大河ドラマ「功名が辻」 第2回 決別の河

カテゴリ:功名が辻
日時:2006/01/15 21:51

う~ん、原作を忘れれば楽しめる……かな? 一豊が藤吉郎とすっかり懇意になってしまい、実のところ萎え萎えなのだが。これで秀吉の与力に志願する原作のエピソードは台無しだな。大石静御前にアレを凌駕する脚本が書けるのか?

前回に続き、今回も「話は遡るが」。原作をブチ壊しておきながら、微妙に司馬風味を出しているつもりか? 中途半端だな。いっそ、「余談だが」もやってはどうか。

馬場ちゃんがわらじの鼻緒に柄を織り込んでいるのは、後の小袖作りへつなげる伏線かのう。しかし、「決別の河」を渡ったその日に不破家到着か。すごい幼女だな。前回からそう時間がたっていないとすると、馬場ちゃんは数えで4歳のハズなのだが。

よく分からないのが、馬場ちゃんが身を寄せた不破市之丞。諱は重則。「国盗り物語」にもちらっと登場するが、どうも正体が知れない。美濃の不破といえば不破光治が有名だが、重則と光治の関係は不明。不破重則は大した人物ではないように思えるのだが、すると後に大きな矛盾が生じるんだよなぁ……。 そういえば、冒頭でも触れられていたが「山内一豊」の読み方には諸説ある。名字は「やまのうち」と「やまうち」。諱は「かずとよ」と「かつとよ」。

秀郷流山内氏(山内首藤氏)の読みは、「やまのうち」である。一豊の山内氏(土佐山内氏)は山内首藤氏の庶流を称している(系図は「肝心の部分が残念ながら」欠落しているが)ので、同様に「やまのうち」と読みたくなる。が、冒頭で紹介された手紙のかなと同じく、寛政譜(第十三)のふりがなも「やまうち」なのである。また、土佐山内氏自身が「やまうち」を称しているので、この家系については「やまうち」の方が妥当だろう。

諱については、渡部淳氏が「かつとよ」説を提唱している。「山内一族 一豊と妻の生涯」でも一貫して「かつとよ」で通している。「検証・山内一豊伝説 「内助の功」と「大出世」の虚実」では、その理由も示されている。

それなりに同意できる内容なのだが、傍証として挙げられている寛政譜の表記については、ちょっと疑問というかよく分からん。同氏は、寛政譜においては「かつとよ」「かすやす」とかなが振られており、「かつとよ」はそのまま、「かすやす」は濁点を付けて「かずやす」とするとしている。ただ、我が家の寛政譜には、「かづとよ」「かずやす」と、どちらにも濁点が付いているのだ。続群書類従完成会によって活字化された際に濁点が付けられたのかなぁ。