大河ドラマ「功名が辻」 第45回 三成死すとも

カテゴリ:功名が辻
日時:2006/11/12 21:26

黒田長政の陣羽織エピが……。

まあいいや。それより、土佐「20万石」。なぜか1600年の段階で20万石。土佐の石高が20万2600石と定まるのは、一豊が土佐入国後に算定し直してからなのだが。

では、家康は何を基に関ヶ原後の論功行賞したかというと、やはり太閤検地のデータであろう。時々、遠江掛川6万石→土佐20万2600石で3.3倍の加増。トップクラスの加増率などというマヌケな話を見かける。結果論としては間違っていないが、「家康の評価」とは切り離すべきであろう。俗説の「土佐24万石」を使って加増率4倍などというのは論外である。 太閤検地によると、土佐の石高は9万8000石。つまり、家康の一豊に対する評価は約4万石の加増にすぎない。2倍にもなっていない。

ちなみに小山評定で一豊にアイデアをパクられた堀尾はというと、浜松12万石→出雲松江(出雲+隠岐)24万石。太閤検地の石高では、出雲18万6000石+隠岐4万石で約22万6000石。多少誤差はあるが、いずれにせよ10万石はアップしている。どうみても、家康は山内よりも堀尾を重視している。

そもそも小山評定のエピソードの元ネタは、新井白石の「藩翰譜」。いまではフィクション扱いされているヘソクリ名馬購入エピが書いてある本である。小山評定のパクりネタも怪しいものである。

東海道ダイミョーズのお城プリーズ for I・E・YA・SUはサプライズなどではなく、家康にも根回し済みのデキレースだったのではあるまいか。その際、若輩ものの堀尾忠氏では発案者として重みにかける。そこで、古参の一豊が声を上げると「定まっていた」と。

まぁ、こんなことは昔からいわれてることなんだけど。