大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 第39回 運命の対面

日時:2011/10/09 21:02

秀忠の2代将軍就任から半月。江戸では江が大姥局から御台所としての心構えを説かれ、

「御台所のう」
「覚悟のう」

と、相変わらず頭の悪そうなオウム返しで会話を展開してます。江が御台所になったことで、ヨシは民部卿局にクラスチェンジ。崇源院の乳母といえば、普通はこの「民部卿局」ですね(彼女の実名は伝わってませんし)。

一方、役に立たない2代目に代わり、お仕事にいそしむ大御所家康。高台院を通じて秀頼上洛を要求します。当然ながら淀がブチ切れて拒否。

淀「上洛を強いるなら、秀頼を殺し、この私も死ぬ

「お腹の子を殺すなら妹(初)を殺して私も死ぬ」と同じ論法ですね。第1回から成長がないというか、あの頃からイカれてるというか。初や秀頼を殺さないで、勝手に自分だけ死ねばいいのに、ウザい女です。いわゆる、すぐ「死んでやる」という病んだ女ですね。キモい。 慶長11年(1606年)6月。天下普請(まだ石垣だけ)が進む江戸城では、国松(忠長)が誕生。

江「国松は私の乳で育てたいのじゃ」

授乳してたら生理が始まらず、翌年に和子が生まれないではないか。というか、国松にも普通に乳母が付いてるんですが。

江戸の国松誕生に動揺する大野と淀。秀頼に側室を付けることにします。が、決定後も「これでよいのか」とクヨクヨ悩む淀。

「世嗣ぎを得るために側室を付ける」

んー? 何か問題でも? 一体、どこが悩むポイント? さっぱり分かりません。

そもそも、アンタ(淀)も側室じゃない。寧々に「妻」とおだてられて勘違いしちゃった?

江戸に戻った大御所。江に授乳は乳母に任せろと諭します。当たり前のことを言っているだけ(というか大御所にこんな低レベルなことを注されるなよ)ですが、江は竹千代は自分子ではない云々と当てつけがましいことを口走って退室。舅にして大御所に向かって無礼な嫁です。切り捨てるべきだと思いますが。

一方、小浜城では高次が変な汗をかきまくるという分かりやすい病(死亡)フラグ。

高次の「徳川の天下取り」に激しく反応する初。

初「天下取り!? やはりそうなのですか?」
高次「今さら何を

まったく、徳川が征夷大将軍の世襲体制を固めている状況下で、徳川が天下人でないと思っているのは初だけでは? ちと頭が弱いのでしょうか。

時は移ろい慶長16年(1611年)3月。異常にノッペリした江戸城のCGが完成。単に「年表の出来事を映像化しているだけ」で、年表の行間を表現する「ドラマ」を作ろうという努力は全く見られませんね。

突然江戸に現れる常高院(高次の死亡により落飾)。「豊臣と徳川を結びつけろ」という高次の遺言を江に語り、大坂の陣での和平役ポジションを確立。江と初、2人で安くて退屈な姉妹愛語りを繰り広げた後、大坂へ。

大坂でもやはり、淀と初が安くて退屈な姉妹愛語りで時間つぶし。侍女たちと遊んでいる豊臣国松の顔がちとアホっぽいのが残念なところ。

大坂には、再度の秀頼上洛要求。淀らがこの件について詮議する場面、片桐や淀が発言するたびに、効果音が「ドーン」。頼む、シリアスな場面で笑わせるのはやめてください。

二条城での秀頼・家康会見。清正がちゃんと出てきたのにはちょっと驚いた。三成に体臭をかがせたり三成家を武装家庭訪問しただけで終わりかと思ってました。ま、二条城会見での秀頼に対する忠節っぷりが彼の最後の見せ場ともいえるわけですが。このあたりは、司馬遼太郎の『城塞』とか。

家康を家臣として扱った秀頼の態度は見事。まったくもって、立派な君主に成長あそばされた。あの淀に育てられたとは思えません。ゴロ寝して父親の言動を揶揄するだけの無能な秀忠(実際は政治家としては有能だったのですが)より、秀頼の方がはるかに世を治める器に見えます。

秀忠「秀頼様が関白となられ、私が将軍としてお支えする」
江「徳川と豊臣が並び立つと?」
秀忠「かならずそうしてみせる」キリッ

またまた、できないことを……。ま、このドラマの秀忠は口先番長なので仕方がないのですが。本当の秀忠に土下座して詫びるべき。


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」キャスト(配役)
大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 三姉妹年齢年表
も第39回に合わせて更新しました。よろしければご利用ください。

江の子孫については、江の家系図もどうぞ。