、場所によっては大幅なタイムロスが発生します。甲賀あたり(6月5日か6日?)でなら、直行した場合と大差はありませんが……。
前述の通り、光秀はこの後のスケジュールがギッチリ詰まっています。江と8日に会見した(説教された)後、すぐに江を解放して清洲に送ったと思われます。まぁ、多少は江に休息を取らせたかもしれません。江の出発は6月8日か9日といったところでしょう。
江の6月8日あるいは9日からの行程
安土城(F)-87km(18時間)-清洲城(G)
神君伊賀越えよりも短距離ですし、江の移動力なら3日間で十分。しかし、江の清洲城到着シーンは山崎の戦い開始前と光秀敗走の間に配置されています。ということは、江の清洲到着は6月13日。4日から5日かけて移動したことになります。江にとってはかなり余裕のある日程。物見遊山を兼ねたぶらり旅でもOKです。
意外なことに、ムチャクチャに見えた江の大移動が実は何とかなりそうという結果になってしまいました。最初にも書いた通り、今回の検証では街道の状態を一切考慮していません。実際にはもっと大変だったはずですが、そのあたりはテキトーです。そもそも、9歳の女の子が神君伊賀越えに同行したことが噴飯モノなんですから。
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では、江は三日天下の間(第6回の間)にどれだけの距離を移動したのでしょうか。超大雑把に検討してみました。Googleマップを使ったので、以下の距離は現代の道路が前提です。あくまでも距離感や時間感覚をイメージするための参考値程度と考えてください。
まずは、堺で本能寺の変を知ってから伊勢上野城に着くまで。これは、「なぜか」家康に同行しているという条件から、海が見えたシーンあたりまでは有名な神君伊賀越えのルートとイコールであると考えなければなりません。異説もあるので、ここでは『石川忠総留書』ベースで話を進めます。
堺から伊勢上野城まで(ルートと日程はほぼ特定可)
家康は6月2日早朝には変を知って(切腹しようとして説得されたりしつつ)河内国四条畷を出発、山城国宇治田原まで避難します。3日には近江信楽小川城にたどりつき、ここで宿泊。4日に伊賀国に入り、加太峠を経て伊勢国の津、白子、浜村のどこからか海路で三河国大浜に向かい、岡崎に至ります。
これをベースに、堺から伊勢上野城まで、6月2日から6月4日までの江の行程をまとめると以下の通り。カッコ内の所要時間は徒歩ベースの参考値です。ドラマでは馬を使っていました。日本在来種の木曽馬は時速40km。もちろん、馬は何時間も走り続けられないし、道路の整備事情も現代とは比較になりません。平均時速はもっと低く、休憩も多く取ったことでしょう。
江の6月2日の行程
河内国四条畷(A)-27km(6時間)-山城国宇治田原(B)
江の6月3日の行程
山城国宇治田原(B)-30~33km(7時間)-近江信楽小川城(C)
江の6月4日の行程
近江信楽小川城(C)-25km(5時間30分)-加太峠(D)-13km(3時間)-伊勢上野城(E)
こうしてみると、家康一行は1日に30km程度、3日間で100kmは進んだようです。江は神君伊賀越えに同行できたのだから、江にもその程度の体力があったということでしょう。9歳ですけど。
伊勢上野城から安土城まで(江はいつ光秀と話したのか?)
伊勢上野城に着いた江は、その直後に野武士に捕らわれて安土城に連れて行かれます。では、安土城で光秀に会うには、「いつ」安土城に行く必要があるのか。実はいつでもいいというわけではないのです。
まず、光秀はいつ安土城を手中にしたのか。山岡景隆による瀬田の唐橋焼き落しにより光秀はその手前で足止めされ、彼が安土城に入城するのは6月5日。つまり、江が安土城に行ったのは6月5日以降となります。
次に時期を特定するカギは、江の安土城到着直前の明智主従のシーン。ここで秀吉の中国大返しと姫路城入りが会話に出てきます。6月5日の時点で、秀吉はまだ備中国高松から動いていません(6月4日移動説あり)。秀吉が高松の陣を引いて姫路へ移動を開始するのは6月6日。姫路城着が6月7日。光秀にその情報が伝わるのは6月8日とされています。
さらに、光秀は6月8日に坂本城に戻り、6月9日には上洛したのち下鳥羽に出陣しています。ドラマ上の描写を信じる(笑)なら、江が安土城に到着したのは6月8日しかありません。
江の6月4日から6月8日の行程
伊勢上野城(E)-63.4km(13~14時間)-安土城(F)
伊勢上野城から安土城まで約63km。江の移動力をもってすれば2日で踏破可能です。野武士たちの移動手段は不明ですが、1日数時間のんびり歩いても3日で着きます。これだと1日の空白ができてしまうので、さらに余裕のある日程なのかもしれません。9歳の江に合わせたのでしょうか。あの野武士たち、意外にいい人だったのかも。ドラマでは瞬間移動級の移動力に見えましたが、実は割と余裕があったのです。
2011年2月16日追記:
問題は、野武士たちがいつ安土城を目指したのか(光秀の所在をつかんだのか)。江を捕らえた6月4日の時点では、光秀は安土城に近づくことすらできてませんしね。坂本城に向かって、さらに安土城に方向転換したとすると、場所によっては大幅なタイムロスが発生します。甲賀あたり(6月5日か6日?)でなら、直行した場合と大差はありませんが……。
安土城から清洲城まで(またも数日で移動すればOK)
前述の通り、光秀はこの後のスケジュールがギッチリ詰まっています。江と8日に会見した(説教された)後、すぐに江を解放して清洲に送ったと思われます。まぁ、多少は江に休息を取らせたかもしれません。江の出発は6月8日か9日といったところでしょう。
江の6月8日あるいは9日からの行程
安土城(F)-87km(18時間)-清洲城(G)
神君伊賀越えよりも短距離ですし、江の移動力なら3日間で十分。しかし、江の清洲城到着シーンは山崎の戦い開始前と光秀敗走の間に配置されています。ということは、江の清洲到着は6月13日。4日から5日かけて移動したことになります。江にとってはかなり余裕のある日程。物見遊山を兼ねたぶらり旅でもOKです。
意外なことに、ムチャクチャに見えた江の大移動が実は何とかなりそうという結果になってしまいました。最初にも書いた通り、今回の検証では街道の状態を一切考慮していません。実際にはもっと大変だったはずですが、そのあたりはテキトーです。そもそも、9歳の女の子が神君伊賀越えに同行したことが噴飯モノなんですから。
光秀 | 秀吉 | 家康 | 江 | |
---|---|---|---|---|
6月2日 | 本能寺の変 | 本能寺の変を知る | ||
6月3日 | 本能寺の変を知る | 近江信楽小川城到着 | ||
6月4日 | 岡崎到着 | 伊勢上野城到着 | ||
6月5日 | 安土城入り | 野武士と移動 | ||
6月6日 | 大返し開始 | |||
6月7日 | 姫路城到着 | |||
6月8日 | 秀吉の大返しを知る | 光秀に説教 | ||
6月9日 | 下鳥羽出陣 | 姫路出発 | 移動 | |
6月10日 | 洞ヶ峠に滞陣 | |||
6月11日 | 下鳥羽に戻る | 摂津尼崎到着 | ||
6月12日 | 摂津富田到着 | |||
6月13日 | 山崎の戦い | 清洲城到着 |
テキトー検証シリーズ
大河ドラマ『天地人』で長澤まさみ演じる役設定が急遽変更
「功名が辻」へそくりで買った名馬の値段は?
あの世まで何マイル? 三途の川の川幅は