大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 第41回 姉妹激突!

日時:2011/10/23 20:49

今回は、慶長19年(1614年)夏からスタート。

江戸城廊下でぶつかった家臣にブチ切れる竹千代。こうした態度を憂えた江が、福に苦言を呈します。

江「あれは強さではない。驕りであり、意地の悪さである」

お前が言うか

秀吉を「サル」呼ばわりして見下し、ことあるごとに叩いたり引っ掻いたり、面罵したり。あれはどう見ても驕りであり、意地が悪かったと思うけどなぁ。

この女は、相変わらず

江「父上はあきらめてくれたのでしょうか。豊臣を追い落とすこと」

と、二言目には「豊臣」を連呼。そんなに豊臣好きなら、徳川に嫁ぐ前からそのように描写しておくべきでしたね。毎回同じことをツッコむのもあきたので、これで最後にしますが。 開戦の大義名分を探す家康。そこへ本多正純が持ち出してきたのが方広寺の鐘銘にある「国家安康」「君臣豊楽」に難癖をつけるとうネタ。アノ有名な方広寺鐘銘事件の開始です。

もうね、驚きましたよ。前回、何の必然性もなく唐突に林羅山を登場させておきながら、方広寺鐘銘事件に一切絡ませない脚本。古田織部といい林羅山といい、何がしたくて出したのやら(古田織部は「へうげもの」番宣?)。ま、「国家安康」「君臣豊楽」部分にツッコんだのは崇伝ですが。


そして慶長19年10月。家臣の報告に「何じゃと!」と大喜びの治長。イヤな予感がしたのですが、大変残念なことに当たってしまいました。

真田幸村の入城です。秀頼・淀に、アゲアゲで紹介する治長。

……この時点では、真田信繁(幸村)なんて無名だと思いますが。真田信繁が来ても、豊臣的には

「真田信繁? 誰?」「真田昌幸の二男とか」「おお、あの昌幸の!」

って感じだったのでは。信繁なんて、大坂の陣で活躍しただけの一発屋。歌手に例えるとアラジンとかTOMCAT的な武将でしょ。

秀忠出陣の日。またも呪いのハンコを持たせる江。もうそれはいいから。

ゴロ寝将軍夫妻のメールもむなしく、大坂冬の陣開戦。赤備えしか出てこない大坂方。なんだそれ。

しかし、秀頼が名君すぎて困る。ゴロ寝将軍夫妻より、どう見ても魅力的で天下人の器。

秀頼ガンガレ。超ガンガレ。


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」キャスト(配役)
大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 三姉妹年齢年表
も第41回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。

江の子孫については、江の家系図もどうぞ。