大河ドラマ「功名が辻」 第26回 功名の旗

カテゴリ:功名が辻
日時:2006/07/02 21:47

やはり先週から続く吉兵衛ラブコメはなしで(フーミンごめんな)、一豊、新右衛門とのシーンの厚みを増やした方がよかった気がするが、なかなかよかった。

犬に吠えられて見つかっちゃっうとはまた、えらく古い演出だな。しかも、「戦が終われば迎えに来る」て、をい! 「除隊したら故郷で農園をやるんだ」「この戦いが終わったら結婚しよう」「今日は娘の誕生日だから先に帰るよ」級のムチャクチャ直球勝負な死亡フラグだな。

亀山攻城戦の前哨戦は原作と正反対の作りで笑った。原作では、ほかの陣が夕食の支度を始める中、一豊は家来に炊事をさせず敵襲に備える。案の定敵襲があると、準備していた一豊は大活躍して秀吉を大いに喜ばせる。秀吉からの伝令に賞賛されると吉兵衛は泣いて喜び、亀山城一番乗りを決意する。とにかくポジティブな展開なのである。 そして、亀山攻城戦前夜。吉兵衛と一豊のツーショットシーンはなかなかよかった。といっても、セリフは原作の丸写しだが。

吉兵衛討ち死にのシーンは、悪くなかったのだが殺陣にムリがあってちとシラけた。吉兵衛の後ろの兵は、槍を構えてるのに突かないし。どうみても、余裕で討ち取れるだろ。新右衛門のカンバックで、原作の「泣き武者」トリオ再現かと思ったのにとんだ肩透かしである。

ところで、原作およびドラマでは、ジジイの吉兵衛が亀山城一番乗りを果たして討ち死にするわけだが、史実はいささか異なるようだ。吉兵衛がこの戦いで死ぬのは確かだが、「山内一豊 土佐二十万石への道」によると亀山城一番乗りを果たすのは一豊の御旗足軽三九郎(小崎重高)で、三九郎が
城塁高く山内家の家紋「三葉柏」の旗印をかかげ、「山内猪右衛門、一番乗り」と大声で名乗りをあげ、見方の士気を鼓舞した
という。

また、あえて「ジジイの吉兵衛」と書いたところも重要。吉兵衛つまり五藤為浄は1553年生まれ。そう、1545年生まれの一豊よりも年下なのである。亀山攻めは天正11年(1583年)で、享年31歳。ちっともジジイではない。おそらく、「功名が辻における吉兵衛」とは、吉兵衛の父 五藤三左衛門浄基と吉兵衛為浄の2代を合わせた半オリキャラなのであろう。

五藤家はどうなったかというと、吉兵衛には男子がなかったものの娘があり、前野泰道の子を婿養子に迎えて牛右衛門浄清と名乗らせる。また、吉兵衛には弟 為重がいた。彼は長篠など、すべての戦い(ただし亀山攻めのみ除く)に吉兵衛とともに従軍しているはずなのだが……影も形もないね。いいんだけど。